沖縄を一通り旅した後……

本来ならば風邪も引いているため、一旦は岩手に戻るべきなのでしょうが……幸い、症状はまだ軽いため、どうせなら九州を旅してから戻ろうと思い、このまま継続することとしました。
というわけで、ここから九州旅編スタートです!
琉球から薩摩の国へ
4/23日……『マルエーフェリー』さんのフェリー『波之上』に乗り、一晩過ごした後……朝になり起きてみると船の先には鹿児島の港が……。
どうやら沖縄本島から本土の鹿児島に無事着いたようです。
船から降り、鹿児島中央駅行きのシャトルバスに乗って、一度駅へと向かいます。
あぁ……あの大きな観覧車が懐かしいな。

鹿児島中央駅に着いた後は沖縄で購入したお土産や余分な荷物をまとめ、岩手の実家へ郵送。
そうして、今回の重要な足である『旅名人の九州満喫寺社めぐりきっぷ』を購入。
この切符は九州の鉄道・軌道の普通・快速列車、路面電車が3回分1日乗り放題となるフリー切符(※ただし、長崎電気軌道はご利用になれません。)と『特別御朱印頒布券』4枚がセットなった切符です。
『特別御朱印頒布券』は特定の神社仏閣でJR九州とコラボした御朱印と交換してくれる特別な券! ただし、御朱印料は別途お支払いとなります。
利用販売時期は2025年4月1日~2025年10月31日まで……しかし『特別御朱印頒布券』のない『旅名人の九州満喫きっぷ』は通年で販売利用できます。(値段はどちらも12000円)
つまりこれ一枚で九州全土を行き来できるというわけです。
そんな夢のチケットを手に入れたので、さっそく使いたいところですが……まずは歩いていけるある場所へと立ち寄ります。

鹿児島の街並み……どこか懐かしく、歴史のある感じがしますね。
傍にある用水路には金魚が放たれおり、優雅さもあります。温暖な地域の特権ですね。
岩手をはじめとする雪深い地域では真似出来ない景観整備ですね。
西郷どんに会いに行く
ぶらぶら歩き、小雨も若干降り始めた頃……ようやく歩いて行けるとある場所へ到着。
その場所とは……

薩摩が誇る勇士、西郷隆盛像!
江戸城無血開城や明治新政府樹立など、明治維新に最大の功績を残した偉人。
突然職を辞めて鹿児島に帰郷したかと思えばその後に西南戦争で新政府軍と戦い敗北。この地で自刃されました。
この像は『照國神社』の傍にあり、陸軍大将の制服というかっこいい姿で自刃した城山の地を背景に仁王立ちしています。
高さは8mで没後50年祭記念として、鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の『忠犬ハチ公』の制作者でもある安藤照さんが8年をかけて製作完成させました。

銅像自体がかなり大きく、厳つい雰囲気を放っています。
この像だけでも立派な魔除けになりそうです。
道路を挟んだ先には専用の撮影スポットが設けられており、無料で利用できるのもありがたいですね。
皆さんもぜひ、西郷どんに会いにいらしてください!
鹿児島市内の大きなお寺
西郷どんと別れ、最寄り駅へ行こうとしましたが……すぐ近くにとても大きな建物を発見。
見たところ、お寺のように見えたので興味本位もあって訪ねました。
訪れた場所は『本願寺鹿児島別院』……やはり思った通りのお寺でした。

境内は撮影を控える注意書きがあったため、門からわずかに見える本堂のみ撮影。
1878(明治11)年に建立された浄土真宗本願寺派の直属寺院で御本尊は『阿弥陀如来』
地元では『西本願寺』と親しみを込めて呼ばれています。
創建年代から分かる通り、比較的新しいお寺ですが、浄土真宗自体は室町時代の中頃に薩摩に伝わり昔からありました。では、なぜお寺が明治に建てられたのか?
それは室町時代末期から始まった薩摩藩による念仏(浄土真宗)禁制と弾圧によるもの……浄土真宗の教えが、当時の封建体制に相添ぐわず、さらには真宗信者の結束力による統一的な行動が政治的に利用され、一向一揆へと進展する危険性があったためです。
摘発は進み、慶長2年(1597)には当時の領主である島津義弘によって正式に禁止となり、厳しい弾圧がはじまります。
この様子は境内にある『涙石』が象徴し「なみだ石 涙にぬれて もだしけり まことのいのち ためさるるとき」……と詠まれるほど。かなり過酷であったことが伺えます。
また追い打ちをかけるように幕末からは全国的に起こった仏教弾圧運動『廃仏毀釈』により、薩摩藩に存在した仏教寺院は全て破却され、ますます厳しいものに……。
しかし、明治9(1876)年……当時の鹿児島県参事の田畑常秋氏による「各宗旨ノ儀自今人民各自ノ信仰二任セ候条此段布達候条」という通達により、ようやく長い禁制に終始符が打たれます。
この内容はざっくり説明すると「自分の信じたい宗教を自由に信仰しても良いよ」というもの……。
これにより、弾圧から逃れるため隠れ念仏として信仰していた浄土真宗がようやく堂々とできるようになりました。
後の時代の流れでも桜島の噴火や鹿児島大空襲による被害などで憂き目に遭ってしまいますが……それでも連綿と今日まで続くのは門徒の方々の支えによるものでしょう。
そんな本願寺鹿児島別院の本堂へ入り、お参りさせて頂きました。
こちらでは御守や御朱印などはなく、参拝記念のスタンプが頂けるとのことでお寺の方のご厚意により、頂戴しました。
本当にありがとうございます!
沖縄でもそうでしたが、お寺の方の優しい温情が身に沁みます。
境内の撮影を控える旨があったため、参拝記念のスタンプの掲載も申し訳ありませんが差し控えさせていただきます。
桜島を臨む島津の庭園
本願寺鹿児島別院を後にし、最寄りである『鹿児島駅』へ……。
ここでようやく先ほど購入したフリー切符を使用!
ハンコをついてもらい、これで今日一日は電車が使い放題となります。
そんな道中、無双状態となって最初に行きついた場所は名勝『仙厳園』

JR『仙厳園駅』からの出てすぐ目の前にあるこの場所は万治年間に島津氏第19代当主・島津光久によって磯に建設された別邸の大名庭園。
別名『磯庭園』ともよばれ、錦江湾を隔てて桜島を背景とした美しい庭園となっており『仙巌園附花倉御仮屋庭園』として国の名勝に指定されています。

園内には旧集成館反射炉跡といった文明開化を象徴とする遺構が残り、それらは世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産となってます。


敷地内では炉を扱ううえで重要な火と水の神を祀る社もあります。

『仙巌園』という名称は奇岩が多くあり、中国にある『龍虎山』の仙巌に似ているところから名付けられたそうです。
確かに園内には様々な形の石や加工された石が多くありました。
奇岩を庭園に使うのは大名として一つのステータスだったのかもしれませんね。


こちらは『御殿』と呼ばれる建物で、歴代の島津氏が本邸や客人を招く迎賓館としても使われました。
中はすごく気になりますが、まずは園内を見て回りたいので後ほど向かいたいと思います。
人の数も多いですしね……。

敷地内は思っていたより広く、資料館のほか、売店や食事処、伝統工芸である薩摩切子や銘菓のかるかん販売所などがあり、じっくり見て回るとかなり時間が掛かります。

庭園は小川に赴きのある木々や岩、砂利などが敷き詰められており、豊かな自然の中で曲水の宴も開催されていたことが分かります。


鮮やかな緑の中、かつての産業改革の痕跡もところどころに見えています。


今は4月の後半……岩手では桜の開花宣言が成され、こちらではすっかり葉桜となり、既に違う花々が咲き誇っています。
桜が咲く前に岩手を旅立ち、鹿児島に着いてからの九州では既に葉桜となっている……まさか日本にいながら桜を一度も見ない日が来ようとは……。

ここは仙巌園の端にあたる場所……本来は桜島を臨むことができる絶景スポットなのですが……。

この日は見事に雲に覆われ、桜島は見ることができず……うーむ、残念。
こればかりは天の采配なので仕方が無いです。
人生、時には諦めも肝心。

それでも曇りの日というのは深緑がよく映える天気でもあります。
空が暗いお陰か、緑はすこぶる綺麗です。


こちらは『御庭神社』
名前から察するに庭を祀る神社なのでしょう。
庭園内に稲荷神を祀るような小さな社は多々見られますが、ここまでちゃんとしたものはあまり見られないですね。手水舎もあるのは珍しいのではないでしょうか?

苔むした地面と岩が良い味を出しています。これぞ日本庭園!

川と見間違えるほどの大きな水路……この水路は海まで繋がっているとのこと。
もう少し水量が多かったり、満潮であれば魚が上がって来たりしたのでしょうか?

仙巌園には他ではあまり見ない猫を祀る『猫神社』があります。
この神社は戦国時代にあった朝鮮出兵の際、島津義弘が連れて行った7匹の猫のうち、帰国した2匹を『猫神さま』としてお祀りしています。
なぜ、義弘は猫を連れて行ったのか?
それは猫の瞳の変化で時間を知るため……猫の瞳は時間帯によって大きさが異なるため、それを利用して時間を把握していたのです。
また、他にも島津家は猫を京都へ献上したり、幕末では天璋院篤姫が大奥で猫を飼っていたところから、特に縁が深かったといえるでしょう。
大きな社殿こそありませんが、掃き清められた境内にある猫の像が心癒してくれます。

昔ながらの動力である水を利用し、杵を動かす装置や……

特徴的な大岩など、園内は見所が満載です。

さて、そろそろ先ほどスルーした御殿の中へと入ってみましょう。

御殿は綺麗な和風建築……武家屋敷に似てはいますが、ちょっと上品さがあり、趣が違いますね。
中には時代劇などでよく見る輿や調度品の数々が展示されています。


邸内には釘を隠すための装飾『釘隠』が随所にあり、その数は約11種類。
薩摩焼で作られた『桜島大根』や、当時は幸福の使者と考えられたコウモリなど様々なものがあります。
西洋ではコウモリや竜は不吉とされていますが、日本をはじめとした東洋では幸福の象徴と扱われているのは面白いですね。

中庭は枯山水を意識したかのような風貌。
池の真ん中にある八角形のくぼみは風水を意識して作られたものとされています。

庭園全体を眺めることができる『御居間』の傍には清廉な水がコンコンと湧き出ています。
さて、それではここでクイズです。
水は一体どこから湧き出ているでしょうか?

答えは陶器の筒の中から湧き出ています。
下の画像をよく見てみると分かるのですが、石造りの筒から水が湧き上がり、滲み出るようにして湧き出ている……池の中からではないんですね。
一工夫凝らしている部分から見ても、文化に精通しているのがよく分かります。

当時では決して入ることのできない、豪華な邸宅に入ることができるのも今の時代における唯一の特権ですね。

仙巌園を出てすぐ隣には『尚古集成館』という建物があります。
この建物は元々、1865(慶応元)年に竣工した日本最古の石造洋式機械工場『旧集成館機械工場』で、国の重要文化財。
現在は島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館となっています。
ここも見学したかったのですが、本日は他に行きたい所があったため私は割愛しました。
仙巌園に来たあかつきには、こちらもぜひご覧になってください。

仙巌園をひとしきり探索し、本日最後の場所に向かおうとした私ですが、この場所に行くのに意外と時間が掛かってしまいました。
というのも、電車に乗る前に僅かに尿意を感じ、乗ってから電車内のトイレを使おう(仙巌園駅にはトイレはありません。トイレがあるのは少し離れた所にあるコンビニか仙巌園です)と思っていたのですが、使用中だったんですね。
それでもいつかは空くだろう……最寄り駅までは45分くらいかかるし。
と気長に待っていたのですが、待てども待てどもトイレは空かない!
他の乗客の何人かも使いたいのか、ノックしていたのですがそれすら返す音すらない。
その何人かは諦めたのか駅に着いた途端にすぐ電車を降りて一目散にトイレに向かっていました。
かくいう私も35分を過ぎたころに限界を感じ、目的地の最寄り駅の二つ前の駅で下車し、トイレへ……。
電車に乗るな、とかトイレに行くな、とは言いませんが……排便時間が長かったり、具合を悪くしたのなら無理せず途中下車して駅のトイレを使って欲しかったです。
恐らく、私のように目的地まで行くのを断念する人がたくさんいると思いますから……。
南九州最大の神宮
そんなわけで、最後の目的地である『霧島神宮』の最寄り駅『霧島神宮駅』に行くことができず、その二つ前にある『隼人駅』で下車した私は次の電車の時間を確認することに……。
見方がよく分からず混乱していましたが、駅員さんがそんな私に声をかけて下さいました。
事情を話し(ほぼ愚痴)、どの電車が良いか聞くと次に霧島神宮駅に行くのは1時間半後とのこと……それまでは電車は何本か停まるが、各駅停車は次の『国分駅』が終点のものばかりで、霧島神宮駅へは特急列車のみとのこと。
聞いてから改めて時刻表を見ると特急は1時間の内に何本か来ますが、霧島神宮駅を通過する各駅停車の電車は2時間に一本と予想外の展開に……。
このまま次の各駅停車の霧島神宮駅行きを待っていたら、着く頃には社務所も閉まるし、熊本で予約を取った宿にも間に合わなかったため、次の国分駅までの電車に乗り込んで、そこでタクシーを使うことにしました。
対応して下さった駅員さん、ありがとうございます。
そんな駅員さんに見送られ、電車に乗り込み……国分駅へ到着。
タクシーはあるか心配していましたが、辛うじて一台停まっていました。そのため、すかさず乗車。
運転手さんに事情を話し、霧島神宮へと向かいます。
道中は先ほどあった出来事やもしダメなら徒歩で向かおうと覚悟していたことを話すと……
「いや、一駅違いでもかなり遠いし、危ないよ」
とのこと。
最初は岩手や沖縄の電車感覚だったので、その言葉の意味がよく分からなかったのですが、車が街から深い森……次第に霧に覆われた深山に差し掛かると「あぁ、無謀だったな」と自分の浅はかさを思い知りました。
もし、歩いていたら間に合わないだけでなく下手すると一晩野宿する羽目になっていたかもしれません。
また、普段なら国分駅にはこの時間、タクシーはあまり停まらないとのことで運が良い、とのこと。
そう考えるとギリギリ間に合って運が良かったとも考えられます。
天気は霧雨でしたが、霧に覆われた霧島神宮もまた神秘的ですし。
そんな会話をしながら、車は霧島神宮へ到着。
帰りも駅まで送る、とのことでそのまま待って頂けることに……あの電車の件があり、こうして人の情と縁に恵まれる。
人生どうなるか分からないですが、今回至っては感謝ですね。

人の縁に恵まれたことに感謝しつつ、いよいよ霧島神宮へ参拝です。
霧島神宮は天照大神の孫『天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊〔あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと〕』ことニ二ギノミコトを御祭神とする歴史ある神社。
恐らく、誰もが神社の名前と由緒は聞いたことがある筈です。

一説には540(欽明天皇元)年創建とされ、元は高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰から始まったと考えられています。
社殿の背後に聳える霊峰『高千穂峰』が日本神話において、ニニギノミコトが葦原の中津国を治めるため降り立った際に山頂へ鉾を突き刺した天孫降臨伝説の地とされる事から、昔から現代に至るまで多くの人が参拝に訪れています。
創建当時は高千穂峰にあったそうですが、幾たびにもわたる噴火や火災等により4回も移動し、現在の場所に鎮座したとされています。

令和4年2月9日では『本殿、幣殿、拝殿』が国宝に指定。
山深い地にありながら一際威厳を放つ豪華絢爛な社殿は見る者を虜にさせます。
本日は天気が暗いこともあってか、朱塗りに彩色文様や飾り金具がよく映えますね。
流石は『西の日光』の別名を冠する神社。

なんとか、無事に来ることができたことに感謝し、お参り。
霧島神宮はニニギノミコトだけでなく、木花開姫尊〔このはなさくやひめのみこと〕、彦火火出見尊〔ひこほほでみのみこと〕、豊玉姫尊〔とよたまひめのみこと〕、鵜鶿草葺不合尊〔うがやふきあえずのみこと〕、玉依姫尊〔たまよりひめのみこと〕、神倭磐余彦尊〔かむやまといわれひこのみこと〕といった一家全員が祀られています。
近年話題の核家族ではなく拡大家族というわけですね。サザエさん一家と同じです。

参道近くには樹齢約800年と推定される御神木の杉があります。
この御神木……なんと、南九州の杉の祖先ともいわれているそうで、堂々と聳え立っています。

そして、タクシーの運転手さんから教えて頂いたのですが、この杉にはあるものが出現したそうで……皆さんは分かるでしょうか?
ヒントは左側。

なんと僅かに出た枝に観音様がいます!
実際には観音像が彫ってある、というわけではなくそう見えるとのことですが……不思議ですねぇ。
この観音像はあまり多くの人に知られていないらしく、知る人ぞ知る観音様だとか……。
いやはや、教えて頂きありがとうございます。

参道から少し離れた場所からは霧島連峰を一望できる展望台があります。

晴れていると綺麗な山々だけでなく、向こうの方に桜島も見えるそうですが……この日は雲に覆われていて見えず。
けれど、こういう風景の方が深山の神社に来た感じはあって、個人的には好きですね。

近頃は神社のインスタ映えが流行っており、天気が良い日じゃないと行かない人もいますが、実際は天気の良し悪しに関わらず、由緒ある神社には人が常に訪れるものです。
まぁ、お参りしやすいのと気分が良いのは確かですが……激混みの神社の場合は少し天気が悪い時に行くのがオススメかもしれません。

なお、ここには坂本龍馬とその妻、おりょうのパネルがあります。
彼らは新婚旅行で霧島連峰を訪れた際にここ霧島神宮にも立ち寄ったことから、ゆかりがあるそうです。
龍馬ファンなら一度訪れてみても良いかもしれません。

そんな霧島神宮では御朱印(300円)を頂きました。
シンプルながらも力強い……ありがとうございます。

薩摩の国から火の国へ
参拝を終え、再びタクシーに乗って霧島神宮駅へと到着。
色々と教えて頂き、帰りのタクシーまで引き受けて待って下さった運転手さんには感謝しかありません。本当にありがとうございます。
お礼を述べ、ささやかながら霧島神宮で購入した缶コーヒーを渡し、駅構内へ。

駅舎は温もり溢れる木で造られており、中にはお洒落な雑貨やカフェなどが併設されています。
駅員さんはいませんが、分からないことがあればお店の人に聞けば教えて頂けます。
ここでもお店の人に助けられ、鹿児島中央駅行きの電車を教えて頂くことに……。
本日は色々な人に助けられています。本当にありがとうございます。
あとは無事に鹿児島に着けるか……また途中下車しないことを祈り、やってきた電車へ乗りこみました。

時間をかけ、なんとか鹿児島中央駅に着くや否や、今度は熊本駅に向かうため新幹線へ。
鹿児島周辺で宿を探せば良かったと少し後悔。
早めに宿を取りすぎるのも考え物です。
そうして、18時40分頃……ようやく熊本駅へと到着。長かった……。

のんびり熊本の街を眺めたいところですが、チェックインの予定時刻を延長し、20時に予約したため急がなければなりません。
しかも駅から宿までは30分……少し長い……。
ここも反省点ですね。ただ、夜の熊本の街はとても綺麗でした。

そうして、ヘロヘロの中……20時手前でようやく宿に到着。
宿の名前は忘れてしまったのですが、繁華街の中にある宿……今回はここを拠点とし二泊で過ごします。
時間も遅く、安心したのもあってか疲労が一気に押し寄せ、立っているのもやっとな状態に……。
そんな状態で風邪を引いているのも忘れるほど、ギリギリなスケジュールをこなした私は食事もそこそこに眠りに落ちてしまうのでした。