備忘録

〖備忘録 第22譚〗周りや環境が全てじゃない

 おばんです、シードルです。

 周りの人がみんなやっている……私の地元ではこうだった……こう言われたこと、皆さんはあるでしょうか?

 私はあります。

 それはもう嫌というほど……もうトラウマになるんじゃないか、というほどあります。

 確かに流行に乗るのは良いとは思うんですが……それが度を超すとあることが起こります。

 それが『同調圧力』『強要』といったものです。

「みんなもやっているからあなたもやりなさい」

「なんで、みんなはやっているのにあなたはやらないの!」

 もう多数決主義というか民主主義の負の部分というか……多くの人がやっている=正しい、と思い込んでそれを強要する人ってどこにでもいますよね。

 確かに人間という生き物は脆弱で知能が発達したぶん、個々の純粋な能力では他の生き物に劣るため、昔から群れ→村→国といった風に集団で過ごしていた名残により、多数に靡く傾向はあります。

 しかし、多数だからとそれを強要し反対勢力は排斥するのはもはや形を変えた独裁国家となんら変わりません。

 昔より進歩しているのならその辺りもアップデートしてほしいですが、本能というのは思っている以上に強いようです。

 けれど、果たしてそれが本当に正解でしょうか?

 周りがそうなのだから他とは違うあなたは間違い……その理論を元に反論するなら、

 人を殺めた人間が特別扱いされる場所では人を殺めたことのない人間は間違った人間なのでしょうか?

 不正が横行する会社でそれに異を唱える人は間違いなのでしょうか?

 それを聞くと多くの人は「そんなの人を殺めた人が間違っているに決まっている」とか「不正を真っ向から反対した人が正しい」と答えるでしょう。

 でも、現実とは非常に残酷で傍から見ればそうでも現実に起こると立場や保身、弱み、社会事情などにより簡単に人は真逆の立ち位置になります。

 無名の一般人の証言より、清廉潔白で売り出している芸能人の虚言のほうが大衆は信じやすいのと同じ……。

 人……特に大勢の人の場合は影響力の強い人に付きやすい傾向があります。

 だからといって、無闇に大勢のいうことを信じるなとか自分の意見を貫き通せ、というわけじゃありません。

 とどのつまり、周りが言ったり、やっていたりすることのほとんどは影響力が強いものに左右された結果でしかないのだから自分が違和感を持っていても不思議じゃないということです。

 むしろ、そんな違和感を感じ取った人は自分の芯をはっきりと持っているといえます。

 それに周りと一緒に流されるまま行動することを信条とする人はいつかその流れに巻き込まれ、大きな被害を被ることになりますから少しは反逆心を持ったほうが身を守るうえでも必要といえます。

 懐疑的とまではいかずとも、他者や自分の行いに対し常に考えることが必要だと私は思います。

 けれども、この主張も結局は私の自己満足によるものなので「別にいい」と思っている人もいるでしょう。

 無論、私もこの意見を押し付けるわけじゃありません。個々の自由です。

 大事なのは……

 周りや環境がそうだとして、あなた自身がそうじゃなくてもそれが完全なる正解じゃないので気にしなくていい

ということです。

 SNSが多用されている現在、大衆操作は驚くほど簡単にできます。

 その濁流に吞まれないよう、自分自身を見失わないようにしましょう。

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