備忘録

〖備忘録 第95譚〗愚痴の扱い方

 おばんです、シードルです。

 愚痴……上下関係のあるグループや職場など社会で暮らす者にとって切りたくとも切れないものですよね。

 今では飲み会などで愚痴を言っていないとやっていられない、という人もあれば愚痴を今ない方が自分も成長できるし、周りにも迷惑がかからない……なんていう自己啓発本も多く見られます。

 成功者は愚痴を言わずに己の中で消化し、自身の成長へと繋げ……愚痴を言っている内はいつまで経っても低俗のまま…………とやや過激なことを述べる人も最近では見られます。

 正直なところ、私としてはあまり愚痴を言わないようにしようと努めてはいますが、気心しれた人物や親族には思わず言ってしまったり、今もこうしてブログで吐いている以上、どう頑張っても漏らしてしまうのだなと感じてしまいます。

 じゃあ無理やり自分の気持ちに蓋をして我慢していればいいのか、というとこれもまたよくない。

 傍から見て愚痴を言わない人というのは本心が分かりづらい、というのがあります。

 また、我慢しすぎて己の心身に影響が出て壊れてしまうか、そのストレスを見えない部分で他人に発散してその人を壊すか……いずれかの場合が多く見受けられます。

 これらはあくまで私見なので、みんながみんなそんな人じゃない……というのはもちろんあると思いますが、大多数はいずれかに属するものと私は考えています。

 なんせ、人間に限らず生物は生きるうえで食事をしたり水を飲んだり、取り入れた後は必ず排泄をして体外に出していますよね?

 皮膚や爪、髪だって生まれ変わったり、生え直してきたり……その際は垢となって落ちたり、伸びた部分を切ったりして新しいものと古いものを交換していますよね?

 心もそうで何かを取り入れたら、何かを捨てないといつまでも残り続けて腐り、そこから毒素が出ていずれ自分を蝕む……というのが自然の摂理なのですから、外部からの刺激を受けて愚痴を吐き出すのもまた生理現象といえます。

 中には溜まったストレスを筋トレや趣味で発散できる、という人もいるかも知れませんが他人に『自分の気持ちを分かってもらう』ということがなければ払拭はできないでしょう。

 ですから、理不尽なことを受けて相談に近い形の愚痴は精神の安定をするうえでは寧ろ推奨されるべきでしょう。

 とはいえ、一方的に愚痴ばかり言ってしまうと人が離れていくのもまた事実。

 ただ、人が離れていく愚痴の特徴としては『変えようとしないのに変わらない現状にいつまでも嘆く』というのがあります。

 仕事の愚痴や上司、同僚、部下への愚痴……それも初めはいいでしょう。

 ですが、改善する行動を起こさなかったり、話し合わなかったり、指導をしなかったり……挙句「あいつは何を言っても無駄だから」とハナから諦めて何もしない……そうしていつまでもそのことについて愚痴を言い続けていれば、聞いている側からしたら無限地獄もいいとこです。

 また、聞いてくれた相手が自身の持てる知識、経験を踏まえてアドバイスしてくれたにも関わらず、それを実行しないで失敗して愚痴る……というのも良くないでしょう。

 一から全部他人の言う通りにしなければならない、ということではないですが……人からアドバイスをもらい、それを実行するしないを決めたのは最終的に自分自身なのですから、それで失敗してアドバイスした人に愚痴するのはお門違いといえるでしょう。

 聞いた側からしたら「だからあれほど言ったじゃん!」としか言えないわけです。

 それを受けた話した側はやや興奮状態なわけですから、火に油を注いでエスカレート……やがて関係の断絶に至るのです。

 一時の同情や突発的なことに関する共感に関する愚痴は話しても良さそうですが、長期的に解決しない、または自身が変わる気もないのに現状を嘆く愚痴は控えた方が良いと思います。

 やるやらないと極端になる必要はありませんし、愚痴を一言でも言ったら人間性が大きく変わるというわけではありません。

 愚痴とは人間関係の構築や人生においてのツール……くらいの認識で扱っていきましょう。

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