初夏は稲の発育の中で最も重要な時期であり、田園風景に代表される青々とした緑が美しい時期でもあります。
そんな稲ですが、品種によって色が違っておりそれを模して絵を描くといった趣向が各地で行われています。
岩手の中でも穀倉地帯として名高い奥州市でもその取り組みは行われており、毎年テレビ中継されているほどです。
今回はそんな大地のキャンパスに描く自然の芸術についてご紹介します。
古戦場跡に描く稲の絵画
概要
その場所は奥州市の北上川沿いの一角『巣伏古戦場跡公園』周辺にて行われています。
巣伏古戦場跡……そう聞くと少しおどろおどろしいように感じますが、この場所周辺は今から約1200年程前に古代日本の律令国家である朝廷とこの地に古くからいた蝦夷の間で起こった『巣伏の戦い』の舞台となった場所です。
この戦いには皆さんも聞いたことがある『アテルイ』が登場しております。
今回は田んぼアートの紹介のため、詳細は割愛しますが、結果からお知らせするとアテルイ達蝦夷がこの戦いに勝利し、朝廷軍を退けました。
そんな歴史があるこの地に青森県が発祥の田んぼアートが行われたのは2008年頃……以降は毎年開催されており、度々地元のニュースでも話題になっています。
見頃としては稲の生育の最盛期である6月下旬~8月中旬で稲がある程度伸びて田んぼの水が見えなくなるお盆頃がオススメです。
岩手では奥州市の水沢のほかに花巻市の石鳥谷や平泉でも田んぼアートが開催されています。
花巻市の田んぼアートについてはこちらに詳しく記載しています。
アクセス
奥州市の田んぼアートが開催される巣伏古戦場跡公園は水沢市街地の郊外にあります。
主なルートとしては盛岡・一関側ともに国道4号線(水沢東バイパス)に沿って走ると案内板や幟が立っていますので、そこを目印にして行くと到着することができます。
ただし、会場である巣伏古戦場跡公園に来ると入り口、出口がそれぞれ一方通行の専用なので、間違えないように注意してください。
駐車場は公園周辺にあり、田んぼアート開催期間は臨時駐車場も併設されるので安心して停めることができます。
電車で行く場合は水沢駅が最寄り駅となりますが、バスは出ていませんのでタクシーなどを利用してください。
探勝レポート
それではさっそく探勝レポートといきましょう!
今回は田んぼアート会場の臨時駐車場からスタートです。
通常の駐車場は公園の前にありますが、臨時駐車場はこの丸太が立ち並ぶ橋を渡ってからとなります。
このいかにも古代の砦のような感じが個人的に好きですね。
すぐ近くが北上川のため、支流も趣があります。
穀倉地帯なだけあって水路に供給される水の量が豊富ですね。
鯉なんかが泳いでいるような雰囲気ですが……残念ながら見つけられませんでした。
ようやく公園の前に到着です。
画像では広いように感じますが、こじんまりとしていて軽く散歩する分にはちょうどいい感じです。
隅の方には『巣伏の戦い』の碑があります。
今はのどかな田園地帯ですが、かつてこの場所で朝廷と蝦夷が戦いを繰り広げていたんですね。
公園の中央には戦いの詳細が記載された『蝦夷の群像』碑があります。
ゆっくり読んでいたかったのですが、この日の田んぼアートはなぜか大勢の人がおり、後ろをつっかえさせるわけにもいかず、とことどころだけ読んで先に進みました。
後に撮影した画像からじっくりと読んだので内容を以下に記載します。
引用元:蝦夷の群像蝦夷の群像
「胆沢」は、『続日本紀』宝亀七(七七六)年「陸奥軍三千人を発し、胆沢の賊を伐つ」と初めて登場する。その後、延暦二十(八〇二)年に胆沢城がつくられる平安時代初期にかけ古代東北史の歴史舞台となった。
この胆沢の歴史は、国家支配の拡大という歴史の流れにのみこまれていく蝦夷社会をうつしだす歴史でもあった。
宮城県栗原の蝦夷出身の郡司、伊治公呰麻呂(これはるのきみあざまろ)の乱(宝亀十一年)で伊治城と陸奥国府多賀城が焼き落され、九年後の延暦八年には紀古佐美(きこさみ)の率いる朝廷軍をアテルイ(阿弖流為)とモレ(母禮)が「日上の湊」に敗る「巣伏の戦い」がおこっている。
そして、延暦十三年と二〇年の二度にわたる坂上田村麻呂とアテルイの「胆沢の戦い」の後、胆沢地方は古代国家の支配に組込まれた。
この延暦二十一年、アテルイをはじめ多くのエミシたちは、胆沢の肥沃な大地で暮らせることを願い坂上田村麻呂に降伏するがアテルイとモレは、河内国椙山〔かわうちのくにすきやま〕(大阪府枚方市)で処刑された。
胆沢の未来を願ったアテルイとモレ。彼ら「蝦夷の群像」を千年の歴史のなかで見つめ続けてきた北上川とともに、彼らが願った胆沢の未来を、私たちは築いていかなければならない。
蝦夷の歴史も実に興味深いですが、ここまで触れると膨大な量となってしまいますので、公園散策に戻ります。
碑の近くには綺麗なベンチもあるので休憩しやすいのもありがたいですね。
碑の後ろには高見櫓へと続く階段があります。
田んぼアートはこの櫓からの眺めがとても素晴らしいです。
とはいえ、この櫓もそこそこの高さがあり、階段の足場の幅も狭いので足元が心配な方は櫓下から見るのもオススメです。
それではいざ上ってみましょう!
櫓の中はこのような階段となっており、少し急で階段幅が若干狭い状態となっています。
足元に気を付けて上ってください。
周囲に掴まりながらゆっくりと上り、最上階に到着。
そうして、水沢方面に目を向けると……
綺麗な田んぼアートが姿を現しました!
2024年の田んぼアートのテーマはボールを打った大谷翔平選手とその愛犬、デコピンです。
田んぼアートのテーマは毎年変わり、金色堂やアテルイだったりするものですが、大谷選手がMLBに移籍した2018年からはずっと大谷選手となっている傾向です。
地元のスターですから当然といえば当然ですね。
2020年と21年はコロナで中止、2022年は実行委員会(田んぼアート実行委員会)の解散により開催されませんでした。
2023年以降はコロナ禍中に解散した旧実行委員会を引き継いだ「跡呂井田んぼアート実行委員会」が行っています。
ちなみに左上にある『ホ』はホームラン王のホとのことで、今年度は全国田んぼアート連絡協議会で『田んぼアート文字リレー』という取り組みをしているそうです。
他の字の割り振りとしては……
・「ー」……新潟県十日町市松之山・棚田アート
・「ム」……埼玉県越谷市増林・こしがや田んぼアート
・「ラ」……静岡県菊川市下内田・田んぼアート菊川
・「ン」……愛知県安城市和泉町・ふれあい田んぼアート
・「王」……鹿児島県南九州市川辺町・南さつま田んぼアート
と結構広範囲で行われています。
無論、田んぼアートだけでなく櫓から見る他の景色も最高です。
過去には三枚目の画像の田園でも田んぼアートが行われていたようです。
櫓の中には田植えの様子などが展示されていました。
多くの方々のご協力のもと、開催されたことに感謝です。
それでは今度は櫓を下りて、その周りを見てみましょう。
櫓裏手にはトイレがありました。
お手洗いの場というのは意外と重要で、これがあるかないかで安心感が違います。
こちらは櫓下からの田んぼアート。
櫓に上らずとも田んぼアートが楽しめるのは嬉しいですね。
ただ、デコピンの存在が大谷選手より大きく感じます。
近くには大谷選手の顔出しパネルがありました。
これで誰でも大谷選手になることができます。
こうしてみると田んぼアートの精巧さがいかに凄いかが改めて分かります。
私は一人で来たので最後に田んぼの大谷選手にパネルの大谷選手とコラボしていただきました。
顔がかなり小顔になってしまいましたが、これもまた良い思い出です。
おわりに
田んぼに描かれたアートは過去に戦場があったと思えないほど鮮やかに映えていました。
アテルイとモレが願った胆沢の未来……それが奥州市水沢の出身である大谷選手によって叶えられたことには不思議なロマンを感じます。
そして未来だけでなく、彼らの望んでいた平穏を後世を担う子供達にも繋げていってほしいですね。
もちろん、大谷選手一人だけに押し付けないように我々一人ひとりも繋げられるように頑張らなければなりません。
過去の想いと未来への躍進……その交差を描いた田園のアートを皆さんもぜひご覧になってください!