備忘録

〖備忘録 第65譚〗この世は理不尽かつ非情で残酷

 おばんです、シードルです。

 嫌なことがあった時や良くないことが続いた時、皆さんは「あ~、この世界ってロクでもないなぁ……」と思ったことはないでしょうか?

 私は結構あります。

 それどころか昔は神様や仏様のことをすごく嫌っていて、一時は存在していないとまで思ったほどです。

 それが今では休みの日となると神社仏閣参りに勤しむ趣味と化しているのですから、人間とは変化しやすい生き物なのかもしれません。

 さて、話を戻し……この世界というのは理不尽かつ非情で残酷な世界です。

「いや、この世界は美しく、情で溢れた素晴らしい世界だ。それは思い込みだ!」という人もいるでしょう。

 確かに良い点に目を向け、前向きに考えることで人生豊かになるのは確かです。

 ですが、それはあくまで個人の話……世界全体あるいは大多数から見れば戦争や暴力、イジメ、利権争い、環境汚染などがあり、実際に被害を受けている人がいるのも事実。

 それらの問題もなければ『この世は優しさに溢れた世界』と言っても良いでしょうが、それはありえない話なのです。

 単刀直入に申し上げれば、この世は頭の良い人や権力のある人が自分たちに都合の良い社会の仕組みを作り、それをルールとし、それ以外の人はその檻の中で生きる……そして、檻の中でも容姿や体力、地位、名声が良い者がさらに下の者達から搾取する世界……自然界同様、弱肉強食の世界です。

 自然の摂理といえばそれまでですが……現に加害者が優位となり、被害者は泣き寝入り…大した努力もせず、生まれや他人から奪ったものを自分のものと強く主張したものが力を得て正義となる。

 実際、崇高な理念や行動をしても何の評価もなく、それでころか叩かれる始末……一念発起して努力したり反撃したりすれば、なぜか反撃した側が責められたり芽が出る前に潰されたり……。

 イチロー選手は「出る杭は打たれる……ならば、打たれないように伸び続ければ良い」と言いますが、伸び続けても抜かれたら意味はないですよね?

 たとえ、そこで培った優秀な能力を他で使おうにも今度は嫉妬や嫌がらせなどで十分に能力を発揮できず、結局自ら去ることになる。

 法律にある正当防衛もそうです。

 危害を加えられたらやり返さずに訴えろ……と言いますが、危害を加えられた時点で命の危険があるので後の祭りになることが多いです。

 イジメ問題もそうといえるでしょう。

 イジメを苦に自殺させたとしても、未成年の加害者は名前も住所も保護され「未来があるから」と少年院に送られ、数年塀の中で過ごすだけで罪が消える。

 けれど、被害者やその遺族は名前も住所も晒され、挙句はマスコミやSNSの餌食となり、その心に負った傷は一生消えない。

 大人になっても、そういう問題を起こした場合……会社や組織はその名に傷が付かないように加害者を守る。被害者には会社や組織に勤めている職員やその家族を守るため、と言って黙認させる。

 このように法律とは知っている者の味方にはなるが、必ず守ってくれる存在ではないですし……世の中「見ている人は見ているから」とか「黙っているのが大人」だとか言って丸め込もうとしますが、結局のところ何もしない……もしくは見て見ぬフリという現状です。

 だから、楽にこの世を生きるためには賢くなって他人を蹴落とし、自分が搾取する側にいるというのが必勝法といえるでしょう。

 因果応報……という言葉がありますが、他人に対して行った酷い仕打ちが自分に必ず還ってくる、なんてことはないです。

 だって、某国で戦争を起こしている大統領達は人を何万人と殺していても、その行いが返ってきてすぐ死ぬことはないですよね?

 まぁ、実際殺めたのはその配下にいる兵士達なのでそちらに跳ね返っているのかもしれませんが……そうなると間接的に悪事をしても罰は当たらないという証明になります。

 それでも「来世では酷い目に遭うんだか……」と言う人もいますが……では実際に来世で酷い目にあったという証拠はあるのでしょうか?

 よく前世の記憶を持って生まれてくる人がいますが、その方々はほとんど平凡だった人です。

 確かに記憶が無いからこの主張が正しいかは疑問ですが、同様に来世で必ず苦労したり悲惨な目に遭うという主張も怪しいわけです。

 それにその因果応報が正しかったとしたら……今まで何も悪いことせず誠実に生きてきた人がなぜ、ある日突然に事故や事件、病で大切な人を失うのでしょうか? それも前世の因果応報によるものでしょうか?

 また、話は変わりますが恋愛とかでモテるがゆえにタイプでない言い寄ってくる相手に酷い振り方をして心をたくさん傷つけて……仮に相手がそれを苦に一生ものの心の傷を負ったり、自ら命を絶ったとしても……自分は理想の相手を見つけて幸せな家庭を築き、営んでいる人がほとんどです。

 なんせ、相手が傷つくか否かなんて考えていたらキリがないですし、それが恋愛の醍醐味……ある人は「振られたほうが魅力がなかっただけ」というくらいですからね。

 いちいち気にしていられないわけです。

 だから自分優雅に暮らしていくためには……他人のことは気にせず、どんどん傷つけて追い込んで搾取する……理不尽かつ非情で残酷な世界を生きるには自分も同じように悪に染まるのが得策といえるでしょう。

 これが私も感じている『真実』です。

 けれども、一つだけ抜けていることがあるとしたらそれは……あくまで『楽』にこの世界を生きる方法であって、『幸せ』にこの世界を生きる方法ではないです。

 楽=幸せ……そう思う人もいるかもしれません。寧ろ、不便が多かった昔なんかはそうでしょう。

 だから「昔よりはマシだから……」と享受する人を達観している成熟な大人、と尊敬します。

 お釈迦様も『足るを知る』……を説いて身近なことに感謝し、幸せを感じなさいと言っています。

 それはそれで素晴らしい考えですが……それを自分より若い世代に説いて納得させるには無理があると思います。

 確かに水が楽に出せたり、電気が通ったり、スマホで色々なことができたり……昔に比べれば格段に楽になり、暮らしやすくなったでしょう。

 けれども、その時代を知らない人達にそのことを説いても実際に体験したことがないわけで、気持ちの面では雲泥の差があるといえます。

 それを知っているからと優越感に浸ったり、見下したりするのは愚の骨頂ではないでしょうか?

 そういうマウントの取り合いは今も昔も変わらないな、と思います。

 苦労しろ、とまでは言いませんが『幸せ』とは様々な体験や経験を通して実感するものだと思っています。

 そして、『芯』を持つこと…………先ほど述べたイチロー選手の「出る杭は打たれる……ならば、打たれないように伸び続ければ良い」を前半は批判していましたが、これを逆に考えると「抜かれないように根を張ればいい」ともいえます。

 根が張っていてれば抜こうとしても抜けないし、打たれたとしてもそれ以上沈まない……自身の考え、信念といった『芯』は孤独状態においてかなり強力な武器となります。

 それを我儘と揶揄する人もいますが人間の価値観は人それぞれ……気にしなくていいんです。

 他人の人格を否定し、変えようとする人なんて変わったところで自分の都合が悪くなれば捨てるような人なんですから……。

 それでも実力行使に出るような人がいたら仲間を作りましょう。

 多いか少ないか……力があるかどうか、はとりあえず関係ありません。

 一人でも仲間がいれば勇気が出ます。そして、一つできればあとはなし崩しに出来るものです。

 人間というのは自身のために力を振うには限界がありますが、仲間や大切な人のためなら驚くほど力が出るものです。

 一人の人間に目は二つに脳は一つ……二人の人間なら目が四つに脳は二つ……様々な視点と考え方があれば、たとえ力が強い人がいたとしても立ち向かえます。

 この世は不平等と言いますが『知恵』は老若男女関係なくみんな平等です。

 人間は自己中心的ですが、その中でも「神や仏、閻魔様や全世界の人間が許したとしても自分は決して許さない。一緒に染まるくらいなら死んだほうがマシ」という人やモノ、出来事は必ず誰しもあるものです。

 それは年齢や人種、性別を越えて発生するもの……人間とは自身と共通認識のものがあると途端に親近感が湧き、協力関係になります。

 呉越同舟……利害関係の一致というものですね。

 別にそれまでは孤独だっていいのです。

 自分の『芯』『仲間』を持つ……これがこの世界で『幸せ』に生きる方法です。

 

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