前回のあらすじ……

大分の泉都、別府にて熱泉地獄めぐりによる禊を行った私シードル。
時に地獄の苦しみに悶え、時に極楽な美味を経て別府の街を堪能しました。
残る九州地方は長崎、佐賀、福岡……果たして今度はどこに行くのか?
目指すは国際色豊かな港町
4/30日、朝8時……目覚めの気付けとして駅前にあるお湯場にて手を洗ってから、特急列車へ。
前は『旅名人の九州満喫寺社めぐりきっぷ』を購入していましたが、大分や宮崎はほとんどが特急列車の運行……また福岡からは新幹線もあるため、『ぐるっと九州きっぷ』を購入。
この切符はJR九州全線の普通・快速列車の普通車自由席に、連続した3日間乗り放題となるもの。
『旅名人の九州満喫寺社めぐりきっぷ』は期間内に3回分一日乗り放題(長崎以外の市電も)が付いており、一見すればこちらの方がお得に感じるかもしれませんが……大きく違う点としてぐるっとの方は別に特急券を買えば、九州新幹線、西九州新幹線、特急列車も利用できる点です。
トータルで考えるとこちらの方に利があると感じ、選択しました。
九州を列車で旅する際はこのように使い分けるのが良いでしょう。

大分から特急列車、新幹線……そして特急と乗り継ぎ、やってきた次なる場所は国際色豊かな長崎!
なぜ長崎か……それは単純に端から攻めた方が効率が良いから、というのもありますが、九州旅の終着点を福岡とすることで岩手に帰る際に戻りやすいからというのが一番の大きな理由です。
そうすればフリー切符も確実に使い切れますし……。

長崎はどこか西洋や大陸の雰囲気も取り入れた色々な異国情緒が強い街ですね。
果たして、この地ではどんなものに出会えるのか……。

日本で最初の唐寺
しばらくぶらり長崎の街を見て歩くと、目の前に立派な門があるお寺が現れたので、気になって入ってみました。
このお寺は『興福寺(こうふくじ)』……山号は東明山。
日本最古の黄檗宗の寺院で、この山門が朱塗りであるため『あか寺』とも呼ばれています。

真言宗や天台宗などは聞いたことはあれど、黄檗宗はあまり聞きたことがない人もいるかもしれません。
恥ずかしながら私もこのお寺を訪れるまでは全く知りませんでした。
黄檗宗とは日本の禅宗のうち、江戸時代開府はじめの明朝復興の願いに始まった宗派。
実のところ禅宗自体は鎌倉時代から日本に存在しており、他の禅宗には臨済宗、曹洞宗、普化宗といったものがあります。
主に座禅により悟りを開くというスタイルで今日における座禅による瞑想=修行の原点ともいえるもの。
黄檗宗は明から招かれた中国臨済宗の『隠元隆琦禅師』から伝えられ、臨済の師『黄檗希運』の名を取った『臨済宗黄檗派』が始まり、その後臨済宗から独立しました。

明朝風の禅と念仏が一体化した『禅浄混淆禅』(念仏禅)と、読経が楽器を伴う明風の梵唄が特徴で、中国の気風が強いといえます。

寛永元年(1624年)に中国僧の真円により創建された日本最初の唐寺で『長崎三福寺』の一つ。
中国の福建省・浙江省・江蘇省出身の信徒が多いため、境内には『媽祖(まそ)堂』という道教の女神を祀るお堂も置かれており『南京寺』とも呼ばれているそう……異名が多いですね。

教えを伝えた隠元が福建省出身でありインゲンマメや茶の湯など様々な文化を日本に伝えたことを縁として、黄檗文化交流が盛んに行われているそうです。
インゲン豆って隠元禅師が由来だったんですね。

本堂にあたるこの『大雄宝殿』は国の重要文化財に指定されている貴重なもの……祀られている御本尊は釈迦如来です。
御朱印を所望しようと思い声を掛けたのですが、御朱印は取り扱っていないとのこと……残念。
ですが、禅寺を巡るという目的が出来たので良しです。

長崎くんち発祥の神社
興福寺を後にし、ぶらり長崎の街を再び散策。
街を流れる川には鯉のぼりが掲げられ、気持ちよさそうに泳いでいます。
旅の日々を送っていましたが、もうそんな時期になっていたのですね……。

少し道路沿いを歩くと巨大な鳥居と石段が……こちらは長崎の鎮守『鎮西大社諏訪神社』の鳥居です。
奥にはずらっと続く石段……ここでも信仰心が試されそうです。

石段途中にある『祓戸神社』にて禊祓のお参りを行います。
これで身も心も一新。

両脇にはやたらアクロバティックな狛犬が鎮座しています。
立っているのも珍しいですが、倒立しているのは初めてですね……。
なんだか江頭2:50の三点倒立を彷彿とさせます。


ただ、祓い清めたとはいえ、本殿までの道のりはまだあります。
長い階段を上がってお参りする……古代の出雲大社は天にまで届くほどの社だったという記述がありますが、おそらくこんな感じだったのではないでしょうか?

石段を上がり、長崎の街を眺めます。
う~ん、良い景色!
山の手に段々畑のように建物が建っていますね。平地よりも坂や山が多い土地なのでしょうか?
しかし、石段が急のため見返るだけでも少々怖い。

門をくぐってもまだある石段……でもあと一息!

ようやく到着!
いや~、長かった……息を整え、心も穏やかになるまでお祈りします。
鎮西大社諏訪神社の鎮西とは九州を指し、西方を鎮めることをいいます。
御祭神として祀られている『諏訪大神』こと『建御名方神〔たけみなかたのかみ〕』と『八坂刀売神〔やさかとめのかみ〕』は武神であり、厄除けに御利益のある神様。
その他、相殿神として祀られているのは『森崎大神』こと『伊邪那岐神〔いざなぎのかみ〕』と『伊邪那美神〔いざなみのかみ〕』……『住吉大神』こと『俵筒之男神〔うわつつのおのかみ〕』『中筒之男神〔なかつつのおのかみ〕』『底筒之男神〔そこつつのおのかみ〕』がいます。
いずれの御利益としては万物創成や縁結び、海上安全や大漁祈願等です。

鎮西大社諏訪神社はかつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を寛永2年(1625年)に初代宮司の方によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興し、長崎の産土神としたのが始まり。

その後、慶安元年(1648年)に徳川幕府より朱印地を得て、現在地に荘厳な社が建てられましたが、安政4年(1857年)に不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失してしまいましたが、明治2年(1869年)に約10年の歳月をかけて再建されました。
現代においては神社の大祭である『長崎くんち(10月7・8・9日)』が『日本三大祭』の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
長崎くんちの『くんち』とは、旧暦の9月9日を重陽の良き日として祝う中国の風習が伝わり、その9日(くにち)をくんちと読んで祭礼日の意味にしたとのこと。

境内には様々な狛犬がおり、全ての狛犬を探す楽しみもあります。
こちらは頭の上に皿があるカッパ狛犬……水をかけて心願を祈るそうです。

神社の奥の方には稲荷神社もあります。その名も『玉園稲荷神社』
御稲荷さんはどこに行ってもあるので馴染み深くなりますね。なんだかホッとします。

玉園稲荷神社の近くには『厄除けのかえる岩』があります。
この岩は鎮座当時より本殿の上方にあり、形がかえるに似ているころから『かえる岩』『どんく岩』と呼ばれ、注連縄を廻して信仰されていたそうです。
この岩に厄除けの御利益が付いたのは昭和57年7月23日の『長崎大水害』の際……この本殿の裏山が崩れ、かえる岩も本殿近くまで滑り落ちたそうですが、本殿への土砂をくい止めたことによるもの。
以降は災難除けのかえる岩として信仰されています。

災難に遭わないよう……お見守り下さるよう祈ります。

稲荷神社の傍にある御神木である大楠は、稲荷神社が創建された頃よりこの地に自生し、数百年を稲荷の神と共に過ごしている大樹。
この大楠を抱くことで多大なパワーが授かれるとのことで、腕をめいっぱい広げて力を授かります。
ただ、奇しくもこの時の光景を掃除をしに来た神職の方に見られてしまいました。
恥ずかしい……。

もちろん、各末社にもお参り……穏やかな陽光に包まれながら、神社を後にしました。

鎮西大社諏訪神社の御朱印(300円)は拝殿手前にある授与所で頂くことができます。
対応していただき、ありがとうございます。

貴重な文化財が眠る福寺
鎮西大社諏訪神社への参拝を終え、次に向かった場所は興福寺同様、長崎三福寺の内の一つ『崇福寺(そうふくじ)』
山号は聖寿山……宗派はもちろん黄檗宗。
長崎市電の駅名にも使われるほど有名なお寺です。

このお寺のどこが有名かというと第一峰門と大雄宝殿が国宝に指定され、その他の三門、鐘鼓楼、護法堂、媽姐門などが重要文化財に指定されているほど貴重な史跡が残っているということですね。

歴史としては寛永6年(1629年) 長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然という中国僧を招待して創建。
中国様式の寺院としては日本最古のもので、福建省の出身者が門信徒に多いため福州寺や支那寺とも呼ばれています。
また、立教大学の源流となる私塾や、唐通事(江戸時代における中国語の通訳)の子弟のための訳家学校のほか、英学寄宿舎である培社等が設けられ、日本の英学と語学教育の基礎が築かれました。
あの幕末で有名な吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬などの志士も多く訪れ、明治維新で活躍する外交官や通訳者も育むなど、日本の近代化においても重要な舞台となった場所でもあります。

境内にはバックパッカーの外国人(アメリカや中国)の方が座り込んでスマホ休憩をしていました。
門徒に中国出身の方がいるためか、中国人の方が多くお参りしていましたね。
日本人の方はあまり見かけず。

これも交易が盛んだった長崎の地が育んだ風土なのでしょう。
御朱印を所望しようとしましたが、こちらも御朱印はやっていないとのこと……もしかすると黄檗宗には御朱印が存在しないのか……。
中国発祥なので、それが文化なのかもしれません。

異国情緒溢れる商人たちの邸宅
日も暮れ始めましたが、まだ少し時間があるため長崎の名所『グラバー園』へ行って見ることに。
道のりの長い坂には異国情緒漂う建物やカステラ、鼈甲といった特産品がいっぱいです。

こちらはかの有名な『大浦天主堂』……教会です。
中はカメラ撮影禁止。
しかし、この日は入場時間が過ぎていたため入ることはできず。
少し先を急ぎます。

長い『グラバー坂』を上がり、入り口である第一ゲートへ到着。
入場料620円を支払い、いざ園内へ突入です。

園内の至るところにはベンチがあったり、小規模な滝があったり……今までは和風庭園を多く見てきましたが、なんというか……こう滝を広範囲を作るといったスケールの大きさは洋風庭園の雰囲気が出ていますね。
まだ序盤ですが、西洋文化が感じられます。

さすがに長い坂を上がっただけあって、入り口付近から見える景色だけでも絶景。
長崎に来た貿易商人たちはこの景色に魅せられたのも頷けます。

屋敷のある高台まではエスカレーターがあるのでそちらを利用します。
隣にも階段はありますが……さすがに長崎の街を歩き回ったのでこちらに挑戦する気力はありませんでした。

エスカレーターを上がるとまた一段、長崎の街を一望することができます。
やはり山手に建物が多く建っていますね。
なんだか那覇の首里城周辺を思い出します。

園内の一番高い所に位置する建物は『旧三菱第2ドックハウス』……三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎で、元は別の所にあったものを移築したものです。

二階からの展望は長崎の湾内を一望するのに適しており、絶景を眺めることが出来ます。

洋風のテラスに鯉の泳ぐ池……和と洋が調和し、落ち着いた雰囲気を奏でています。



しかし、この高台にこれほどの建物を移築するのはさぞ大変だったことでしょう。

宿舎の近くにはなんだか砲筒が設置されています。
こちらは『高島流和砲』……長崎出身の砲術家・高島秋帆指導のもと、鉄砲鍛冶、野川清造が製造したと言われる和大砲とのこと。
外敵からの侵入防ぐためか、海岸沿いには大砲跡がよく残っていますね。

園内の至るところには西洋らしい意匠が施されています。
なんとうか、どことなく教会などにありそうです。

こちらは『旧長崎地方裁判所長官舎』……長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として、長崎市上町に建てられた明治時代の西欧化を反映した貴重な官庁建築のひとつ。

かつてここには歴代の裁判所長と家族が暮らし、室内には洋室と和室の両方が造られました。
大きな玄関を設け、屋根の軒は蛇腹(じゃばら)で飾り、上げ下げ式の窓が並ぶ現代でもお洒落な建物です。


こちらの水辺には十字架のデザインが……やはりキリストというか教会由来なのでしょうね。

訪れた時には閉まっていましたが、ここは普段カフェテリアになっているそう。
この提灯に関してはどこか中華系を感じますね。

広場には『三浦環』の銅像があります。
三浦環は、戦前に蝶々夫人の主役を2000回も演じて国際的な名声を得たソプラノ歌手。
蝶々夫人とは長崎を舞台に、没落藩士令嬢である蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描いたオペラに登場する人物。
銅像は蝶々さんが幼い息子を隣に、父親のピンカートン大尉が間もなく帰ってくるはずの長崎港を指す姿を表現しているそうです。

こちらは『旧リンガー住宅』……長崎で製茶と輸出を監督の業務につき、後にグラバー商会の茶葉貿易を引き継いだフレデリック・リンガーとその家族が暮らした邸宅です。
中には明治当時、極東一豪華なホテルと謳われたナガサキホテルで使用されていた貴重なカトラリーセットも展示されています。
ちなみにこの邸宅の近くには都市伝説ファンの間で有名な『フリーメイソンロッジの石柱』もありますが、私は見忘れてしまいました。もったいない……。

『旧オルト住宅』は現在、保存修理工事中とのことで見ることができず……その先にある建物へ。

こちらは『旧スチイル記念学校』……東山手9番にあった英国領事館跡地に建てらた学校で設計を行ったのはアメリカ人宣教師ヘンリー・スタウト。
そのため、外観は教会を思わせる様相となっています。
名前の由来は、当時アメリカのダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスティール博士からとって付けられています。

高台にあるグラバー園ですが、園内には滝や池など水辺がかなり豊富。
ここまで水を引いてくるのは大変でしょう……それとも上の辺りから湧き出ているのでしょうか?

そうして各所を巡り、いよいよメインとなる『旧グラバー住宅』へ……。

旧グラバー住宅はスコットランド出身の貿易商人であるトーマス・グラバーが、親子二代に渡り暮らした邸宅。
日本で現存する最古の木造洋風建築で国指定重要文化財。

2015年(平成27)には『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産として世界遺産に登録されているほど貴重な建造物でもあります。

邸宅内には植物を育てるための温室があったり、レンガ造の釜があったりと今まで訪れた邸宅とは一味違います。

室内も広く造られており、開放感満載。
通風と採光を生かした設計とのことで、明るさと清潔感があります。
これぞまさしく紳士の家といった感じです。

もう高級ホテルと遜色ありませんね。
ただ、全部が全部洋風というわけではなく、随所に日本瓦や土壁(漆喰)を用いているなど日本文化へのリスペクトも感じられます。
主張せず、ひっそり趣向を凝らす辺り……真のエレガントですね。

庭には沖縄や鹿児島でもよく見かけたソテツが植えられています。
こちらは知人から贈られたものとのことで、交友関係を大事にしていたかがよく分かります。

異なる文化も受け入れ、うまく調和させる……ジェントルマンの本質を学んだような気がします。

旧グラバー住宅を後にし『長崎伝統芸能館』へ……。
こちらは先ほど訪れた、鎮西大社諏訪神社の例大祭『長崎くんち』で奉納された曳物、傘鉾、担ぎ物などが展示されています。

この龍の造りは西洋から一変、東洋……中国風が強いですね。


傘鉾一つでもこのような精巧な造り……かなり手間暇かけたのがよく分かります。
和洋、西洋、東洋……色々な文化がミックスして生まれたもの、それが現在の長崎文化なのでしょうね。


熱い優しさ溢れる中華街
グラバー園を後にし、日も沈みかかっている最中なのでそろそろ宿に戻ることにします。
街中は帰宅する人で溢れかえり、バスも市電も満杯状態……ここは歩いて向かいましょう。

宿の近くにある駅を目指して歩いている道中、なにやら中国色が強い地帯へとやってきました。
車が多く、特徴的な朱色の門は撮影できませんでしたが、何か変わったものがあることだけは確かなようです。

路地を覗くと何やらワクワクするようなディープな雰囲気……これは行くしかないでしょう!

路地に入り、通りを歩いていると至る所に中華屋さんが立ち並んでいます。
それに豚まんやゴマ団子といった屋台もあり、食欲をそそる良い匂いが漂っています。
夕食は長崎ちゃんぽんにしようかと思っていましたが、我慢ができず……近くの屋台で角煮まんを注文してしまいました。
店の女の子は中国の方のようでしたが、日本語が上手なうえ、可愛く優しかったです。
せいろから出した蒸したて熱々の角煮まんを受け取ろうとしましたが、なんせ湯気が尋常じゃないくらい出ていて「絶対熱いだろう!」と分かる代物。
受け取るのに躊躇していると女の子が優しい笑みを浮かべながら、私の手をそっと取り、ゆっくりと角煮まんを乗せてくれました。
それに対し「熱ッ!」と思わず手を振り払ってしまった私……いやはや情けない。
男なら熱いものでも我慢して受け取るべきでしたが……こういうところが未熟な部分ですね。
彼女の優しさという熱い思いをすぐに受け取ることができませんでした……。
……というか、向こうは熱くないのだろうか?

少し冷めた頃にようやく角煮まんを受け取ることができ、それを食べながらぶらりと散策。
反対側に出てみると派手な門には『長崎新地中華街』の文字が……。
私は食にあまり興味がないためあとで知ったのですが、ここは横浜、神戸と並ぶ『日本三大中華街』の一つとのこと。
江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、海を埋め立ててできた街だそうでかなり歴史があった有名な場所だったんですね。
いやはや勉強不足、修行不足……色々と勉強になります。

長崎の宿にて…
色々なことがありましたが、本日の宿に到着。
本日はJR長崎駅東口に隣接する『JR九州ホテル 長崎』さんへ。
鹿児島で泊まったホテルと同じ系列ですね。

駅構内から直通で行くことができるJRホテルは列車旅にはかなり便利! ありがたいです。
客室から見る長崎の街並みも綺麗そのもの。

長崎にはハウステンボスや雲仙岳、五島列島などがあり、興味がありますが……とりあえず今回は見たかったグラバー園に行くことができたので、そちらはまた金銭と休日に余裕がある時にしたいと思います。
当面の目的はお寺の御朱印……これを無事に手に入れられるかどうか……。
御朱印目当ての参拝というわけではありませんが、せっかく長崎まで来たのですから、どうしても手に入れたいものです。
そうして、長崎のお寺の情報を集めるべく……この日は夜遅くまで調べものをするのでありました。
NEXT……
