前回のあらすじ……

沖縄から鹿児島に無事到着した私シードル。
西郷どんに会い、島津の別邸で薩摩の文化を知り、時々トラブルに遭いながらも出会った人々の縁により霧島神宮への参拝を果たしました。
ギリギリのスケジュールで風邪を引いていることすら忘れるほどの忙しさ。
このまま落ち着くかと思いきや……その牙は突如として猛威を振うのでした。
止まらない鼻水のまま、止まらずに湧く清水の地へ
4/24日、朝7時……前日の無理な行程のせいか、本日は朝から鼻水が止まらず、頭重感がある状態でスタート。
幸い熱はなく、偏頭痛ほどひどくはないので予定通りに行動します。
とはいえ、私の取っている宿は日中は清掃の関係で中で過ごすことはできないらしく、否が応でも出て行かなければいけないのですが……。
そんな状態の中、近くのコンビニで朝食を購入し、二回目のフリー切符を使用し、電車に乗り込みます。

本日の最初の目的地は阿蘇山麓にある神社『阿蘇白水龍神権現』……『豊肥本線』の電車で『南阿蘇鉄道』の入り口である『立野駅』まで向かいます。

電車に揺られること数十分……立野駅へと到着。
市街地の熊本市からだいぶ離れたためか、周囲は見渡す限りの山ばかり……。
うっすらと雲もかかっており、今にも何かが降臨してきそうな雰囲気です。

時刻表を確認すると立野駅から阿蘇白水龍神権現の最寄り駅『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』へ行く電車が来るまでは1時間近くもあるため、買ってきた朝食を摂ります。
兵は神速を貴ぶ……といいますが、早すぎるのも少し考え物ですね。
何事もちょうどいいタイミングが重要、ということでしょう。

山々を眺め、新鮮な空気と食事を味わっていると赤く長い車両の電車がやってきました。
どうやらこれは、また熊本方面へ戻る電車のようで違うみたいです。
時間調整のためか長く停車しているため、記念に撮影。
しかし、色彩が鮮やかで素敵ですね~。

そんな電車が出発してしばらく経った後、今度は白い一両編成の電車がやってきました。
どうやら、こっちが本命のようです。
二両編成は何回も乗ったことはありますが、一両のみは初めてです。

車内はプライバシー保護の関係で撮影しておりませんので、ご了承ください。
とはいえ、一両だけの電車で谷や山沿いを走るのはなんというか……秘境に行っている感じがしますね。
ただし、車内にはトイレが無いの乗車前に済ませることをオススメします。
この電車の走る立野~高森駅までの路線は特定の時期になると屋根を取り去った『トロッコ列車』として運行します。
阿蘇の山々に吹く風を浴びて乗る列車は開放感たっぷりでしょうが、立橋などでは少し怖いですね。
特に深い谷のあるところならなおさら……。

幸い、本日の列車は窓があるので安心ですが、高所恐怖症の方は少し注意が必要かもしれません。
ただ、そのぶんも相まって眺めは最高!
さらにこの渓谷に差し掛かると運転手さんが列車のスピードを少し遅くし、解説して下さるという粋な計らいまでして下さいました。
こういうささやかな気配りが阿蘇のトロッコ列車を人気にする要因の一つかもしれません。

道中にはいくつかの駅に立ち寄りますが、その都度見られるのが「おかえり南阿蘇鉄道」の垂れ幕。
恐らく、2016年に発生した『熊本地震』による影響で路線が止まっていたのでしょう。
2023年の7月15日と比較的最近になって、ようやく全線運転再開とのことなので、実に7年の歳月が掛かったというわけです。
地域の方々の喜びも大きかったでしょう。
良い時に来ることができて、本当に良かったです。

『阿蘇下田城駅』では列車が来るとお手製のカラクリ人形が動き出して、来訪者を歓迎してくれます。
日中だと楽しいですが、深夜で急に動き出したら……私は恐らく腰を抜かすと思います。

車窓から見る阿蘇山もまた格別ですね。
こういうのが列車旅の醍醐味といえるでしょう。

そんな道中を満喫している内に列車は目的地の『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』へ到着。
降りるのは私のみ。
だいたいの人は終点の『高森駅』まで行く方々なので、仕方がありません。
ですが、この雄大な田園風景と山々を独り占めできるのは贅沢といえるでしょう。

線路は一本のみ……奥を見ても何も来る気配はなし。
都市部周辺だといくつも路線がありますが、このただ一本しかない道というのも、古き良き田舎の風景といった感じで私は好きですね。

駅の待合所は無人……文庫本やピアノが置いてあったりします。
電子的な音はなく、掛けられている時計の針の音だけが響きます。

待合所を出ると雄大な生阿蘇山がお出迎え!
車窓からの景色も良いですが、やはり自身の目で見るのが一番ですね!
空も澄み渡るような青空で空気も美味い!

駅にはタクシーはおろかバスすら来ません。
よって、神社へ行くには己の足のみ……風邪で少し体力は低下気味ですが、荷物は少ないのでまだマシ……信仰や巡礼とは本来かくも辛きもの、身も心も初心へ還って、いざ向かいます。

白蛇様を祀る阿蘇の神社
Googleマップのナビを使い、細い道を歩くこと約15分ほど……神社の幟が立つ建物にようやく到着。
ここまで来ると不思議なことに止まらなかった鼻水も止まり、体もなんだか軽くなったような気がしてきました。
神様の御加護でしょうか?

阿蘇の山々を背に鎮座する『阿蘇白水龍神権現』こと『阿蘇白蛇神社』
石造りの鳥居は白蛇様を表しているかのように白く、とても綺麗です。
狛犬の代わりに蛇が阿吽をしているのもなんだか可愛らしいもの。

参道の傍には千本鳥居が立ち並ぶ祠も……こちらは『白狐稲荷大明神』
かつて、この地では白狐の姿が目撃されており、祠を建て祀り毎年祭事を執り行っていたそうですが、いつしか参拝者が途絶え荒れ果てていたところ、境内拡張の際に藪の中から発見され、平成24年に改めて社殿を造営し、遷座したとのこと。
どうりで社自体が新しく綺麗なわけです。
というより、境内全体がどことなく綺麗で新しく感じます。
神道では『常若』といって時々、新しく作り替えて若々しく保つという習わしがあり、その最もたる例が社を新調する遷宮なのですが……神社全体という規模の大きさは見たことがありません。
これは一体どういうことでしょうか?

実は、阿蘇白水龍神権現は平成12年11月9日、および平成13年6月17日に白蛇様計3体が境内の岩に現れ、鎮座され……宮司さんがその蛇様との縁を感じ、神社を造営、御祭りしたという背景があります。
つまり平成の頃という比較的最近になってできた神社というわけですね。
とはいえ、霊験あらたかな神社として多くの参拝者、崇敬者が訪れていることを考えるとやはりとてつもないパワーがあるのでしょう。
主祭神としては弁財天〔べんざいてん〕、宇賀神〔うがじん〕、八大龍王〔はちだいりゅうおう〕を祀っています。
弁財天と八大龍王については多くの方がご存知かと思いますが、宇賀神についてはよく分からない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
宇賀神とは頭が人間、胴体は蛇で財をもたらす福の神です。
日本神道では穀物を司ることで有名な宇迦之御魂神〔うかのみたまのかみ〕と同一であったりと色々な側面を持っています。
いうなれば白蛇様に関わる神様が祀られているということですね。
御利益としては金運はもちろんのこと……良縁成就、家内安全、厄難消滅、大漁満足、商売繁盛、開運招福、心願成就、五穀豊穣などがあります。
巳が干支である今年にぴったりの神社ですね!

境内には阿蘇山由来の岩もあります。
こちらは『阿蘇五岳岩』という地下マグマ。
拝礼することにより阿蘇山の莫大なエネルギーを頂けるという神秘の大岩です。

こちらは『白水龍神岩』
天と地を司どる龍神が阿蘇の霊地より昇り立ち、天降る時に休まれる岩とのこと……触れることでパワーを頂けるとのことで念入りに触らせて頂きました。

境内には弁財天を模した石像や……

至る所から清らかな湧き水がこんこんと流れています。
この水は阿蘇山に降った雨が長い年月をかけて伏流水となったもの……大自然の力でろ過された天然水は身も心も清めてくれます。

この御神水は持ち帰ることもできるし、池では銭洗いをすることもできるそうです。
私は小銭を洗い清めさせていただき、お水も一口頂きました。
霊験あらたかな美味しい水です。

銭洗い池の傍には白蛇様が現れたとされる岩があります。
一匹だけならともかく三匹も現れたなら、縁を感じざる負えませんよね。
恐らく、私も祀ると思います。

その肝心の白蛇様ですが、本殿傍の家屋にて拝観をすることができます。
祈願も一緒ですし、触ることはできませんが、生き神様を間近で見た時の感動は忘れられない思い出となるでしょう。
心から来て良かったと思いました。

境内を十分に巡り、七福神の石像達に見守られながら神社を後にします。
お参りさせていただき、ありがとうございました!

御朱印は通常のもの(300円)と白狐稲荷神社(300円)のものの他、期間限定や見開き、切り絵など様々な種類のものがあります。
御朱印帳もあるので、新調するのにもオススメです。
対応して下さった方々、ありがとうございました。


湧き水の里を巡る
お参りを済ませたので、次なる目的地へ行くため熊本市街に戻りたいところですが、帰りの電車が来るまで1時間以上も間があるので、駅周辺を散策。
青い空に阿蘇の山々と草原がとてもよく似合っています。

景色を眺めつつ、改めてこの場所をご紹介しましょう。
私がいるこの場所は熊本県の北東部、阿蘇山の裾野広がる『南阿蘇村』
阿蘇山を中心とした『阿蘇カルデラ』の南部に位置する村で沖縄を除いた西日本で最多を誇る人口を有しています。
カルデラとは火山の活動によってできた大きな凹地のことで、スペイン語で『釜』や『鍋』を意味しています。
有名なものとしては屈斜路湖や蔵王の御釜のようなカルデラ湖ですね。
あれの湖ではなく土地バージョンといったところです。盆地のようなものですね。
一般的にカルデラと盆地の違いとしては、その要因が火山によるものか否か……という感じです。火山によってできた凹みがカルデラで、それ以外によってできた(山に囲まれている等)のが盆地、と私は解釈しています。
そのため、村内をぐるりと見渡せば山々に囲まれているのが分かります。

正直、傍から見たら盆地かカルデラかは区別がつかないので混合して呼んでいる方もいるようです。
好きな方で良いのでしょう。
専門家でもないですし、間違えたところで何かが変わるわけでもありませんから。

牛たちとこののどかな風景を眺めていると小難しいことなどどうでも良くなってきますね。
生きるというのはこの程度で良いのだと思います。
人口が増えるにつれて人というのは難しいことをしがち、崇拝しがち……悩んだら南阿蘇村のようなところに来てボーっとするのが精神衛生上良いのかもしれませんね。

ただ、この村の特筆すべきは神社でも触れた阿蘇山から流れる伏流水の量。
南阿蘇村では白川水郷をはじめとする約10カ所以上の湧き水が村内の至るところにあり、南阿蘇村湧水群として『平成の名水百選』に選ばれています。

各所には至るところに水汲み場があり、柄杓が下げられ使い放題!
といっても私は汲むものがないので、手に掬っていただきます。

う~ん……やはり、美味い!
あ、ちなみに水源の中へは衛生面厳守のため、土足での立ち入りは厳禁です。

しばらく歩き『中松駅』へと到着。
私が降りた南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の次の駅になります。
こちらも本日は無人。

電車が来ないため、ゆっくりと線路内を撮影……この向こうまでずっと続く風景はたまりませんね。
「線路内に入ったらダメだろうが!」という声がありそうですが、ご安心ください。
実は私のいるこの場所は向こうへ渡る農道用踏切内……中松駅は向こうのホームへ行く階段の代わりにすぐ近くに踏み切りがあるんです。
もちろん、電車が来る際の警告音中は踏切内は立ち入り禁止。
通常時、踏切が無い場所でホームから降りて線路内に入るのも禁止です。

しかし、電車が来なければ車も来ない……ついでにいうと人も来ない。
ここまで誰にも会わないと異世界にでも来たかのような不安が少しあります。

村内にある水源は地元の方にとって大事な生活用水。
普段から綺麗に管理されています。

場所によっては魚がいる所もあります。
けれども、そんな水の郷も噴火や豪雨災害により幾度も被害にあったのだとか……維持管理もやはり一筋縄ではいかないですね。

水源を巡っている最中、綺麗な花が咲き乱れているお寺を発見。
このお寺は浄土真宗本願寺派の『正教寺』
慶長12年(1607年)に開基した南阿蘇村の中でも貴重な歴史ある寺院です。
これも何かの縁と感じ、お参りへ……残念ながら誰もいませんでしたが、良い日和の中綺麗な花々を見ながら参拝できたので個人的には満足。

電車の時間もやや迫ってきたため、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅へ戻って待機します。
ちなみにこの駅、かつては日本最長の駅名だったこともあり、しばしば『白水高原駅』と略されていたのだとか……個人的にはそっちのほうがすっきりしていて呼びやすいのですが……。
余談ですが現在、日本一長い駅名は富山県にある路面電車の停留所『トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場』…………。
近年は建物や高校の名前もやたら長いものがありますが、流行りなのか……はたまたインパクト狙いによるものなのか…………分からないものです。

ぼんやりとそんなことを考えていると再び一両編成の電車が駅へ……乗り込むのは私一人。
心身ともにのどかに過ごすことができた南阿蘇村を後にし、再び都会の喧騒で賑わう熊本市街へ向かいます。
肥後を治めた銀杏城
南阿蘇村から熊本市街に戻り、次なる目的地『熊本城』へ。
加藤清正公が改築したことで有名な熊本城は国の重要指定文化財に指定されていますが、2016年(平成28年)に起きた熊本地震で被災……長らく復興工事が行われています。
その爪痕は私が訪れたこの日もはっきりと残っており、いかに凄まじい被害を出した地震かを物語っています。

石垣に使われるであろう石も大量に並べられ用意されています。
現代技術によって作られた建物ならばすぐに直せるものですが、昔の技術で作られた建造物の場合は技術、材料などもこだわって準備しなければならないぶん、時間はかなり要するでしょう。

城へ向かう途中には加藤清正公を祭っている加藤神社があります。
しかし、今回は時間が無いので申し訳ありませんがそのまま通り過ぎます。
実は南阿蘇村で絶好調だった体がここに来て急に重くなってしまったのです。
熱や咳はありませんが、長期滞在はリスクがありそうなため、手短に目的地へ向かいます。

道中にはなんだか見たことがあるようなお城のパネルが……なんだか沖縄の首里城を思い出してしまいます。


こちらにあるのはお城の堀……水量は少ないですが、幅としては今まで見た城郭の中でダントツのトップを誇ります。
この水が上までいったらかなり深くなるでしょうね。
渡るのも一苦労です。

暑い日差しの中、涼を求めて近くにある売店に入ると立派な甲冑が置いてありました。
黒塗りの渋い甲冑……手には御城印を持っています。
もちろん、後ほど購入させていただきました。

売店で体力が回復した後は特別見学通路を渡って天守閣を目指します。
道中には際どい位置に建つ立派な櫓や……

未だ復興中の崩落した石垣の後などを見ることができます。
これほどの規模の石垣が崩れるとなれば、近隣の方々はさぞかし恐ろしかったことでしょう。

通路は板張りに丈夫な柵も付いており、幅も広くてとても歩きやすいです。
一つ難があるとするならば、屋外かつ意外と長い距離があるということ……ちょうどいい気温で晴れた日は最高ですが、炎天下の夏や雨が降っている場合は屋根が無いので帽子や雨具は必須ですよ。

こちらも石垣が崩れ、絶妙なバランスで保っている長屋。
あと少し真ん中が崩れていたら、真っ二つに折れていたことでしょう。
これぞまさに奇跡です。

石垣の色や補強されている部分から広範囲にわたって被害があったことが分かります。
地震は昔も多かったので、日本の城郭は耐震においても力を入れているのですが……そんな先人達の英知の結晶も自然の脅威には太刀打ちできない、ということでしょう。
油断大敵……災害対策は日頃からやっておかなくてはなりません。


通路の途中では地下へ潜る箇所もあります。
こういう普段は非公開な部分が見られるのは貴重ですね。
そして、とっても涼しいです。


地下を抜けると目の前には大きな銀杏の木がありました。
熊本城は別名『千葉城』『隈本城』など色々な呼び方がありますが、その中の一つに『銀杏城』というものがあります。
それは清正公が築城の際にこの銀杏の木を植えたことから付けられたそうです。
銀杏が植えられた理由としては食糧難対策として……というのが通説として知られていますが、実をいうと城内に生えている銀杏の木は全て実をつけない雄木であるとのこと。
近頃では銀杏の木の特性である均一で加工に優れている点と火に強い性質を見越して城の補修の際の材木や防火目的ではないかといわれているそうです。
本当、昔の人の知恵はすごいものです。

長い距離を歩き、ようやく天守閣前に到着。
青空も相まって、立派な城が聳え立っています。
こんなに立派な城は高校生の頃に見た大阪城以来ですかね……さすがは三名城の一角!

それではさっそく中に入ってみましょう。
中は博物館のような展示があったため、撮影のほうは控えさせていただきます。
文章で説明すると穴倉である地階から順に熊本市街を一望できる展望フロアまで6階があり、一階から順に加藤時代、細川時代、近代、現代……といったそれぞれの時代の頃の展示があります。

そんな熊本城の最上部から見た景色がこちら!
見渡す限り、先の方まで建物がひしめき合っている熊本市が一望できます。
街の発展と復旧工事の途上の様子は、さながら領地が発展していく様子を見ている領主の気分そのものですね。

加藤清正と熊本地震で有名な熊本城ですが、その他にもこの城はある重要な舞台の場でもありました。
それが日本最後の内戦『西南戦争』
加藤清正公が改築してからは一度も戦を体験したことの無かった熊本城は西南戦争では政府軍の重要拠点でありながら、西郷軍の重要攻略目標とされていました。
この戦では加藤清正公が作ったとされる『武者返し』が大いに役立ち、薩摩軍は誰一人として城内に入ることができなかったといわれています。
西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」嘆いたとされ……実戦経験から生まれた城は最初で最後の戦いでその実力を示しました。

そんな熊本城の御城印(300円)はシンプルながら達筆なもの……家紋もありカッコいいものとなっています。

探訪を終え、限界に達する
そんな熊本城を見た後の記憶は実はおぼろげにしか覚えていません。
というのも天守閣を上がっている内に体力の限界が来たのか、何度かめまいを覚えて少し気を失いそうになっていたからです。
各フロアで休みながら上り、最上部からの景色を見た感動によるものか一時体力は回復したのですが、天守閣を出て長い見学通路を歩いている内に頭重感が増し、ボーっとしてきて……そこからはっきりした記憶が無くなってしまいました。
恐らくフラフラしながらホテルへの道を歩き、途中で食料や薬を買い込んだのでしょうが……正直、ここで倒れても致し方ないなぁと思ったほどです。
実際には無事にホテルへ着いたのですが、その後は夕方にも関わらず食事をそこそこに済ませ、薬を飲んで、体調の回復を祈りながら、横になってそのまま眠ってしまったのでした。