皆さんの身近には昔からあるけれどよく分からないものというのはあるでしょうか?
例えば、よく分からない看板や建物、不自然にあるため池や石碑など……挙げれば何かしら「そういえば……」と思い当たるものが一つくらいある筈です。
あるいは普段何気なく目にしているものが実は歴史的にも貴重なものであったり、とても珍しいものだった……ということもあります。
今回は県内外の多くの方々が利用する岩手県内の主要な道路『国道4号線』にある歴史的貴重な場所をご紹介します。
古の街頭の目印
概要
むかしむかし、江戸時代の頃……江戸の日本橋を起点として各街道の一里(約3.92km)ごとに道の両側に土盛りの塚が築かれました。
恐らく皆さんも社会の歴史の授業で聞いたことくらいはある一里塚というものです。
この一里塚は全国各地を旅する旅行者の目印となり、塚の頂部分には日陰を作る役割と塚の崩落防止のために松や榎といった樹木が植えられていました。
つまり、現代でいうところの簡易的な道の駅のような役割をしていたのです。
現代と違い、トイレやお土産を買う売店のようなものはありませんが、人が集まる所には必ず商いをする人達も集まるため、露天の屋台や茶屋なんてものもあったのかもしれません。
花巻市石鳥谷の国道4号線傍にある『江曽一里塚(えそいちりづか)』はそんな昔ながらの一里塚を見ることができる岩手県指定文化財となっています。
貴重な理由
しかし、一里塚と聞いて少し落胆した人もいると思います。
「一里塚なんて土をただ盛っただけだろう?」「一里塚なんてあちこちにあるじゃないか!」
そんな声が聞こえてきそうです。
確かに各地には一里塚があったことを示す杭や目印、盛り土などはありますが……よく考えてみてください。
皆さんは『ちゃんとした一里塚』というものをまじまじと見たことがありますか?
石碑や看板や土を盛った場所……そんな塚の跡を見ていたのではありませんか?
そうです。
多くの一里塚は道路の拡張工事や区画整理のために取り壊されたり、塚を支える樹木が伐採されたりして完全な姿を留めていません。
そんな意味ではほとんど昔と同じ姿を保っている一里塚というのは貴重なものなのです。
アクセス
『江曽一里塚』は花巻市石鳥谷町の国道4号線傍にあります。
一里塚は国道の東側……『道の駅 石鳥谷』から花巻市街地方面へ向かって左手、花巻から盛岡方面へ向かって右手にあります。
近くには『ビジネスホテル空港』さんと当ブログでも紹介している『逆ヒバ』があります。
指定の駐車場はありませんが『江曽一里塚』の見える近くにコイン精米所がありますので、車を停める際はそこを利用するのがいいでしょう。
コイン精米所から徒歩約1分ほど……押しボタン式信号機を渡るとすぐに『江曽一里塚』があります。
探勝レポート
それでは、探勝レポートといきましょう!
今回は近くにあるコイン精米所に車を駐車してのスタートです。
すると、さっそく……
すぐに例の一里塚が目の前に!
恐らく当ブログ史上最短の発見です(^_^;)
とはいえ、ここからではよく分からないので横断歩道を渡り、もう少し近づいてみます。
『江曽一里塚』に到着。
塚の上に植えられている榎(?)も立派なものです。
確かに目印としてはこれ以上ないほどに最適でしょう。
道路標識の無い時代……樹木はそんな標識代わりだったのかもしれません。
近くには『江曽一里塚』に関する看板もあります。
一里塚の説明でも被っているところがあるので、ここでは一部抜粋して紹介します。
江曽一里塚は、盛岡南部家三代藩主南部重直が行った奥州街道(道中)整備の際に造られたもので、明歴4年(1658)年ころの構築と考えられています。この一里塚は、江戸日本橋から132里(約518.4km)、盛岡まで7里(約27.5km)の位置にあります。
現存する塚は東側の一基のみですが、規模や形状から構築当時の状況をよく残していることがわかり、昭和44年(1969)に岩手県指定文化財(史跡)に指定されました。
引用元『江曽一里塚』
ちなみに向こう側にも似たような塚がありましたが……
一見するとただの盛り土のように見えます。
近くに工事や畑なども無いため、恐らくは西側の一里塚跡だと思われますが確定とはいえません。
しかし、恐らく各地に残っている一里塚跡は近くに表札でもない限り、このような形でしか残っていないと思われます。
『江曽一里塚』の近くには立派な碑が二つ……一つは『江曽一里塚』のもの、もう一つは『明治天皇江曽御小休所』と彫られた字が……。
明治天皇陛下もこの地を訪れ、休まれたのでしょうか?
江戸時代が終焉し、明治に入り……各地を巡行した際に立ち寄ったのかもしれません。
おわりに
身近なところに深い歴史あり……一見するとなんの変哲もない場所がすごい所だったというのはよくある話しです。
時と時代は移り変わるもので、永遠不変というのはありません。
災害により消失することもあれば政策や国策によって失われることは多々あります。
今でこそ、昔の名残がある文化財は守られていますがそれでもまで国や自治体が把握できていないものはあります。
そのようなまだ見ぬ文化財を探すのもまた一興です。
皆さんもいま一度、地域の古きを省みてはいかがでしょうか?