備忘録

〖備忘録 第11譚〗残したい本当の習俗とは?

 おばんです、シードルです。

 人間が生きていく中で必ずといっていいほど生まれる『習俗』……これには現代をはじめ未来まで残していくべき『因習』と時代の変化に取り残され、悪影響を与える『悪習』があります。

 岩手でも神楽や裸参りといった『無形民俗文化財』が多くあり、その地域の歴史や昔の人々の生き方を知るうえで貴重な因習が多く残っています。

 日本は他国と外海で隔たれている島国なので独自の文化を多く持っており、ことさら冠婚葬祭におけるマナーや地方独自の方言、なまりは細分化されているのも特徴です。

 ガラパゴス諸島の例でもあるように『島』というのは独自の文化や生態系が生まれ、周囲を海で囲まれているため大陸に比べると、外国からの脅威から守られやすい(疫病や侵略等)のが利点ですが、一方で外からの変化を受けづらい……または変化しづらいのが特徴で不測の事態が発生した場合に内々で早期解決するのができないという欠点もあります。

 その国民性を考えるといかに海外が優れた技術や政策を行ってもすぐに改革を行えず、身内ファーストになりがちなのも納得といえるかもしれません。

 良くいえば情に厚い、ですが悪くいえば柔軟に対応できない……これは日本の弱点ともいえるでしょう。

 しかし、一周回って昔のやっていたやり方が現代に合致するという例もあります。

 近年では結婚式の簡略化や同性愛といったものがその典型的な例といえるでしょう。

 以前まではジューンブライドにちなんで六月に結婚式を挙げる新婚夫婦が続出していましたが、現在では膨大な結婚費用の負担軽減や感染症対策といった観点から自粛したり、籍を入れるだけといったケースが増加しています。

 あるいはごく少数の身内だけで行ったり、食事会だけで新郎新婦は写真だけ撮影する……というのもあります。

 この現状に落胆する人もいますが、昔の結婚のスタイルを知る人から見ればこれはおかしいことでもなく、あるがままの姿に戻ったというだけのハナシ……。

 そもそも大勢の友人や職場の人なども呼んで大々的な結婚式を行うスタイルができたのは明治時代における明治天皇の神前式がはじまり……そこから庶民へと浸透していきました。

 その前までは武士の家でさえ、自身の屋敷や家で家族や親類と粛々に行う現代から見ると質素なスタイル……それも他家へのアピールが強い儀式だったのですから、式は挙げずにひっそりとやる、というのは先人達に倣っているともいえます。

 それをメディアでは「若者の結婚式離れ」と報じていたりするわけですから、なにを言っているんだ、という感じです。(そもそも多様性を重んじる、という社会においてそこをツッコむのも野暮な気はしますが……)

 同性愛についてもそうです。

 ニュースなどでは同性婚や男女におけるジェンダーなどが囁かれていますが……多くの人がザ・日本を一番感じる戦国時代では戦国武将の男色が普通……もとい常識でした。

 むしろ、男色を好まず女性好きな豊臣秀吉が異常といわれた程です。今とは逆ですね……。

 さらに武将である夫が出陣している間、城を守る役割の多くは奥方やその側室といった女性陣でした。

 女性的……男性的……その認識において「女らしくない」「男らしくない」という話は未だに聞かれますが、かの有名な武将の伊達政宗だって料理男子でしたし、裁縫などを仕事とする仕立て屋さんも男性が行っていました。

 女性の方でいえば巴御前や中沢琴といった方々は「戦は男がするもの!」という戦乱の時代においても戦働きにおいては男より活躍し、あまつさえ『生前無敗』を誇る女傑です。

 ちなみに中沢琴はかなりの美貌の持ち主で30代半ばになっても求婚の依頼が絶えなかったそうですが「自分より強い男のところに嫁ぐ」といい、申し込みにきた男たちをことごとく打ち負かし、結局彼女に勝てる男はおらず生涯独身で生きた、とか……そこまで来るとリアルかぐや姫、というか生き様からカッコよく憧れてしまいます。

 このように先人達は固定観念などに囚われていないどころか、自由に生きていたわけです。

 これを受けてなかには「男色と同性婚は違う!」とか「時代が時代だからだ!」と批判的な意見もありそうですが……根本的な部分は同じだと思いませんか?

 それに比べると私達子孫はTPOだ世間体だ、マナーだの細かい部分に色々とこだわり過ぎている気がします。

 お葬式でもそうです。

 身内だから仲が悪かろうが、殺したいほど憎かろうが必ず葬式には参列してご香典を……と聞きますが、虐待や嫌がらせ、DVをしていた身内の葬式にも必ず参加しなければならないのでしょうか?

 もし私が故人だったら、死ぬほど嫌いな人には来てほしくないし、大切な人には悲しみに暮れるのではなく笑って思い出話をしてくれたほうが断然ありがたいです。

 死ねば仏だから、といい嫌々ながら来られて祈られても気分が悪いですし、遺産相続や仲が悪い親族同士でケンカされたもんじゃ、もう葬儀なんてやめてくれ! と訴えたいほどです。

 もちろん、お世話になった人とか疎遠になっていたとはいえ恩義を感じているなら参列しても良さそうですが……この身内だから親類だからという『同調圧力』は人ならではの業といえるでしょう。

 お祭りもそうです。

 地域でやる伝統だから……結束だから……お祭りは楽しいものだから絶対参加するよね?

 もう脅迫です。

 地域でやるからといって全世帯が漏れなく全員参加するわけじゃないし、中には人混みが苦手だったり、外せない用事がある人だっているのですから……この『固定観念』の押し付けも悪習の一つといえるでしょう。

 伝統や礼節も押し付けないことで『因習』となり、押し付けることで『悪習』となる……時代や人に合わせ、臨機応変に対応することこそがご先祖様が後世に残したかった本当の『習俗』なのかもしれません。

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