岩手は奈良・鹿児島同様、日本国内最多となる3つの世界遺産を有しています。
それぞれが先史・中世・近代と時代ごとに分かれているのも特徴で、県内の地域ごとに歴史文化を知ることができる土地であるともいえます。
今回はその中でも一番古い『先史』を知ることができる世界遺産についてご紹介します。
縄文時代を知ることができる史跡
概要
一戸町にある『御所野遺跡』は『北海道・北東北の縄文遺跡群』の構成資産の一つとして、2021年7月に世界遺産登録されました。
『北海道・北東北の縄文遺跡群』とは北海道、青森県、秋田県、岩手県の4道県に点在する17遺跡のことで、それぞれが縄文時代草創期から晩期の各時期の代表的な遺跡で構成されているほか、海岸や内陸の河川沿いに営まれた集落であったり、祭祀を行うための遺跡など、縄文時代を総合的にとらえることができる資産構成となっています。
縄文文化は狩猟・採集・漁労によって定住を達成した世界史上まれにみる文化のため、これらの遺跡は農耕以前の北東アジアの人類の生き方を明らかにする貴重な資料でもあります。
御所野遺跡は『御所野縄文公園』としても整備され、竪穴建物、掘立柱建物、配石遺構などによる集落が再現されており、園内には博物館も併設されています。
詳しくはHPにてご覧ください。
アクセス
『御所野遺跡』は『国道4号線』沿い根反川沿いにあります。
遺跡へのルートとしては4号線沿いを進んで行くと案内板が随所で見つかるため、比較的行きやすいと思います。
また近くには座敷わらしがいるとされる古民家カフェ『うらら亭』や国指定特別天然記念物である『根反の大珪化木』もあり、見どころ満載です。
無論、遺跡の入り口には駐車場も完備されています。
開園時間は9時~17時(ただし、最終入園は16時30分まで)で休園日は月曜日(ただし、祝日の場合はその翌日)と年末年始となっています。
園内と駐車場に関しては無料です。
探勝レポート
それではさっそく探勝といきましょう!
今回は駐車場に車を停めてからスタートです。
こちらが『御所野遺跡』への入り口『きききのつりはし』となります。
近くにバス停もあることからバスでも行くことができます。
いわて銀河鉄道『一戸駅』から出ていると思われますので、そこからバスやタクシーを乗り継いで行っても良いでしょう。
比較的アクセスの手段は豊富です。
入り口をくぐると木で出来た歩道橋がひたすら続いています。
オブジェとして土器も飾られているのがとても良いですね。
床はガラス張りではありませんが、側面はガラス張りで景色が丸見えのため、高所恐怖症の方はご注意ください。
現代から太古へつながるタイムトンネルをくぐると出口の目の前に草に覆われた土屋根の建物が姿を現しました。
この建物は『御所野縄文博物館』
園内は無料ですが、こちらの館内に入るには大人300円、大学生200円の入場料が必要です。ちなみに高校生以下は無料となっています。
館内に関する撮影は可能ですが、今回は敢えて画像は載せません。
中には第一から第三まで展示室があり、出土品の展示や発掘の様子、郷土資料の紹介やミュージアムショップと多彩なものとなっています。
正直、これが300円で良いのか。と思ってしまうほどなので、ぜひとも入館してその目で見て下さい!
それでは御所遺跡内を散策していきましょう。
西日は優しく辺りを照らし、散歩するにはちょうど良いですね。
御所野縄文公園内はかなり広大で一回りするだけでもそこそこ体力を使いそうです。
遠くには竪穴式住居や高床式倉庫など歴史の授業で見た風景が広がります。
こちらが竪穴式住居…大きなものから小さなものまでさまざまあります。
盛土をして、地下に穴を掘るように作られています。
このような地面に接しているタイプは『伏屋式(ふせやしき)』と呼ばれており、これとは別に壁を立てて直接地面に接しないタイプのものもあり、そちらは『壁立式(かべだちしき)』と呼ばれています。
主に使われた時代は縄文・弥生時代ですが、意外にも中世・近世でも使われていたという記録もあります。
夏は涼しく、冬は中心の炉で暖かくなり、その煙で屋根も長持ちする効果もあり、大金をかけて地下シェルターを作るよりもこの住居を作った方が安全面、コスト面、簡易面において優れているのかもしれません。
余談ですが、さんざん竪穴式住居と述べていましたが住居以外にも使われた形跡があり、『竪穴建物』と呼称している方針になっているのだとか……習ったことがどんどん塗り替えられていく時代の流れを感じますね。
こちらも歴史の授業でお馴染みの『高床式倉庫』……食料を主に貯めこんでいた建物ですね。
こういう高い構造にしたのはネズミなどの小動物による食害を防ぐためで、柱を上ってきたとしても登りきれずに落ちるよう『ネズミ返し』の設計になっているのだとか……また、地面から高い位置に作られているため、湿気などからも守る役割もあったようです。
本当、昔の人というのは頭が良いですね。
現代は便利になって暮らしやすくなりましたが、知恵比べでは私達の方が負けるかもしれません。
ちなみにこのはしごを上がって内部を見ることはできません。
落ちると危ないので、見上げるだけにしましょう。
園内は『東ムラ』『中央ムラ』『西ムラ』と分かれており、それぞれ復元された遺構を見学することができます。
こちらは『配石遺構』……色々な形で石が組み込まれたおり、周辺には墓穴が密集しています。
住居の近くに墓石がある……古代の人にとっては死はとても身近であると同時に死後も生前と変わらないようにしていたのかもしれませんね。
そういえば、戦国時代の霊の話はよく聞きますが平安時代より前の時代の霊の話はあまり聞いたことがありません。
もしかすると時代があまりにも古すぎれば成仏するよりも蒸発してしまうのかもしれません。
思えば、霊の概念も仏教が伝来して以降のもの……それ以前の時代では怨霊という概念がなく、幽霊というものになれなかったのかも……(知らないけれど…)
こちらは……高床式倉庫の建設途中でしょうか? それとも休憩場所や会合場所?
よく分からないですが構造的に『掘立柱建物』であることは確かでしょう。
少し内部を覗いてみますか。
すごい柱が組み合ってかなり編み込まれていますね。
そして、見れば分かる……絶対に涼しいやつやん!
なんだか、南国の水上に立つ建物みたいですね。
ただ、こちらは東北…………冬はかなりしばれそう(寒そう)です。
園内の端の方には無料休憩所でもある小屋が完備されています。
トイレ休憩にも最適ですが、この日はスズメバチ先輩がいたので絡まれないようにスルー。
園内にはウルシやクリ、ドングリを始めとした様々な木々が生えています。
昔はこのような木の実を主食としていました。
白米のある現代から見れば質素かもしれませんが、意外と栄養は豊富で昔はたくさん生えていました。
平安~江戸時代は飢饉や干ばつ、など食料不足が目立っていましたが、一説によるとそれ以前の時代は環境が豊かなこともあってか食料はかなり豊富だったようです。
現代は様々な食べ物な手に入り、食生活が豊かになりがちですが日本の食糧自給率は低く、熊を始めとする野生動物が食料を求めて街中に現れる時代……人も動物も食に恵まれていたのは太古なのかもしれません。
こちらは火災実験の跡……復元した建物を二年後に燃やして実験した後とのことです。
もう一つは火おこしの跡でしょうか?
きりもみ式で火を起こすのは大変な労力と時間を要します。
火を維持する…………古代の人々にとってはとても重要だったことでしょう。
雑木林の中を散策していると石でできた高台を発見しました。
ちょっと上って見てみましょう。
ところどころ木々で遮られていますが、良い眺めです。
この時の時間は夕方……明るさもちょうど良いですね。
最後に園内をぐるりと一周……この日は私以外誰も園内におらず、この広大な空間を独り占めすることができました。
体全体で太古の息吹を感じる……これ以上ない贅沢ですね。
おわりに
世界遺産に認定されるだけあって、どれも貴重な文化財でした。
特に当時の復元された建物を間近で見ることができるのはなかなか無いことでしょう。
クリやドングリといった食べられる木の実をムラ近くに植えていることも、より当時の生活風景を再現しているといえるでしょう。
先人達の生きた証……皆さんも一戸町を訪れた際はぜひともご覧になってください!