おばんです、シードルです。
本日は全国で大学入学共通テストが実施されましたね。
今回は新教科の導入や科目の再編成などがあり、受験生にとっては鬼門中の鬼門。
ぜひとも合格して欲しいものです。
新しく新教科として導入されたのは『情報』という分野……なんでも社会のデジタル化に伴い、情報の見極めや情報技術が問われる科目だとか。
時代の流れとはいえ、私が学生の頃に比べたら複雑な科目がかなり増えたものです。
ましてや、歴史では今まで教わったことが塗り替えられたり、小学校では早い段階から英語が科目として導入されたり、だいぶ変わってきました。
しかし、科目や質が増える一方で今なお不十分な科目もあります。
特に顕著な部分でいえば保健体育の授業じゃないでしょうか?
いわゆる体の仕組みや成人になってから重要視される『性』にまつわる授業が相も変わらず不足しているような気がしています。
今はどうなのか分かりませんが、昔はこの保健体育の分野は体育教師が務めることがほとんどで、多くの場合は男性教師。そのため、座学よりはスポーツ関係の実技ばかり多くやるのがしばしばありました。
テストがあるといっても〇×問題だったり、選択問題、一つの配点がやたら大きい問題ばかりで知識をないがしろにしていたという感じがします。
しかし、体育教師というのはほぼ生徒指導も兼ねている教師もおり、少しでも反発すると反省文だったり呼び出しを食らうことが多々ありました。
社会でいうところの国家権力を振りかざす悪徳警察官のようなものです。
そうしてそれを蔑ろにした結果……我々、20~30代世代において男女の確執だったり性被害問題が勃発したり、結婚に無関心だったりしているわけです。
「そんなの個人の勝手だろ! 人のせいにするな!」という意見もあるでしょうが、少なくとも義務教育という名目で小中学校において、子供は大人から教わっている……というより、指導されているのですから、万に一つもない……子の問題は全部親の責任、というのは無いと思います。
日本の学力は世界でも上位に位置している……確かに若い方々を見るとみんな賢く、頭が良いです。
けれども、賢さゆえにルールに引っ掛からなければ何をしても良い、というのが目立ち始めています。
頭が良く、楽に結果を出せればそれで良いのでしょうか?
多くの第三者は「それは違う」と言うでしょう。
しかし、実際はイジメようが、パワハラをしようが会社というのは利益や結果を出している人を優遇して守り、被害を受けている人を切り捨てます。
どんなに人間性が良くてもいつまでも結果を出せず、会社の利益にならない人は容赦なくクビや左遷で人事整理を行います。
一に結果、二に能力、三に容姿、四にお膳立て…………組織の中での優先順位はそんなもので、そこに性格や情の厚さは含まれていません。
ましてや、組織の優先順位としてはそうでも現実は嫉妬する人が足を引っ張ったり、濡れ衣を着せたりして、結果や能力もコロコロと変えられていきます。
他人を蹴落としたり、利用したり、排除したり…………これも第三者から見れば「酷い人間」でしょうが、悲しいことにそのような人間が上にいたり、大事なポジションについているわけです。
そうして、その人間が自分たちに都合の良いようにシステムを作り替え、自身と同じような人だけが残っていく仕組みを作る…………そんな状態が続いています。
大学に入ろうとしている方々はそんな人にならないよう、他人を思いやる心も忘れないで下さい。
また、受験が終っても結果が出るその時まで……油断せずお過ごしください。