前回のあらすじ……

佐賀での旅を終え、いよいよ九州地方最後となる地、福岡へとやってきた私シードル。
閻魔大王ゆかりのお寺に行き、櫛田神社、太宰府天満宮、九州国立博物館と各所を訪れていましたが、あまりの人混みの多さにホテルに着いて早々にダウンしました。
以前として博多どんたくが行われている中、今回はどこへ行くのか?
そして、沖縄から続いた長い旅もいよいよ終焉へ……。
三女神を祀る大社へ
5/4日、朝8時半……博多駅から最初の目的地である『宗像大社』の最寄り駅『東郷駅』へ……この東郷駅からバスに乗り、宗像大社へと向かいます。
前日は太宰府天満宮に行きましたが、私としては正直、福岡でどうしても行きたかった神社はこちらの宗像大社……思えば沖縄から始まったこの旅において数多くの念願を果たしてきました。
途中、体調不良にも遭いましたが怪我なく無事にここまで来られたのも、出会った方々の助や神仏の加護によるもの……本当にありがたい限りです。
しかも、この日はかなりの快晴。
そのためか、朝早いにも関わらず、宗像大社行きのバスには長蛇の列が出来ていました。

宗像大社
バスに揺られ、ようやく宗像大社の入り口に到着。
水の女神さまを祀っているせいか、勝手な先入観で『青』というイメージを抱いていたので、この青空は私にとって最高の状態……テンションは爆上がりです。

神社には多くの人がいましたが、太宰府天満宮に比べると人は少なめ……ただ、この位で丁度いい。
もう人に酔うレベルにまで混んでくると落ち着いて参拝できないですからね。

やはり大社と称されるだけあって、境内は広大……池も広いです。
日本神話に登場する日本最古の神社の一つだけあって、荘厳な雰囲気はあるものの閑静さも持ち合わせています。


こちらの手水舎は岩をくり抜き、湧き出した水が岩に刺さっている筒から出るというなんとも風情のある代物。
こういう変わったもの……好きですねぇ~。

本殿へ至る門には皇室の家紋である菊が施されています。
古より天皇の勅使が訪れるなど、その関わりはとても深いです。
ちなみにこの門から拝殿までは屋根が掛かっており、雨の日でも濡れずに参拝することができます。

太陽が昇り始めた朝早くに参拝することができる……これほどありがたいことはありません。
1日の始まりがとても清々しい気分になります。
拝殿は周囲のみと遠くから撮影。
伸びるような造りで奥行があるように感じます。
少し見えづらいですが、天井近くの壁には『三十六歌仙』らしき人物たちを描いた絵額が飾られています。


お参り後は周辺を散策……太陽の光が木漏れ日となっているのがまた良いですね。
宗像大社のこちらで祀られている御祭神は『市杵島姫神〔いちきしまほめのかみ〕』……『宗像三女神』として航海を司る最高神として知られていますね。
他の女神は『田心姫神〔たごりひめのかみ〕』と『湍津姫神〔たぎつひめのかみ〕』
一般的にはこの三女神を一体とした『宗像大神』として祀られていますが、これは『三宮信仰』といわれる3つの神社を信仰からきているもの。
九州本土にあるこちらの宗像大社は厳密には市杵島姫命を祀る『辺津宮』のみとなります。

こちらの奥にある本殿は戦国時代に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
拝殿は『謀神』として知られる毛利元就公の息子、小早川隆景公によって寄進されたもので、本殿は宗像一族最後の当主であった宗像氏貞によって寄進されたものです。

境内は掃き清められ、常に美しさがキープされている状態。
格が高いとはこういう部分のことをいうのでしょうね。

本殿も手入れが行き届いていて、とても昔のものとは思えません。
本当はしばらくグルグルと見て回りたいところですが、掃除をしている神職の方に申し訳がないのでこの辺りにしておきます。


本殿周囲を回った後は、森へと続く『高宮参道』へ……多くの方はあまりこの先には行っていなかったですが、せっかく訪れたので目に付いた所はくまなく行ってみましょう。

高宮参道を歩いていると、『第二宮』『第三宮』という看板が見えたので、そちらへ行ってみることに……やがて見えてきたのは拓けた場所と二つの社殿。
正面から見るとほぼ同じ造りの社殿なので、どっちがどっちだか分からなくなりそうですが……向かって左手にあるこちらが『第三宮』……

右手にあるのが『第二宮』となっています。
第三宮には『湍津姫神』第二宮には『田心姫神』が祀られています。
というのも辺津宮のあるこの宗像大社は宗像三社の総社……つまり実質的に三社参りはここで出来るというわけですね。
そもそも湍津姫神が祀られている大島にある『中津宮』はともかくとして、田心姫神を祀っている『沖津宮』は玄界灘の孤島にある沖ノ島……一般人の入島は厳しく制限されている島なので、現地参拝における三社参りは不可能なんです。
なので「島に行くことができなくて神様に申し訳ない…」と思う必要はありません。
余談ですが、この両宮の社殿が同じ造りなのは昭和48年の式年遷宮の際に、伊勢神宮別宮の古殿舎を下賜されたもののため。
社殿も由緒ある所から頂戴したありがたいものというわけです。

お参りも済んだので、再び高宮参道を歩いていきます。
杉に囲まれた林道は森林浴には最高ですね。
初めはそんな気持ちだったのですが……

歩いている内に参道の空気は次第に厳かなものへと変わっていきます。
見た目は林の中の整備された参道なのですが、空気が少しずつ変わっていくのが、肌を通して感じられます。

そうして参道を歩いていくとひときわ拓けた場所に出ました。
石で造られた祭壇のような場所……ここが『高宮斎場』です。
この場所を見た時にすぐさま「あ、ここは他とは確実に違う」というのが分かりました。
空気感が沖縄で訪れた斎場御嶽にそっくりなんですよね。

この高宮斎場は市杵島姫神が降臨した聖域とされている場所で、社殿が無かった昔はここで祈りを捧げていた古代の祭場。
今でも月次祭にはここでもお祭りが行われ、10月には夜神楽が奉納されるのだとのこと。
これまでの旅で『本物』の空気は幾度も感じてきましたが、少し気圧されるほどにここは強かったです。
正直、こうやって撮っても良いものか……記載しても良いのかと内心ヒヤヒヤしています。

高宮斎場を後にし、元の参道へ……正直、ホッとしています。
人がいる俗世と神が宿る聖域は本当に温度差が違うんですよ……こればかりはぜひとも現地へ赴いて体感して欲しいです。

御朱印や御朱印帳は参道から少し外れたこちらの建物で受け付けています。
御守りの類も授与することができます。

澄み渡る空と空気、目に優しい緑……心が落ち着きます。
よくパワースポット巡りをして強力な力を受けようとする人は多いですが、あの荘厳な空気を休みでも浴び続けるとなると心が休まらないんじゃないかな、と思います。
何事もほどほどが大事、というのを改めて教えられました。



宗像大社の敷地内には沖ノ島から出土された宝物を展示している『神宝館』があります。
私のもう一つの目的……さっそく入ってみましょう。

中には出土された国宝級の宝物の品々や奉納された貴重な物が数多く展示されています。
中でも『神鏡』や『金銅製龍頭』は絶対に見ておきたい、一見どころじゃない価値のあるもの……撮影はしてみましたが、やはり自身の目で見た方が感動はひとしおです。


宗像大社を隅から隅まで見ていくとあっという間に時間が経ってしまいます。
もう今日はこれで良いんじゃないか、と思うほどの満足感。
やはり来て良かったです。

そんな宗像大社の御朱印(300円)はこちら……紙面いっぱいに勢いある字体で素晴らしい一筆。
対応していただき、ありがとうございます。

フェリー乗り場周辺
宗像大社をあとにし、続いてバスで向かったのは海辺にある『神湊』
ここには宗像大社の内の一つ、湍津姫神が祀られている『中津宮』がある大島行きのフェリー乗り場があります。

フェリーの出航時間を見ると2時間に1回出航しているようで意外と頻回。
時間も片道25分とこれまた意外と早い……さてどうするか、と悩ましい。
運賃も片道570円とリーズナブル。
てっきり予約が必要なものと思っていたのでこれは思いがけない誤算でした。

行ってみたい気持ちは十二分にありますが、このあとは博多に戻ってどんたくを楽しもうと予定を組んでいました。
大島に行けば、どんたくは諦めるしかありません。
はてさて、どうしたものか……。

とりあえず、良い景色なので散歩しながら考えるとしましょう。
とはいえ、時間はあまりないので手短にする必要はあります。

海辺の町というのはやはりのどかですね。
歩いているだけで心が穏やかになります。
聞くと今の時期は鯛が旬だそうで、フェリー乗り場には多くの太公望達が自身の愛竿を肩に掛け、戦場へ乗り込む様子が見えます。

大島周囲には勝島や地島といった離島があり、そこも釣りの名所として知られています。

のんびり歩いていると港近くに石造りの鳥居を発見。
額を見ると『宗像神社』の文字が……十中八九、宗像大社関連なのは確か。
これも何かの縁……行ってみることにしましょう。

鳥居の入り口にはロープが張ってあったので、くぐって入ることに……参道は落ち葉などで荒れ模様。
長らく人は来ていないのでしょう。
半ば獣道化していて少々怖いですが、勇気を持って進んで行きます。

坂を上がるように進んで行くとかなり拓けたところに出ました。
ところどころ草が伸びている箇所はあるものの、ここは適度に刈っているのか綺麗に整備されています。

案外、宗像大社の関係者が来ていたのかもしれません。
けれども、油断は禁物……草陰から何かが飛び出して来るかもしれませんからね。

警戒しながら周囲を探索すると石柱が立てられている場所を発見。
誘われるように先へ進んで行くと……

小さな祠を発見しました。
恐らく、海の向こうにある大島、沖ノ島を遙拝するために祀られているものでしょう。手を合わせて参拝します。

海側の方へと移動して景色を見ると、確かにここからなら大島がよく見えます。
そんな大島の向こうには聖なる島、沖ノ島が……2017年『神宿る島 宗像・沖ノ島と関連遺産群』として、宗像大社の三宮、沖ノ島の古代祭祀遺跡、そして宗像氏の墳墓群である新原・奴山古墳群などが世界文化遺産に登録されました。
一度はこの目で見てみたいところですが、果たしてそんな日はくるのだろうか?

しかし、ここからの眺望はかなり良いですね。
散策していたら思わぬスポットを発見してしまいました。これぞぶらり旅の醍醐味。

宗像神社をあとにし、フェリー乗り場へと戻ります。
色々と悩みましたが、今回は大島に行くことはやめることに……そして、またいつか福岡に来た際に行くことにします。
こうすれば、次に来た時の楽しみになりますからね。

そうと決まれば博多へ戻りたいところですが、バスが来るまで時間がまだあるので周囲を再び歩きます。
こういう堤防を見ると釣りがしたくなります……次は釣り旅で訪れるのもアリかな。

フェリー乗り場のターミナルは二階に上がることもできます。
ここからの眺望もまた良いものです。

左に小さく見えるのが勝島……なのでしょう。

正面に見えるのが先ほども見た大島……結構近くに見えます。
次に福岡へ訪れた際には必ず……そして、その先にある沖ノ島もこの目に……。

バスの時間が近づいてきたので、バス停へ向かいます。
神湊……大島……また新たな夢を見つけることができました。

博多どんたくの囃子に誘われ…
お昼過ぎになって、ようやく博多へと戻ってきました。
駅前は前日に引き続き、多くの人で賑わっています。
どんたく開催中は各所で舞台が設置され、そこでは踊りやミスコンなど多彩な催しものが開催されています。

舞台は各区ごとに設置されているらしく、どこに行っても人だらけ……さしずめ、どんたく包囲網が形成されているかのようです。
人混みをかき分け、パレードが行われる通りを目指します。

少し人に酔ってしまったため、川沿いで休憩……しかし、人の数が凄まじい。
九州一の都市で繁華街、とただでさえ人が多く集まる中にお祭りであれば仕方ないとはいえますが……。

少し休憩した後、沿道へ向かいますが既に人で溢れかえっています。
交通整理をする方も大変でしょう。お疲れ様です。

そうして暑い中、待っていると賑やかな音楽と共にパレードが始まりました。
この日はどんたく祭り2日目とのことで、子供たちなどが中心のようです。

どんたく祭りは正式には『博多どんたく港まつり』……福岡市で毎年5月3日と4日に開催されるお祭りです。
その起源は、約840年前に遡ること平安時代の末期、治承3年に始まったとされる『博多松囃子』という民俗行事になります。
元々は新年を祝う行事として地域を治める領主への年始の挨拶として行われていました。

初期の頃は福禄寿、恵比須、大黒天の三福神に扮した人々が馬に乗り、稚児と呼ばれる子供たちが舞を披露しながら練り歩くというもので、稚児たちは『言い立て』と呼ばれる祝言を歌いながら行列に華を添えるのが習わしで、これは地域社会の安寧と繁栄を願う人々の思いが込められていました。

やがて江戸時代に入ると、博多松囃子は福岡藩の藩主である黒田氏への年始の挨拶として、正月15日に行われる年賀行事として定着。
博多の銘菓で知られる『通りもん』の由来となった行列が福岡城へと向かい、三福神と稚児を先頭に、趣向を凝らした衣装を身につけた博多の町人たちが続く……この頃には、さらに人形を飾った装飾的な山車や舞台なども行列に加わるようになり、祭りはより一層賑やかさを増しました。

しかし、明治時代に入ると明治新政府から派遣された県知事によって、祭りの過度な華美さが「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由で禁止に……。

危うく断絶の憂き目に遭ってしまいますが、明治12年に祭りを再開し、その際に『博多どんたく』と名称を改めました。
この名称はオランダ語で日曜日や休日を意味する「Zondag(ゾンターク)」に由来すると言われており、この復活は紀元節(2月11日)を祝う形で行われました。

その後、第二次世界大戦中にも再び一時中断を余儀なくされましたが、終戦翌年の昭和21年に『博多復興祭』として8年ぶりに再度復活。

昭和24年には新憲法発布を記念して開催日が5月3日と4日に定められ、昭和37年には市民総参加の祭りとして『福岡市民の祭り博多どんたく港まつり』と改称……現代と至ることとなりました。
こうして見ると数々の苦難がありましたが、それにめげずに受け継がれていたのがよく分かります。

現代のどんたく祭りでは5月3日の朝に博多松囃子の行列が市中を巡り、祭りの幕開けを告げます。2日にわたっては、様々な『どんたく隊』が、思い思いの仮装で市内を練り歩くパレードが繰り広げられます。
多くの参加者がしゃもじを打ち鳴らしながら踊るのが特徴ですが、これは夕食の支度をしていたおかみさんが、祭りの音に誘われて思わず手に持っていたしゃもじを叩いて加わったという逸話に由来するため。

祭りのフィナーレには、観客も参加できる『総おどり』が行われ、閉幕となります。
あれよあれよという間に今回のどんたく祭りも終演へ……現地の祭りを楽しめたのは神様からの選別でしょうか?

夕日も沈み、博多の街にも夜の帳が降り始めます。

祭りの賑わいも沈静化……人々の数も徐々にまばらに……。

近くの屋台村では最後のかき入れ時なのか、店の人が声を張り上げ呼びかけています。
夏には早いですが、こんな祭りの風景も良いですね。

大人の雰囲気漂う夜の街
どんたく祭りは終わりましたが、博多の街は夜も本番。
中州や天神の道路沿いには屋台が軒を連ね、大人たちの社交の場に……。

外灯が点く頃には街は一変、お洒落な雰囲気へ……こりゃ、デートスポットにもってこいですね。

河川の両脇には色とりどりの電飾が輝きを放っています。
これぞまさしく、有名な繁華街の姿……。
ボーっと川を見ながら物思いに耽るのも悪くありません。



屋台はどこも観光客や現地の人で長蛇の列……少し興味はありますが、私は酒が弱いうえ、明日も早いので見物のみに……。

博多の街にも屋台船はあります。
暑い日とか、川で涼みながら宴会に興じるのはさぞ楽しいことでしょう。
祭りでも平時でも博多の街はいつでも賑やかです。

九州を出て故郷へ…
5/5日、朝9時……博多での二泊三日も終わり、九州全土を巡る旅もいよいよ終わりを迎えます。
沖縄から戻って13日……約2週間。
沖縄の分も含めると3週間……我ながら非常に長い旅をしたと思います。
もう生涯においてこれほど長い期間、他の土地を歩くこともないでしょう……そう思うと離れるのがどこか寂しい気もします。
ですが、いつかは現実に帰らないといけません。
後ろ髪を引かれる気もありますが、いつだって人生は前を向いて歩くもの……東京行きの新幹線に乗り込みました。
ありがとう九州! また、いつか会う日まで!

博多駅から新幹線に乗り、東京駅へ……この改札を見るのも久しぶりです。

朝に出て新幹線を乗り継ぎ、夕方になってようやく故郷、岩手の盛岡駅に到着。
こうして、長きにわたる沖縄・九州の旅はようやく幕を下ろしました。

おわりに
今回は長年の夢であった沖縄・九州を巡る旅を無事に果たすことができました!
現地では様々な人やものと出会い、これからの生き方について色々と考えるいい機会になったと実感しています。
また、船や列車、バス……公共交通機関を使うことでよりその土地の空気を感じることができたというのは日常で車を使う私にとっては新しい発見になったと思っています。
普段は旅行で飛行機を利用する皆さんも、たまにはゆっくりと時間を使った旅をしてみてはいかがでしょうか?
