前回のあらすじ……

熊本を象徴とする阿蘇山、熊本城を巡った私シードル。
しかし、体調が思わしくない中……せわしなく動いていたためか、ついに眩暈を生じ、早めにホテルへ戻り倒れこむように休んでしまう。
果たして、体調は回復しているのだろうか?
清正公の眠る霊廟へ
4/25日、朝9時……薬の効果か、はたまた早めに休んだためか、それとも遅めに起きたためか……体がいくぶん楽になったため、熊本のお寺『本妙寺』へ向かうこととします。
熊本市電の『本妙寺入口』の電停にて下車し、歩くこと約5分ほど……本妙寺参道の入り口である『仁王門』へと到着。

近くで見るとかなり大きく立派な造りです。
お寺の門ではあまり見られない鉄筋コンクリート造り……大正9年(1920年)に寄進され、現在は国の登録有形文化財に登録されているのだとか。

両端には仁王像の他に狛犬ならぬ狛獅子が立ち並びます。
勇ましいというより、悪いモノからしたら怖いでしょうね。


大きな門をくぐり、参道へ……真ん中に綺麗な石畳があり、奥までずっと続いています。
両側にはお寺や墓地も立ち並び、寺町といった雰囲気です。

この参道にはかつてハンセン病患者が並び、参拝者に喜捨(お布施)を要求していたそうで……起源は不明ですが、境内の碑文には病気祈願の記載があり、江戸時代とも考られています。
ただ、少なくとも廃藩置県のあった1871年(明治4年)頃には既に記録として残っており、終戦の頃まで続いていたそうです。
とはいえ、患者の中には自活できる者もいて近くの集落に住んだり、参道で旅籠(宿)を営んで生活していたので全員がお布施目当てに集まってきたわけではないようです。
ちなみにこの地も西南戦争の戦火により寺の一部が炎上する憂き目に遭っています。
また、1940年にはハンセン病患者の強制収容があった事件『本妙寺事件』の舞台でもありました。
ざっくり説明するとこの事件は1936年に内務省の『らい根絶20年計画』に基づき、未収容の患者の収容に努める様に提示した当時の国の政策により、ハンセン病患者が強制検挙、収容されたもの……背景としては1930年代以降、国内ハンセン病患者全員の療養所収容を目指す『無らい県運動』が全国で展開されており、その運動の一環といわれています。
ただ、それは表向きの話で本当の理由としては近づいてくる戦争の準備のためや当時、患者の多くが『相愛更生会』という秘密結社めいた団体に入り厚生省、県知事、学務課、社会課の証明書、本妙寺の住職の感謝状を偽造して一般人に「伝染させるぞ」と寄付を強要する活動が横行したため、それを撲滅するといった様々な背景があります。
とはいえ、平穏に暮らしていた人達もその対象となってしまったため、患者の家族で健康な人、同居している人は離散してしまうという辛い被害があったのはいうまでもありません。
ハンセン病と聞くと差別や偏見といったイメージが浮かぶと思いますが、ここの集落においては健康な住民においても偏見が少なく、検挙を実行した警官においても収容を嫌がったとされています。
それはひとえに賢明に生きようと頑張っている姿を見てきたからによるものでしょう。
いつの時代も国というのは民や地域の意向より、世間体を気にし、無実の人を傷つけるものなのかもしれません。

長い参道を歩き、本堂近くにある山門が見えてくると、なにやら長い石段と無数の石燈籠が並ぶ圧巻な光景に出くわします。
ここは『胸突雁木(むなつきがんぎ)』と呼ばれており、胸突とは胸を突くくらい急勾配……雁木は石段のことを指します。
この石段の数は176段……文字通り心臓破りの坂といったところでしょう。

大粒の汗を流し、やっとの思いで石段を上り終えるとようやく山門に到着。
長かった……とても長かった!

一礼してからくぐり、中に入ってお参りします。
本妙寺は日蓮宗六条門流のお寺で大本山本圀寺から『六条門流九州総導師』の特別寺格を与えられているほど……山号は発星山。御本尊は十界曼荼羅。
有名なところでいえば、日蓮宗の熱心な信者であり肥後熊本藩の初代藩主である加藤清正公を祀る『浄池廟(じょうちびょう)』があることで知られていますね。

浄池廟は清正の遺言により、熊本城の天守と同じ高さの地にしたとされています。
つまり、ここは前日行った熊本城の天守閣と同等の位置にあるというわけですね。

一見すると寺というより神社に似たような雰囲気を感じます。
というのも、浄池廟と本妙寺は元は神仏習合により神社としても祀られていました。
その後、明治における神仏分離にて浄池廟の拝殿を撤去し、神社として熊本城内の加藤神社を造設した経緯があります。

ちなみに本妙寺の本殿も元は熊本城下に創建されていた瑞龍院にありましたが、慶長19年(1614年)の火災により焼失したため、現在地に移転した経緯があります。
二重、三重に移転されているので頭がこんがらがってしまいそうです。

お参りの後、御朱印(300円)も頂きました。
お寺の御朱印は神社と違って、筆の力強さがありますね。
対応していただき、ありがとうございます。

清正像と共に熊本市を見下ろす
本妙寺の境内を回り終えると奥の方で続いている道を発見。
近くにある看板を見るとどうやらこの先に加藤清正公の像がある、とのこと……ついでなので行って見ましょう。

すぐ近くにあるのか、と軽い気持ちで向かった先には再び長い石段が待ち構えていました。
いやいや、石段好きですね……もうお腹いっぱいですよ……。
回れ右をしたい欲求に駆られつつも、乱れる己の心に喝を入れて一歩一歩上がります。
ずっと先まで続いているこの石段は約300段!
25段区切りで踊り場のようなスペースがあり、そこで一息入れることができます。
急なうえに途方もない長さ……熊本城天守閣で眩暈を起こした昨日のコンディションで挑戦したら、ほぼ間違いなく途中で転がり落ちていたでしょうね。

参拝で整えた息を再び乱しながらなんとか頂上まで到着。
槍を天へと向けた清正公が出迎えて下さいました。
岩手には戦国武将の像が無いので、こういう立派な像を拝むのはなんだか新鮮な気分になります。
鹿児島の西郷隆盛像もそうでしたが、こちらの像もかなり大きい……銅像というのはやはりビッグに作られるものなのでしょうか?

像のある所からは緑に覆われた敷地内と……

はるか遠くまで広がる熊本市内を一望することができます。
この場所は『本妙寺公園』と呼ばれており、中尾山の8合目にあたる場所…………どうりで高いわけですね。

振り返って石段を見るといかに急かが分かると思います。
ここから転がり落ちたら大怪我はまず間違いなし。
けれども、頂上までは車で通ることができる道路があり、夜などは夜景スポットとしても知られているそうです。
まぁ、外灯はありますが……夜間にこの石段を上がるのは勇気が要りますものね。

景色を眺め石段を下りていると出くわすのは猫、ねこ、ネコ……加藤清正公は猫好きだったか? と思うほど多くの猫に出くわします。
しかもそばを通るとジッとこちらを凝視して監視されているかのような気分になります。

野良猫は岩手でもよく見かけますが、沖縄や九州に来てからはことさら猫を多く見かけるような気がします。
特に街中では「猫にエサを与えないでください」と看板があるほど……やはり温暖な地域ゆえに生きやすいのでしょうか?

猫たちに見送られながら本妙寺を後にし、街中へと戻ります。
街中の河川は生命豊か
今回は体調の回復もあるため、無理せずここで終了し鹿児島へ戻って少し良いホテルに泊まる予定です。
というわけで息抜きも兼ねて駅までの道のりをブラブラ歩きます。
すると途中河川に差し掛かるところで珍しい生き物に遭遇しました。
それは幸運の青い鳥……『カワセミ』です。

別名『青い宝石』『渓流の宝石』とも称される鳥……まさかこんな都市部の川で見ることができるとは。
渓流でもたまに見かける程度の希少な鳥……都市部でも見られないことはないですが、主食が水生昆虫や小魚、エビやカニなので、生活排水がひどい場所だと見ることはできません。
つまり、カワセミがいるということは生き物がいる……あるいは生き物が豊富であるという証拠。
しばらく追いかけて写真撮影を試みましたが、なかなかうまく撮れずどこかに行ってしまいました。
しかし、入れ替わりにとある一団を発見。

かなり大きめの鯉の群れ……鯉自体はそんなに珍しくはないのですが、都市部のほぼ真ん中の川で見かけたことに驚きです。
熊本の街中の河川は思っている以上に生命に溢れているのかもしれません。

もちろん、このような街中なので『釣り禁止』の看板はある筈もなく……釣りの腕を磨くなら九州は絶好の場所なのかもしれません。
無理をせず……再び鹿児島へ
熊本市から新幹線に乗り、2日ぶりの鹿児島中央駅へ。
予約した『JR九州ホテル 鹿児島』に向かいます。
向かうといってもホテルへは駅構内にある専用通路から直通で行くことができ、徒歩約1分で到着です。
ホテルから駅構内にあるお土産屋さんをはじめ、レストラン、列車の切符の予約とまさに好立地すぎる所にあるホテル……さすがはJRグループ。
ホテルの窓からは鹿児島県民お馴染みの『アミュプラザ鹿児島』の上にある観覧車『アミュラン』がばっちり見えます。
ここからの景色だけ取れば、ディズニーとなんら変わらないのではなかろうか?

そんな鹿児島の街を眺めつつ、駅構内で購入した鹿児島名物を食べ、今回も早めに横になりました。
次はお隣『宮崎県』の予定……果たして体調は良くなっているでしょうか?
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