四国旅/高知(四万十川流域・高知城・ひろめ市場・高知駅/①)【シードル旅行記】
前回のあらすじ……
愛媛の地へとやってきた私シードル。
海城や神社仏閣を巡りながら、松山市へと入り、名産のみかんジュースやじゃこ天に舌鼓を打ちながら、松山城や夏目漱石で有名な道後温泉を訪れ、身も心もリフレッシュし、体力は回復!
そして、今回行く先は…かの幕末の英雄『坂本龍馬』を生んだ高知……果たして一体何が待っているのか?
くろしお鉄道に乗り、最後の清流へ……
5/15、朝8時………高知県へと入るため、松山駅宇和島駅へと移り、そこから四万十川流域を通る『土佐くろしお鉄道』の『しまんトロッコ』に乗車します。
しまんトロッコは2両編成の観光列車で、1両目が全席自由席の普通車両…2両目が全席指定席のトロッコ車両となっており、その2両目は窓が無く、風をダイレクトに感じることができます。
運行路線は宇和島駅から窪川駅と高知駅までは行けませんが、最後の清流と称される『四万十川』の自然を間近に感じることができるため、人気の路線となっていますね。
ただし、今回乗車するのはトロッコの無い普通車両のみの1両編成……春のこの時期は土日祝日のみしか運行していない、とのことで残念ですが、通常車両で高知を目指します。

車内は平日にも関わらず、多くの人で賑わっていたため車内の写真は割愛とさせていただきます。
ちなみにですが、トロッコ列車が運行する際は連結はしていますが、トロッコ部分の実際の乗車は『江川崎駅~土佐大正駅』間となっており、それ以外の区間は通常車両の乗車となっています。
また、通常車両は指定席などは無いですが、トロッコ車両の乗車は全席指定席で予約が必須なので乗る際は注意しましょう。
しまんトロッコは乗客の方に四万十川の景色を堪能してもらうため、ゆっくりと走行します。
その時間はなんと約2時間半!
宇和島駅から9時半頃に出発し、終点の窪川駅に到着するのは12時ちょっと過ぎ……さらに車両内にはトイレがありませんので、乗車前に済ませておくことを強くオススメします。
とはいえ、途中の『土佐大正駅』で休憩の停車がありますので、ずっと2時間半乗りっぱなしというわけではないので、ご安心ください。

11時半頃に休憩地点の土佐大正駅へと到着。
かなり趣のある駅舎です。
駅員さんはおらず、周囲には自販機のみで商店の類はありません。
飲み物の購入などはここで済ませましょう。

休憩を終え、再び乗車。
このままゆるりと終点の『窪川駅』まで行っても良かったのですが……
「せっかく来たのだから四万十川を歩いて見たい!」
という思いもあったので、『沈下橋』らしきものの近くで停車した『若井駅』で下車することに……。
次がちょうど窪川駅の一つ前なので、ちょうどいいですね。
下車した乗客は私一人でしたが……

のどかな田舎道を歩きながら、川へ下りられるところを探すとお目当てだった『沈下橋』を発見!
こちらの橋は車が通れないよう柵がありましたが、逆に好都合というもの……さっそく渡ってみましょう!

橋の入り口に立つと…………おおっ、やはり!
欄干の無い石造りの橋が姿を現しました。
これを見たかったんですよ!

沈下橋とは増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のこと。
四万十川は上流にダムが無いため『最後の清流』と称されますが、代わりに自然のままのため川の水位が変動しやすい特徴があります。
そのため、洪水時が起きても橋が水面下に沈むよう、流れに逆らわずに通行するためにこのようにしたそうです。
通常の橋に付いている欄干が付いていないのはこのためで、欄干を設けてしまうと洪水で沈んだ際に欄干が邪魔になって流れてきた流木やゴミが引っ掛かり、崩壊してしまう危険があります。

自然とともに生きる人々の知恵が作り出した橋というわけです。

すぐ近くには立派な橋が架けられていました。
車両止めの柵が設けられていたのは恐らく、この大きな橋が出来て生活道路の役割が無くなったからでしょう。
けれども、そのお陰で観光化されている他の沈下橋と違い、車や人の往来が無く自由に過ごすことができるのは私にとってありがたいことです。

橋に腰掛けて川面を眺めたり…………

地面に伏せてギリギリのアングルで写真を撮ることも全部が自由!
人目を気にせず、地元住民の車も気にしなくて良い…………素晴らしい時間です。

近所の人達は川に飛び込んで遊んだり、網を投げて魚を取ったりしていたのでしょうね。
いいなぁ~…………そう思っていると眼下に大きな鯉が泳いできました。
写真の中にいますが、どこにいるか分かるでしょうか?
飛び降りれば捕まえられそうでしたが、ここで捕まえても仕方がないのでやめました。

いつまでいるわけにいかないので、窪川駅を目指して出発します。
ちなみにしまんトロッコは上りと下りでそれぞれ1日1回しか運行しません。
まぁ、片道で半日かかるので本数が少ないのは仕方がありません。
流域の自然を満喫しながら、歩きましょう。

広大な流域に青みがかった……緑がかった川面がまた一段と美しさを引き立てていますね。
そして、巨大魚の多いこと多いこと……遠目からでもはっきりと見ることができます。
恐らく鯉でしょうが、生命力に溢れている川といえます。

山の間を流れる清流は実に美しい!
しかし、一駅分とはいえ終点であるはずの窪川駅が一向に見えてこない!
人家が無く、緑ばかり……ここまで来ると流石に一抹の不安を抱きつつあります。
見知らぬ土地で車はおろか人っ子一人いない状況だと、心細くなるものですね。

電線と舗装された道路があるのがまだ救い……これが岩手の山間部ともなると急に林道や砂利道になるので、「生きて帰れるのか?」と思ってしまうことが度々あります。

しかし、こうして見ると四万十川も岩手を縦断する大規模河川『北上川』に似ていますね。
土地は違えど、なんだか妙な親近感を感じてしまいます。


一際大きな流域に差し掛かるとようやく町らしき場所が見えてきました。
これでようやく一安心。
川の青さも一段と深まっていますね。

どこかの支流と四万十川本流の合流地点では川の色が驚くほどくっきりと分かれています。
川の境界線は水の色で決まる、ということですね。

十分に四万十川の自然を満喫しながら、ようやく窪川駅へと到着。
長かった……かなり長かった!
正直、一駅の距離を舐めていました。これもまた人生の勉強です。

窪川駅では生きた川魚が展示されています。
やはり四万十川………川魚アピールはしっかりと行っていますね。
ここから特急列車に乗り、高知駅へと向かいます。

2時間ほど掛け、ようやく高知での拠点となる高知駅へと到着。
駅舎の見た目だと新幹線が通っても不思議じゃないんですが……四国には列車しかないんだよなぁ……。

高知駅の中には子供達が大好きな『アンパンマン』に関するものがたくさんあります。
というのも、高知は『アンパンマン』の作者である『やなせたかし』さんの出身地だからなんですね。
私は子供がいないので、グッズなどは購入しませんでしたが、ここでしか買えないものもあるようです。
小さいお子さんがいる方はぜひとも、家族で高知旅行に来てみてはいかがでしょうか?

おや……?
駅の前の石になんだか見覚えのある名前がありますね。
どうやら、ここは岩手を代表する詩人『石川啄木』のお父さんが最期にいた地でもあるようです。
遠く離れた土地で故郷に縁のあるものを見つけると、なんだか嬉しくなってしまいますね。

四国の中でも南に面しているからでしょうか?
街中には南国風の木々が立っています。
どこか鹿児島や宮崎のような雰囲気を感じますね。
時刻は15時……余裕がありそうで施設の入館時間としてはギリギリとなる時間帯。
ここからは高知市街を巡っていきましょう。

オンリーワンに溢れた名城
高知城
ぶらり市街を散策し、やってきたのは『高知城』
高知城は関ヶ原の戦いでの功績により、徳川家康から土佐一国を拝領した『山内一豊』が、 慶長6年(1601年)に築城を開始し、慶長16年(1611年)に完成させた『南海道随一の名城』です。
丸亀城といい、四国は名城が多いですね。
入り口にはこれまた丸亀城同様、立派な門構えと石垣があります。
この追手門と天守がともに残っているのは、現在では高知城、丸亀城、青森の弘前城三城のみなのだとか……どうりで雰囲気が似ているわけですね。

近くには『山内一豊』公の像があり、お出迎えしてくれました。
山内一豊は織田信長の家臣であった秀吉に仕え、信長の越前朝倉攻めでは秀吉の配下として武功をあげ400石の領地を与えられ立身を果たした人物です。
秀吉亡き後は徳川方に味方し、関ヶ原の戦いでの功績が認められ、土佐一国を与えられ初代土佐藩藩主となりました。
それにしても、戦国武将の像ってなんでこんなにも立派に見えるんでしょうかね。

近くにはもう一つ『板垣退助』の像もあります。
「板垣死すとも自由は死せず」の言葉が有名で自由と平等を重んじ、国会の設立にも貢献した明治維新立役者の一人です。
生涯幾度も暗殺の憂き目に遭い、よく幕末や明治を題材にしたドラマや漫画では暗殺されていますが、実際は83歳とかなりの高齢で亡くなっています。
坂本龍馬といい、高知は明治に関わる多くの偉人を生み出していますね。

広く長い階段を上りながら天守のあるお城を目指します。
この手の階段を上がるのもだんだんと慣れてきました。

進んで行くと一豊の正室『山内千代』の像がありました。
織田信長の馬揃え(軍事パレード)の際に自身の財産で夫の欲しがっていた名馬を購入し、それが元で加増(出世)した『馬と黄金の話』や石田三成の挙兵の知らせの書状に加え、家康に忠誠を誓うように促した手紙をしたためて文箱に入れ、田中孫作という人物の笠の緒に縒り込んで家康に届けさせた『笠の緒文』という賢妻のエピソードが豊富な方です。
戦国時代は機転が利かなければ生き残れない世界……一豊にとってはとても心強かったことでしょうね。

こちらにあるのは『詰門』と呼ばれ、本丸と二ノ丸の間にある空堀に建てられた櫓門のことをいい、江戸時代には『橋廊下』とも称されていたようです。
窓がある櫓の部分が渡り廊下となっており、この状態での現存は全国でも高知城だけとのこと……見た目は門のようですが、意外と身近なところにオンリーワンは隠れているものですね。

進んでいくと石垣の間から立派なお城の天守が見えてきました。
画像からでも分かるとおり、結構な高台にあります。

ようやく入り口の広場へと到着。
受付で入館料500円を払い、いよいよ入城です。


天守はこじんまりとしながらも厳かな佇まいを感じる威風溢れる外観です。
大きすぎず、小さすぎない……しかし、拠点としての機能は十分。
ただ、この城の外観と今まで私が観てきた城……何か違うというか違和感を感じる。
それもその筈でこの高知城は本丸御殿が天守に接続する形式を残す唯一の城!
天守というのはほとんど外敵からの監視や戦での籠城の拠点とすることが多く、平和な時代においては別にある御殿で生活したり、政務をするのが通常だったそうで……じゃあ普段は何に使っていたとかというと武具などを納める物置として使われていたみたいです。
よくアニメなどで天守に住む殿様を描いていたりしますが、実際に生活していたのは織田信長の持っていた安土城と豊臣氏の大阪城といわれています。
それにしても、黒を貴重とした色合いが「これぞ和風の城!」を体現していますね。

中に入ると、時代劇の場面でよく見るような風景が見られます。
この廊下を家来が駆け回り、庭で稽古や鍛錬をしていたのでしょうか?
ただ、想像していたよりも廊下に立っている柱の間隔や庭が狭いような気がします。
これは高所ゆえに建っているからでしょうか?
とはいえ、高知城は江戸時代以前から残る『現存天守十二城』の内の一つ……いわば、当時からそのままの姿を保っている城なので、この間取りの間隔が昔の基準だったのでしょう。

各部屋を見て回っていると一段高くなっている場所がある部屋を発見。
これもよく時代劇なんかで見るお殿様が座る上段の間、という部屋でしょうか?
歴史ものは好きですが、こういう詳細な部分についてはまだまだ疎いので、改めて勉強しなければ……。

お城あるある、天守へ続く階段は急…………見てくださいこの角度、ほぼ垂直です。
もうここまで傾斜をつけるくらいなら、いっそ梯子にしたほうが楽だったのではないか、と思ってしまいます。
絶対当時としても階段を踏み外して転げ落ちた人は必ずいた筈です。

慎重に階段を上がり、天守へと到着。
果たして、ここからはどんな景色が拝めるのでしょうか?

高知城周辺には県庁や市役所、裁判所といった官公庁となっています。
緑がある中で近代的な建物が立ち並ぶ姿は現代らしい景色といえます。

こちらは市街地方面……向こうにある山までずっと建物が続いています。

ちょっと休息がてら真下を覗くと立派なしゃちほこがありました。
画像で見ると小さく見えますが、実物は意外と大きく、そして細部に至るまで緻密な意匠が施されています。
このしゃちほこは伝説上の鯱にちなんだもので、主に火除けの役割を担っているそう。
屋根の棟瓦の両端に装飾され、火事があった際に口から水を吐いて消火するという伝説にがあることからの縁起物として色々なお城で見かけます。
それ以外の場所ではお金持ちや豪農の家などでも飾られていますね。
昔は火とはそれほど恐ろしいもの……ましてや高台に建てた建物ともなれば水がなかなか引けない手前、特に気を付けていたことでしょう。

こちらからの景色では高知城の敷地を見渡すことができます。
結構な広さを有しており、少し大きな公園といった感じです。

私が上がってくるまでの道もまる分かり……上から見ると結構歩いて上がってきたんだなぁと実感してしまいます。
達成感とともに「また帰りもこの道を通るんだ…」という思いも込みあげてくるのでなんとも複雑な気分です。

南側の方は本丸全体がよく見えます。
市街地の中にひっそりと佇む城……現代という大海の中に浮かぶ、古風という名の島にいると喧騒やストレス渦巻く世から隔絶された気分になります。
例えるなら、休日にアウトドアで山や海に行くのと同じ感じでしょうか?
人無くして人間は生きてはいけませんが、時には離れることもまた大事……。

城内に戻るとイケメンの足軽が槍を持ってお見送り……お見送りというか状況としては「早く出ていけ!」と槍を突きつけられているシチュエーションですね。
しかし、この足軽……意外と身長が高い。
しかも青銅製だから防御力はピカイチ……城の防衛にピッタリですね。

下から高知城を見上げてみます。
この部分だけ見ると、地方の有力者の家に見えなくもない………逆にいえば、その有力者達はみんな自宅を城風にしているということでもありますね。

石垣を眺めながら市街地へと下っていきます。
なんというか今まで見てきた城の石垣の中では石が乱雑に見えるようですが、細部等にちゃんと加工が施されていますね。
この工法は『野面積み』といわれ、排水も良く非常に堅牢になるのだとか……荒々しくも繊細さを持ち合わせているということですかね?

城門まで戻り、天守を入れてもう一度撮影。
こうして見ると登城という言葉がよく似合う………。

高知城でも売店にて御城印を入手しました。
ふむ……鷹城ともいうんですね。
南海の名城といい、名前も見た目もカッコイイ城でした!

高知城歴史博物館
16時頃でしたが、近くにあった『高知城歴史博物館』へ立ち寄りました。
ここには高知城にゆかりの山内一豊の一族……山内家ゆかりの資料や収蔵品、土佐の歴史などを知ることができます。
幕末に深く関わった土佐藩のためか、歴史博物館には珍しく当時の写真が展示されていました。
絵による資料も大事なものですが、写真ともなるとより信憑性が増しますね。

そして、歴史関連の博物館では欠かせない具足(甲冑)の展示!
具足は青みがありますが黒も交わり、クールな印象を受けます。

ところで、私は土佐で具足と聞くと山内氏の前任であった長曾我部氏の『一領具足』を思い浮かんでしまいます。
一領具足とは平時には田畑を耕す農民として生活をし、領主からの動員がかかると、一領(ひとそろい)の具足(武器・鎧)を持って、すぐに召集に応じる半農半士の集団のこと。
後に長曾我部氏が改易され、新たに山内氏が土佐に来た際、この一領具足の集団が反乱を起こしました。
この反乱は鎮圧されましたが、これがきっかけで土佐独自の武士階級『上士(藩士)』と『下士(郷士)』という制度が生まれ、長宗我部遺臣団は郷士として取り立てられることになります。
武士身分として藩に登録され、苗字帯刀の特権も与えられる反面、身分としては最下級に属し、差別があったともされていますが、一方で功績に応じ『白札』と呼ばれる上士待遇を受ける制度もあり、これによって坂本龍馬や武市瑞山(半平太)といった才能ある人材が生まれるきっかけにもなりました。
そして、その人物達が時代を変えるのですから……世の中というのはどこでどう変わるのか本当に分からないものです。
ひろめ市場で本場のカツオのたたきを堪能!
土佐の歴史を堪能した後は、食を堪能しに行きましょう!
やってきたのは、高知の台所『ひろめ市場』
名前の「ひろめ」についての由来は土佐藩主山内家に仕えていた家老『深尾弘人蕃顕(ひろめしげあき)』からとったもの。
この方は四代の藩主に仕えながら、寛大で侍達の能力を活かすことに長けた名家老といわれており、その家老の屋敷があったこの辺り一帯を『弘人(ひろめ)屋敷』と呼んでいたことから名づけられたそうです。
実はこの市場にあるお店のあるものがど~しても食べたくて、やってきたのです。

そのあるものとは『明神丸』さんの藁焼き鰹!
土佐といえばカツオのたたき! そして、私はカツオのたたきが好物なんです。
鮮度のいい、カツオを本場の藁焼きで味わう……高知に行く時からずっと夢に抱いてました。
今回は塩とタレの2種類で味わうコースを注文。
目の前で焼かれたカツオを受け取り、さっそく席について食べてみます。
果たして、その味は?

…………
…………もう、声にならないほど…………
最高ですッ!!
今まで食べたカツオのたたきの中でダントツ、ぶっちぎりに美味い!
タレも良いですが、特に衝撃を受けたのが塩!
さっぱりとしながらもカツオの旨味を引き立てて、胃に行ってもなおその存在を舌から離さない!
薬味のニンニクスライスもより一層味を引き出します。
今までカツオのたたきはわさび醬油かポン酢、薬味は青しそに生姜といったオーソドックスなもので楽しんでいましたが、新しい調味料と薬味が新たな知見と味覚を開放してくれました。
これが本場のポテンシャル!
今まで、現地のものはいくつか食べてきましたが、この味は衝撃的でしたね。
なんせ、少食の私が外食でおかわりを初めてしたのですから、土佐の藁焼き鰹は私に新たなことを次々と教えてくれました。
この味の感動を共有するべく、実家の家族にも藁焼き鰹を発送…………。
余談ですが、私の父もこの塩で楽しむスタイルが気に入り、以降はタレを使わず塩で食べています。
人生を変える味……この衝撃を知りたい方はひろめ市場の明神丸さんにぜひとも足を運んでみてください。
偉人と神様との出会い
三偉人との邂逅
カツオの衝撃が忘れられず、フラフラとしながら再び高知駅へ。
お酒を飲んでいないにも関わらず、心が酩酊状態の私を土佐の三偉人が出迎えてくれました。
右から『武市半平太』先生、真ん中が『坂本龍馬』先生、左が『中岡慎太郎』先生です。
もはや、説明が不要な超有名人ですね。

もう誰もがご存知のこの三人……私はこの中では武市半平太先生が特に好きですね。
人斬りである『岡田以蔵』をけしかけたことで有名ですが、その実、酒飲みの多い土佐の地では珍しい甘党の下戸であったり、投獄後に牢番を気遣って交流を育んだり………人間味があるところが妙に親近感を抱くんですよね。
岡田以蔵を動かしていた武市先生ですが、自分の剣の腕はというと…………こちらも超がつくほどの一流。
居合抜刀術を主とする『鏡心明智流』の皆伝まで至っているのですから、弱いわけがありません。
ちなみに私が最も好きなエピソードはその最期…………切腹を申しつけられた際、誰もなしえなかったといわれる『三文字割腹の法(切腹を三回行うこと)』を行い、三度かっさばいた後、前のめりになったところを二名の介錯人に心臓を突かせて絶命した……生き様は死にざまとよくいわれますが、今までの人生を凝縮し、それを示したようでもはや尊敬の念すら抱きます。



宴会好きの神様
先人方に想いを馳せ……さて、宿に帰ろうとした時、私の目の前に神様が現れました。
このお方は『べろべろの神様』
高知県の伝統的な宴会文化『おきゃく』に登場する神様で、夜遅くまで宴会を楽しむ人々を見守る存在とされています。
『おきゃく』とは土佐弁で宴会を意味し、県内各地で開催されるイベントでは、べろべろの神様が参加者の飲酒や座敷遊びを見守るそうで、特に『べく杯』と呼ばれるお座敷遊びでは、神様が誰がどの杯で飲むかを決める役割を果たし、参加者同士の交流や盛り上がりを促すそうです。
御利益……というか効能としては良好返杯、女子力増、勢力強壮、家内安全、不安撤退、二日酔減、お授かり、健康良酒、階段落無など…………多岐に(?)渡ります。
っていうか、全部酒飲みに効果があるものばかりですね(笑)
ただ、下戸でも効果がありそうなものもいくつか……。
悪酔いしないようお祈りし、本日の宿へ。

酔いつぶれる心と体に忍び寄る試練
本日の宿のビジネスホテルに戻り、極少量のお酒を入れると余韻に浸る間もなく、すぐに眠りに落ちてしまいました。
よく動き、早寝早起き………旅をすると規則正しく、体に優しい生活になります。
そんな意識がウロウロしている中……テレビから僅かに聞こえてきた「雨雲接近中」の知らせ……。
四国における次なる試練は着実にその歩みを進んで、私に静かに近づいてくるのでありました。





