備忘録

〖備忘録 第78譚〗失うもの…得るもの

 おばんです、シードルです。

 よくドラマで金貸しが債務者へ「お金は使えば使うほど入ってくる。だからバンバン使え」というセリフを聞くことがあります。

 これはある意味では正しく、欲しいものを手に入れた人というのは、その頑張りが報われたことにより仕事をさらに頑張って稼ぐ…というシステムによってお金が入ってくることを指します。

 一方でお金を使うだけ使って、何かを頑張りもせず怠けてばかりいるともちろんお金は入ってきません。

 人によっては不労所得によって悠々自適に生活している人もいるでしょうが、その人はそこに至るまでに人並以上に頑張ってきたか、現在でも知識や見聞を取り入れて努力している人といえます。

 すなわち、努力なくしてそれ相応の対価は得られない…………俗にいう等価交換というやつです。

 しかし、稀に例外として失った代わりに得られる場合もあります。

 皆さんは目に見えるものを失う代わりに、目に見えないものが手に入るとしたら喜んで現在あるものを手放しますか?

 恐らく、ほとんどの方は「そんなのは嫌だ!」というでしょう。私もそうです。

 ですが、事故や事件……災害といった不可抗力な事象により、それを失った場合はどうでしょうか?

 多くの人は絶望の淵に沈んでしまい、人生が変わったり自らの命を危険に晒す投げやりな状態になってしまうかもしれません。

 私も成人になってから肺の病に何度かかかり「さぁ、今年は飛行機を使った遠方旅行や登山に挑戦してみるか!」と意気込んだ矢先…………医者からは「これからは飛行機やダイビング、登山はしないでください」とドクターストップを宣告されました。

 宣告された時はかなりショックでした。

 お酒も飲まず、タバコも吸わず……体に悪いことは周りの人間と比較してやっていない筈なのに、なんで自分だけこういう目に遭って…………周りのヘビースモーカー達は何ともないのか……。

 正直、過去に神様や仏様を恨んで、呪い、大嫌いになった時以来、うつになりかけました。(現在では神社仏閣に行くほどに心は回復しています)

 しかし、とある出来事(このことについては後日、機会があれば記載します。ややスピリチュアル的なことなので……)を踏まえ、よくよく考えると……

「出来ないことが決まったのであれば、変に希望を抱かずにバッサリ捨てよう」

 という考えに至りました。

 人間とは不思議なもので目が見えなくなれば、耳や触感といった感覚が異常に発達したり……失ったものを補填するかのように新たな能力が身についたりします。

 私の場合は考えの反転と深ぼりを獲得できました。

 肺の病は治る見込みはない……なら、自身の体と両親が元気な内にお金を使ってやりたいことをやろう。

 飛行機が使えず、山にも登れないなら車や電車、船を使って平地の場所を旅してみよう。

 そんな具合です。

 出来なければ代替え案を探すのも一つの手ですが、他の分野に目を向けることもまた必要。

 人間なんでも中途半端に出来てしまうと、多彩な手段があるので迷ってしまいがちです。

 それは良く言うと自信の表れというか「自分にもできるのでは?」という期待感……悪く言えば、自身を過剰に見積もってしまう驕りです。

 逆にそれが完全にできない、という状況では他の手段を見つけたり、他の方法を試したりします。

 手段がそれしかなければ、あとはやるしかないので極めるのみです。

『一芸に秀でる者は多芸に通ず』……ということわざにもあるように、一つのことをやり続けるとやがて応用ができるように……誰にも真似できない唯一無二の武器になります。

 もし、何かによって失い失意の底に沈む人がいれば……一度その執着しているものを手放し、別方向でも良いので周りを見渡し、自分にできることから取り掛かりましょう。

 良い気分転換になりますし、もしかしたらいずれあなたの求めていたものに繋がるかもしれません。

 希望は諦めない者の前に姿を現し、運は努力し続けた者の前に舞い降りる…………その舞い降りた鍵を手にして、希望の扉を開けた先に、あなたの本当に欲したものが出迎えてくれるでしょう。

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