前回のあらすじ……

首里城界隈を探勝の最中、膝の痛みを患った私シードルは休養と沖縄土産の購入のため、那覇市国際通りで一日を過ごすことに。
序盤には豪雨だったものの琉球の神様の粋な計らいか、天気は回復し、地元の美味しいものを食べて体力も回復。
足の痛みも軽快に治癒しました。
さて、今回向かう沖縄の場所は一体どこなのか?
目指す地は琉球神ゆかりの地
4/19日、朝9時……この日はレンタカーを借りて沖縄の中部および南部の地域を旅します。
というのも前々から行きたい場所があったのですよ。
那覇市から高速道路を利用して北上……うるま市へと到着。
そこから市街地を通り、東へ向かいます。
車を運転していて思いましたが、沖縄って意外と民家やお店が多いんですね。
どこに行っても家、店、車、人が必ずいる……のどかな南の島をイメージしていた私にとってはちょっとしたギャップで驚きでした。
やはり一部の情報ではなく、自身の足で動き、目で見た情報が大切なのだと改めて痛感。
そんな賑やかな街を通り、海辺に出た後は『平安座島』『宮城島』へ続く『海中道路』を走ります。

海中道路といっても海の中を通るわけでも、満潮になったら沈むわけでもない、海の上に架けられた眺望が素晴らしい道路です。
途中には道の駅の亜種、海の駅『あやはし館』もあります。
山の駅、川の駅、町の駅、森の駅は今まで見たことがありますが、海の駅は初めてです。
あとあるとすれば……空の駅でしょうか? もはや空港で良いじゃないか。
周囲にはマリンスポーツを楽しむ人々がおり、ここだけ切り取ってグアムやハワイといっても誤魔化せそうな気がします。
改めて……日本ってなんでもありますね。

海中道路を通り終え、平安座島にある多目的広場にて一時休憩。
少し見づらいですが、向こうに橋の架けられた島が見えます。
あそこが本日の最初の目的地『浜比嘉島』となります。
ちなみにここまで来ると人の数は一気に激減。
他の車を気にせず、快適に走って浜比嘉島へ………。

浜比嘉島へ到着。
のどかで良い景色……こちらの海もとても綺麗です。
本部や那覇の海とはまた違って、青みはやや薄く透明度が高いですね。

ここは離島なので本島と違って人も少なく、落ち着きます。
やっぱり、人の多い所は根本的に苦手なようです。
この浜比嘉島は通称『神の島』とも呼ばれ、琉球の起源の地ともいわれています。
南部にある『久高島』と並び称されるほど神聖な島でもあります。
神の島といわれるだけあって、島内には様々なパワースポットが点在し、拝みに訪れる方は多いそうです。
神計らいのお礼にお墓参りへ
港に車を停めて、どうしても行きたかった場所へ。
そこは『アマミチューの墓』

比嘉集落の東に位置する海岸に小島(『アマンジ』)……そこが琉球の祖神とされるアマミキヨの墓といわれています。
アマミキヨの他、夫であるシネリキヨや多くの神々が祀られていると伝えられており、無病息災や子孫繁栄を願う拝所として有名です。

この島の入り口では地元のおばあさんがコーヒーや特産品である『もずく』を販売していたり、島の前の道路にある直売所では子宝の御守りを購入することができます。
私が行った時には両者ともおらず……。


そういえば、さんざん琉球やアマミキヨというワードを使っていたのに肝心の琉球神話については詳しく触れていませんでしたね。
改めて、沖縄創成の琉球開闢神話について述べましょう。
開闢伝説に関しては色々なものがありますが、最も有名で一般的とされているのが「ニライカナイという神々の暮らす世界から、現在の久高島の地に女神が降り立ち琉球という世界を作り始めた」というもの。
この神話に登場する女神というのが『アマミチュー』こと『アマミキヨ』です。
そして、その夫となるのが『シネリチュー』こと『シネリキヨ』
日本神話でいうイザナギ、イザナミの立ち位置というわけです。
この二柱は初め、久高島に降り立ったのですが住む場所となる洞窟が無いため、今度は津堅島へと渡りました。
しかし、そこには洞窟はあったのですが、生活で使う水がありませんでした。
そうして、浜比嘉島に渡ってようやく洞窟と水を見つけたため、この島に住むこととなり、子供が生まれ琉球(沖縄)の子孫が繁栄していったというわけです。
つまり沖縄の人はみんなアマミキヨとシネリキヨの子供達というわけです。人類みな家族!
それが浜比嘉島が初めに降り立った久高島と共に『神聖な島』『神の島』と称される由縁なのです。
ニライカナイ信仰や御嶽が大切にされているのもここから来ているというわけですね。

そんな島を見渡すと海沿いギリギリに細い道を発見。
頭を岩にぶつけないように進んで行きます。
道も海水で濡れており、とても滑りやすくなっているので上下注意ですね。

濡れた道を進むとほどなくして、石とコンクリートの階段がどうやらここが入り口のようですね。

そんな入り口の前には根本が細くなった岩礁と綺麗な海と空……お墓としては眺めは最高ですね。
もし自身の墓を建てるならこういう所に建てたい。

階段を上がるとそこには石造りの立派なお墓が……!
ここがアマミチューの墓です。
供花は枯れてしまっていますが、手入れはかなりしっかりされています。
一礼した後、手を合わせてお祈り……仏教式、本土式で正式な方法じゃないかもしれませんがお許しください。

コンクリートで補強されている上部には貝殻が埋め込まれており、海辺らしさが出ていますね。
沖縄には本土で使われているようなお墓もありますが、ほとんどが首里城周辺探訪の際に見かけた屋根付きのお墓『破風墓』と道路沿いで見かける亀の甲羅のような丸みを持った屋根のお墓『亀甲墓』となります。
どちらも元は琉球王国時代に王族や身分の高い者にのみ使われ、庶民が作ることは禁じられていました。
ちなみに以前に訪れた『玉陵』は最大最古の破風墓でもあります。
今では多くの沖縄の家で主流となっていますが、庶民が作るようになったのは廃藩置県後……すなわち明治以降と比較的最近です。
では、それまで庶民はどのようなお墓を使っていたか……それはこのアマミチューの墓のような自然の洞窟や斜めに掘った横穴を使用した『掘り込み墓』というものです。
これは沖縄の風葬と洗骨という慣習が主な理由。
遺体を敢えて野に晒し、鳥や獣、虫によって肉を食べてもらう風葬の文化は世界中にありますが、沖縄ではそうして骨のみになった後、遺骨を洗って清め、骨壺に納めていました。
そして、沖縄には『門中制度』とよばれる父系で直系の人々が先祖を祀るという制度があり、同じお墓に代々遺骨を納めていたわけです。
そうなると、火葬の風習がないのでお骨はどんどん溜まっていきます。
本土のような小さなお墓では納めきれなくなるわけです。
さらに台風などで風雨の激しい沖縄ではヤワなお墓はすぐ壊れてしまいます。
つまり、大きくて頑丈なお墓が必要だったわけです。
そうして、王族や身分の高いものは装飾を凝らすために破風墓や亀甲墓を作り、作ることを許されなかった庶民は風雨では壊れない広い洞窟や横穴を利用したということです。
このアマミチューの墓も元は洞窟で入り口は岩で塞いでいたそうですが、波による浸食や劣化などでコンクリートで補強されていきました。
今では破風墓に近いものですが、元は洞窟だったと思うと人々により近しい神様だったのですね。

この雄大な景色を眺めながら人々を見守る……。
アマミキヨ様も喜んでいるでしょう。

透明度は驚くほど高いですが、残念ながら魚一匹……それどころか生き物一匹見当たりませんでした。

この美しい空と海……いつまでもお守りください。
……いや、お守りくださいではなく私達が守っていかなくちゃいけないですね。
せめて、この気持ちが守られ後世にも伝わっていきますように。

最後まで抵抗した名将の居城
アマミチューの墓を後にして、本来ならば『シネリチュー霊場』という場所に行きたかったのですが、道路の幅が狭く、傷つけるのが怖かったため予定を変更。
道中に見かけた『勝連城跡』が気になったので向かってみます。
道路を隔てた駐車場に車を停めて、歴史文化施設館『あまわりパーク』で入場料(600円)を支払い、勝連城の歴史を勉強した後で城跡へ行きます。
入り口から分かる……広大なお城!
というか、城までの道のりが遠い!
一応ここから専用の車で石壁近くまで行くことができますが……私は歩いていきます。

途中には私の好きだったテレビ番組『冒険少年』でたびたび登場した悪魔の実こと『アダンの実』が……!

実物を見られるなんてなんだか少し感動です。
この実は食べると特殊な能力が得られ、カナヅチに……はなりませんが、これを食べた芸能人達がこぞって悶絶しているので味はそっくりなのかもしれません。
一応ここは管理されている場所なので実は取りません。
草原のような芝生の傾斜を上がり、ようやく名前の刻まれた石碑前に到着。
近づいている筈ですが、距離感はびっくりするほど変わっておらず。
これは長い戦いになりそうです。

城攻めまでの道中には数々の遺構が点在しています。

こちらは『マチダ・ナケージガー』
王府編纂の地誌『琉球国由来記』に記載されている『マチダの御嶽』『ナケージの御嶽』に縁起を持つ特別な場所で、王国時代より神々と繋がる泉(カー)として、少なくとも300年以上の歴史を持った祈りの場です。
旧暦の2月と8月に村の安寧を祈る『御願(うがみ)』を行う場所で、現在も地域の信仰の対象とされているそうです。
その近くには一際大きな井戸のようなものが……

こちらは『仲間ヌウカー(カンジャガー)』
12世紀から15世紀前半のグスク時代にこの地域の鍛冶屋(カンジャー)であった『仲間家』が使用していた泉である、という伝説からとられています。
周辺の発掘調査では鍛冶屋跡は現在のところ発見されていませんが、仲間家の先祖は安全な場所を求めて、鍛冶屋の場所を替えながら武具の製作や修理を行っていたと伝えられています。
そういえば、あの有名な女優…仲間由紀恵さんは沖縄の出身でしたね。
もしかして、この仲間家と関係があるのでしょうか?

さぁて、いよいよ本格的な城攻めといきましょう!
ここで今さらですが、勝連城の歴史について触れていきましょう。
勝連城は14世紀初頭に英祖王統2代、勝連按司によって築城されたといわれています。
しばらくの年月を経て……圧政を敷き、酒に溺れていた9代目勝連按司の茂知附按司に対して、後に最後の城主(10代目)となる阿麻和利が謀反を起こし殺害。
この地方の按司として成り代わり、海外貿易を中心としてますます力を付けました。
阿麻和利は『護佐丸・阿麻和利の乱』で護佐丸を討ち取ったのち、尚泰久王をも倒そうと琉球の統一を目論んだそうですが、1458年に王府によって滅ぼされることとなります。
そのため正史では護佐丸が忠臣……阿麻和利が悪人とされていますが、阿麻和利自身は前城主を討ち取った後、海外との交易を盛んに行い、一大文化を作りかけ繁栄させるとともに善政も敷いていたとされているため、もしかすると勢力拡大を疎ましく思った王府により謀られたのかもしれません。

城内には逢瀬の場であった『縁結びの泉』や……

訪問者が手足を清める泉などがあります。
今まで訪れた城の中では泉の数が多いですね。

城の曲輪からの眺めは周囲をぐるっと見渡せるほどの絶景が広がっています。
ここなら、海からでも陸からでも誰が来たか分かりますね。

勝連城はその美しさもさることながら、自然の断崖を利用した難攻不落の城塞。
確かに今帰仁城や首里城とはまた違った雰囲気があります。

両側に海はありますが、池や森、山などがあり田畑も広がっていたであろうちょうど良い広さの陸地が続いています。

もちろん御嶽もちゃんとありますよ。
だいたい大きな木や茂っている場所があれば御嶽と思ってまず間違いないです。

かつて大きな屋敷があったであろう遺構跡も……こんな眺めのいい場所に住めば毎日気分が良いでしょうね。


こちらは火神(ヒヌカン)を祀る場所。
欲見ると竈っぽく見えなくもないです。

そばにはどこかに繋がっているであろう謎の穴が……これは自然洞穴である『ガマ』
有事の際の避難口に使われていたようです。


どこから見ても眺望は最高!
まさにこの地を治める場所にはもってこいですね。


城跡の頂上はもはやその辺にある小山より高くなっており、開放感が凄まじいです。
空もとても高い!

近くにある港も一望でき、遠くにある島々まで見渡すことができる……軍事拠点としてはまたとない場所でしょう。


こちらは『玉ノミウヂ御嶽』
かつてはここに霊石を納め、この勝連を守護とした神聖な場所です。

そんな御嶽の傍にはこれまた謎の穴が……伝説ではここから先ほどのガマに繋がっているとのこと。
現在は入ることはできません。


曲輪は全部で4つあり、そのどれもがまるでスロープのように傾斜となって遠回りするような造りとなっています。
外観だけを見ると段差だけの場所もあり、そんな風には見えませんが上がるのに意外と体力を使います。
外敵はさぞかし攻めにくかったでしょう。
無論、城に来る人も……。

しかし、今帰仁城や首里城と比較すれば歩きやすいことも確かです。
帰りは記念に御城印を思いましたが、残念ながら販売している場所は発見できず。
調べた際は存在はしていたので、もしかしたら間が悪かったのかもしれません。
琉球王国最高の聖地
勝連城を後にして、今度は南部の方へと車を走らせます。
沖縄の東部から南部にかけては高速道路は無いですが、いくつかの道があり意外にも時間がかからずに次なる場所へ到着。
訪れたのはパワースポットとしても有名な『斎場御嶽(せーふぁうたき)』
入場券売り場から御嶽の入り口まではかなりの距離があるため、長距離移動に不安がある方は少し注意が必要です。

御嶽に入る前に池の近くで可愛らしい子を発見しました。
単純に考えればアカハライモリかもしれませんが、ここは沖縄ですからそれ以外かもしれません。
なんにせよ御嶽に入る前でしたので、神様の使いか何かかと思いました。

木々の間……海の彼方には神聖なる島『久高島』が見えます。
御嶽は様々な所にありますが、ここ斎場御嶽は琉球開闢伝説にも記される、琉球王国最高の聖地。
琉球国王や聞得大君(きこえおおきみ※琉球信仰における神女の最高位)の聖地巡拝の行事を今に伝える『東御廻り(あがりうまーい)』の参拝地として、現在でも多くの人々から崇拝されています。
琉球王国時代では国家的な祭事を行う際、久高島から聖なる白砂を特別に運び入れ、それを御嶽に敷きつめるほど…………久高島と斎場御嶽は密接な関わりがあります。

斎場御嶽内ではいくつかの禁止事項があり、分かりやすいところでいうと……
・過度な肌の露出をしている服装は避ける(Tシャツ、短パン、サンダル等)
・御嶽内の岩や草木には触らない。
・御嶽内の物を持ちだしてはいけない。
・立ち入り禁止区域には入らない。
・祈りを捧げている人の邪魔をしない。祈っている人の写真を撮らない。
・御嶽内を過度に写真撮影してはいけない。特に拝所を背にして写真を撮ってはいけない。
等々があります。
暑い日差しの中ですが、私も上着を一枚羽織って肌の露出を少なくしました。

この香炉(左にある石)がある場所が神聖なる斎場御嶽への入り口となります。
入る際は神社の鳥居のように一礼してから入らなければなりません。
ここから先はいくつか写真を撮らせて頂きましたが、神聖な場所のため載せる写真は最低限となりますので、実況のみでご了承ください。
御嶽内は南国特有の木々が生い茂る普通の森……しかし、一歩足を踏み入れると不思議なことに空気が急にひんやりとしてきました。
ただ、よくある「悪寒を感じる」というほどの強い寒気ではなく、心地よい冷房のようなひんやりした空気です。
御嶽の外ではあれほど強烈な日差しで倒れそうな暑さだったにも関わらず、御嶽へ入った途端にガラリと変貌……上着を着てちょうど良い温度といったところ。
鬱蒼と茂る森の中のためか日差しもあまり入らず、風も無い……けれど、鳥の声や虫の音はちゃんとしていて暗い感じは無い…………今までのんびりとした沖縄の雰囲気で久しく忘れていた『厳か』な空気を肌身で思い出しました。
そうして、森の中にところどころ現れる岩壁と拓けた場所……そこはイビという神域で全部で6つあり、琉球国王はこの六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願したとされています。
ちなみに斎場御嶽は本来は男子禁制の場所で主に入ることが許されたのは女性の祭司やユタなど……琉球国王ですら入る時にはわざわざ女装したというのですから、その徹底ぶりは尋常じゃありません。
今の時代に感謝ですね。

斎場御嶽といえばこの場所が最も有名かと思います。
ここは『三庫理(さんぐーい)』…… 3つの拝所が集中する最奥部で『チョウノハナ(京の華)』という最も格の高い拝所があります。
ここにあるクバの木を伝って琉球の創世神であるアマミク(アマミキヨ)が降臨するとされています。
この三角の穴の先でははっきりとした久高島を拝礼することができ、以前は観光客も行くことができたようですが、昨今のマナーの悪さにより現在は立ち入り禁止となっています。
マナーを遵守し、貴重な史跡を守っていきたいですね。
ちなみに手前には2本の鍾乳石から滴り落ちてくる『聖なる水』を受ける2つの壺(シキヨダユルアマガヌビー、アマダユルアシカヌビー)が置かれています。
この水でかつては吉凶を占ったとされており、琉球王国時代から続く歴史を感じることができます。

斎場御嶽へ出て、入場券売所兼売店で休憩。
水平線の彼方まで見える美しい海が疲れを癒してくれます。

近くには岩手でもたびたび見つけていたポケモンマンホール『ポケふた』があります。
ポケモンはマングースをモデルにした『ザングース』とハブをモデルにした『ハブネーク』……沖縄らしいポケモンですね。
リゾート地より旅立つ飛行機を見送る
斎場御嶽を後にし『ニライカナイ橋』を渡りながら那覇市に向かって車を走らせます。
このニライカナイ橋からの眺望は海全体を見渡すことができ、控えめに言っても最高なのですが、橋の上では車を降りることができないため、写真は撮れませんでした。
近くには橋ごと眺めることができる展望台もあるそうですが、レンタカーのタイムリミットが迫っていたため、今回は寄ることができませんでした。
もし、時間に余裕のある方がいましたらぜひとも寄ってみてください。
夕暮れも迫る中、早くしないと渋滞に巻き込まれてしまう……そう内心焦っていたのですが、車は思ったよりも早く那覇近郊へ。
ただ、どこかをじっくり見るには少し足りなかったので、少し気になっていた『瀬長島』へと立ち寄りました。

瀬長島は沖縄屈指のリゾートアイランドで、那覇空港から車で約15分ところの場所にあります。
那覇からは近いのですが、那覇市内ではなく豊見城市の区域。
ここでは綺麗なビーチでの遊泳はもちろんのこと、有名なのがグルメやショップが多く立ち並ぶ『ウミカジテラス』です。
国際通りに並び、こちらでも多くのテナントがあるため雨の日でも楽しむことができます。

瀬長島には元々、瀬長グスクという城跡や御嶽、拝所などがあり、こちらも『神の島』と呼ばれていましたが、米軍に接収され軍基地の一部となった際に破壊されており、現在はわずかな面影が残るのみとなりました。

かつて瀬長グスクのあった場所は見晴らしの良い公園となっており、那覇空港から飛び立つ飛行機を間近に見られたり、海に沈む夕日を見ることができる絶景スポットとなっています。
この日は天気が良かったためか、海沿いの道路にはびっしりと車が停められ、夕日を待つ人々でごった変えしていました。
夕日を撮影する場合は早めに来た方が良さそうですね。

展望台でボーっと海を眺めていると、那覇空港からちょうど飛行機が飛び立ちました。
これから海外へいくのか……はたまた本土へ向かうのか……。
どこに行くのか分かりませんが、無事に良い旅をお過ごしください。
グッドラック!

飛び立つ飛行機を眺め、時間も良い頃になったため、那覇市へ戻ってレンタカーを返却し、この日の探訪は終了。
琉球の神々と歴史にゆかりのある地を巡った実に良いものでした。
さて、明日はどこへ行くのか……旅の楽しみはまだ尽きません。
NEXT……
