民話の里……遠野。
遠野といえば座敷わらしや河童、オシラサマといった不思議なものの宝庫ですが、その不思議なものを一気に世に広めたのが日本民俗の原点ともいえる『遠野物語』です。
その『遠野物語』は一般的には民俗学者の柳田国男が著したことで有名ですが、その立役者として知られるのが佐々木喜善氏です。
彼は民話研究家として柳田国男だけでなく宮沢賢治など多くの名士と関わりがありました。
さて、そんな『日本のグリム』とも称される喜善氏ですが、その墓所がどこにあるのか……意外と知らない方は多いのではないでしょうか?
今回はそんな喜善氏が眠る墓所とそこに伝わるお話を現地に行ってきた際の景色と共にご紹介します。
遠野物語にもある古の墓所
概要
喜善氏が眠っている地は遠野市土淵町にある山口という地域です。
この地域……実はすぐ近くに姥捨て山で有名な『デンデラ野』がある土地でもあります。
山口集落を挟んでデンデラ野と向かい合う形で東側にある丘……そこに喜善氏が眠る墓所『ダンノハナ』があります。
この辺りの地域では
・【生の空間】……集落
・【死の空間】……ダンノハナ
・【中間の空間】……デンデラ野
という解釈をされています。
それを示すかのように現在ここは共同墓地となっていますが、山口館(屋敷)があったころは囚人の処刑場として使われていたそうです。
『ダンノハナ』は旧跡の有形遺産として『遠野遺産第65号』に選ばれています。
由緒
では、具体的にどのようなお話があったのか、遠野物語から抜粋しつつ、一部現代語訳に直しながら紹介しようと思います。
山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡(ひわたり)、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その傍らにこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追いやる習わいがあり。老人はいたづらに死んでしまうこともなるぬゆえに、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今日も山口土淵周辺にては朝に野に出ることをハカダチといい、夕方野より帰ることをハカアガリという。
引用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語111話
ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンノハナは大洞(おおはら)へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対する。蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなはちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。ここには蝦夷屋敷という四角に凹みたる所多くあり。その跡きわめて明白なり。あまた石器を出す。石器・土器の出るところ山口に二か所あり。他の一は小字をホウリヤウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然異なり。後者のは技巧いささかもなく、ホウリヤウのは模様なども巧みなり。埴輪もここより出る。また石斧・石刀の類も出る。蓮台野には蝦夷銭とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出る。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリヤウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩ほどの場所なり。星谷は底の方今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。このあたりに掘れば祟りありという場所二か所ほどあり。
引用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語112話
山口のダンノハナは今は共同墓地なり。岡の頂上にうつ木を植えめぐらしその東方に向かって門口めきたる所あり。その中ほどに大(だい)なる青石あり。かつてひとたびその下を掘りたる者あったが、何者をも発見せず。のちに再びこれを試みし者は大なる瓶(かめ)あるを見たり。村の老人たち大いに叱りければ、またもとのままになしおきたり。館の主の墓なるべしという。ここに近き館の名はボンシヤサの館という。いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り廻らせり。寺屋敷砥石森などいう地名あり。井の跡とて石垣残れり。山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。『遠野古事記』に詳(つまび)らかなり。
引用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語114話
ダンノハナに関する話はこのようにあり、111話はデンデラ野と関連した内容となっています。
ハカダチ、ハカアガリ……漢字に直せば墓立ち、墓上がりでしょうか?
デンデラ野に送られた老人達は墓に入ったことと同じ、ということならばとても悲しい習わしですね……。
ただし、これは一種の異説で本来の『ハカ』とは遠野の方言で『仕事』を意味するものだそうです。
112話はダンノハナの土地に関しての説明ですね。
ホウリヤウ……はよく分からないですが、巧みな模様の土器や埴輪、精巧な石器などが出土していることから豊漁または宝領なのかもしれません。
蝦夷屋敷……ということは昔のエミシの権力者がいたのでしょう……それにしても祟りとは……。
昔から墓泥棒はあり、その墓は決まって王や権力者の墓と決まっていますから、つまりそういうことでしょう。
114話は共同墓地としての話ですが、こちらにも祟りの話題が……大きい青石と瓶には注意が必要ですね。
トータルして話をまとめると……
恐ろしい話しかない!!:;(∩´﹏`∩);:
ちなみに今回の話しを収録した本はこちらになります。
遠野物語の原文だけでなく、訳された現代文も記載されているので初めてだけど遠野物語に触れてみたいという方にも分かりやすくてオススメです!
アクセス
さて、そんな恐ろしい話ばかりのあとですが……こちらがダンノハナの地図となります。
場所は少し分かりづらいですが、遠野駅から車またはタクシーで約15分~20分ほどとなります。
ルートとしては遠野駅から遠野バイパス(国道283号線)を目指し、そこに出たら国道340号線に入り、土淵町山口を目指します。
道中には縁結びで有名な『遠野八幡宮』や『カッパ淵』『たかむろ水光園』があり、ダンノハナ近くには『山口の水車』『デンデラ野』といった見どころがたくさんあります。
駐車場に関してはダンノハナ入り口にある神社に車を停めることができます。
探勝レポート
それではさっそく探勝といきましょう!
今回はダンノハナの入り口……神社の駐車場からのスタートとなります。
左端に写っているのは私の車になります。申し訳ありません……。
しかし、神社というよりは社……といったところでしょうか?
なんだか鳥居と社が一体となった不思議な感じです。
賽銭箱もなければ、謂れも神社名もなし……祀られている神様の記載や手がかりもなし。
もう少し調べてみましょう。
ダンノハナの入り口前に案内板がありました。
記載してある内容は概ね、前述あった遠野物語の通り……ただ一つ気になる点として「境の神を祀る小高い丘をダンノハナという」という記述がありました。
もし、神社が境の神様を祀る社だとするならば、その正体とはなんなのか?
境の神と聞いて真っ先に思い浮かぶのは『道祖神』です。
道祖神は村の境界や峠などに祀られる神で、異界と接する地点に祀られる神でもあります。
このダンノハナは『死の空間』とされ、集落が『生の空間』とされていた……とありましたから、死と生の境目ということで祀られているということになります。
道祖神ともなれば色々な神様が思い浮かびますが、もっとも有名どころで挙げられる猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です。
なぜサルタヒコかというと日本神話においてニニギノミコト(アマテラスの孫)が高天ヶ原(天上界)から高千穂(地上)に天下る際にその境目で待ち、道案内をしたからです。
となれば、あの神社はサルタヒコを祀っているということでしょうか?
あくまで仮説ですが……
それでは死の空間……ダンノハナへ潜入です。
無事に帰れるだろうか……祟られないだろうか?
佐々木喜善氏のお墓お墓参りに来ましたが、生きた心地がしません……。
失礼だけはしないように気を付けます……。
道中は鬱蒼とした木々が広がり、所々が暗くなっています。
この時の時間帯はまだ日の高い午前ですが、なんだか夕方のような暗さで少し涼しいようなうすら寒いような気がします。
祟り以前に物影から熊が出る方が怖いです。
時間においては数分……距離も近いのですが、体感としてはとても長く感じました。
ダンノハナからの眺めはなかなかに良いです。
この場所なら喜善氏も喜んでいることでしょう。
お墓に関してはプライバシーのこともあり、また他の方々のお墓を写すわけにもいきませんので、ダンノハナの写真はこれだけとなります。
実はこの上にもさらに行くことができるみたいでしたが、木がさらに鬱蒼としており一人だと色々と危ない(本音は怖かったからです…)気がしたため、やめました。
楽しむためには無理は禁物です。
最後に神社から見た景色……青空と緑の絨毯と化した田園がどこまでも広がっています。
おわりに
ダンノハナの由来としては『壇の塙(だんのはなわ)』から来ているという説が有力視されています。
「壇」は日本語でも「お墓」の意味で「塙」は「土が高い」と書くため、繋げると「お墓の丘」ということになります。
さらに後々調べたところ……神社といっていた建物はお堂とのこと。
すると神様ではなく仏様だったのか?
しかし、岩手の山村地域は神仏習合の名残が色濃く残っているため、やはり神様でいいのか?
と、色々と思いが巡ります。
多彩な想像が掻き立てられる不思議な場所、ダンノハナ……皆さんも喜善氏のお墓参りとともにこの不思議空間に行って見てはいかがでしょうか?