〖備忘録 第122譚〗あの日から15年……
おばんです、シードルです。
東北地方を襲った忌まわしい災禍『東日本大震災』から15年経った本日……全国各地では地震発生時刻の14時46分に1分間の黙とうが捧げられました。
15年前は私が19歳の頃……成人に一歩手前だった年です。
逆に、当時小学校低学年だった人達はもう20歳になっていることでしょう。
なんというか不思議な巡り合わせですね。
正式な大人に片足を突っ込んでいた私としては、この15年はあっという間に過ぎたように感じ「もうそんなに経っていたのか……」としみじみ感じるほどです。
幼少期に被災された方々にとってはこの15年は早かったでしょうか? 遅かったでしょうか?
子供時代の体感時間は大人と違って、時間の進みが遅いと感じやすくなるそうですが……。
とはいえ、この15年では能登の震災やコロナ、ウクライナとロシアの戦争……そして、現在、中東で起きているアメリカとイスラエルによるイランの軍事作戦と様々なことが起きています。
そして、復興している所もあれば未だ復興の目途が立っていない所があるのも事実です。
「いずれ時が解決する」
否が応でも時間は進み、環境が変わる事によって深い傷や悲しみが薄れていくことを指していますが、近頃になってふと私は「果たしてそうだろうか?」と疑問に思うことがあります。
去年の3/11の記事においては私自身、時が解決することを支持していたわけですが……
いくら時が進み、環境が変わろうと……変わらないものや変わってはいけないことがあるんじゃないかと思うようになってきました。
特に恐怖によるトラウマや大切なものを失った悲しみは、なかなか癒えません。
中には向き合うことで未来へ歩みを進めたり、良い方へ変わることもあると思いますが、無理をすることでさらに自分を追い詰めてしまうこともあるんじゃないかと……。
だから敢えて言います。
無理して変わらなくても良い
と……。
変わるべき時が来たら自然と変わりますし、変わらなくちゃいけないと強い信念を抱いた時に変われば良いのです。
「いつまでもこんなんじゃダメだ……」と向上心を持つことは良いことなのですが、なかなかこのようなことにもタイミングというものがあります。
よく「あの時あぁすれば良かった」「もっとやっていれば良かった……」とIFとして後悔する場面がありますが……仮にそれが実行できたとしても果たして納得できる結末に至るかどうか。
仮にIFの代名詞である織田信長の『本能寺の変』を例に挙げるとするならば、明智光秀を織田信長が返り討ちにしたり、光秀が謀反を起こさなかったとしても果たして、本当に織田家は天下を手中に治めることができたのか……。
手にすることが出来たかもしれないし、今川義元を討った『桶狭間の戦い』のようにどこかで奇襲を受け、命を落としたり……武田信玄のように『最強』と謳われても急な病で没したり等でどのみち天下を手にすることが出来なかったかもしれないし……。
とどのつまり、世の中というのは巡り合わせによる結果によって生じるので私達はその結果を受け止めるしかない、ということです。
変わる必要があればふとした瞬間に変わるでしょうし、その必要が無ければ死ぬまで変わらない……。
この大震災においては時が進んだ人、未だに時が止まったままの人……色々な人がいますが、ただ一ついえることは『時が戻った人』はいないということ……。
進もうが、止まろうが……戻りさえしなければあの時の苦しみや悲しみ、怒りや後悔を繰り返すことはありません。
動けなくても良い……とりあえず、上や前だけでも向いていれば良い。
色々と不安が多い今の世の中ですが、取り合えず顔だけでも上げて生きていきましょう。




