武蔵坊弁慶………かの有名な源義経に最後まで仕えた怪力と智謀に優れた僧侶として知られています。
そんな弁慶にまつわる場所が遠野の山中にあるのを皆さんはご存知でしょうか?
そのあまりにも奇妙な出で立ちから一説には古代人の墓ともいわれているその場所………今回はそんなミステリースポットをご紹介します。
山中にある謎の巨石
概要
遠野市綾織町の山中………道が無ければ踏み入れないようなその場所に、まるで鳥居の形をしたような巨石の建造物があります。
この巨石は『続石』と呼ばれており、この辺り一帯は『弁慶の昼寝場』とも称されています。
なぜ、このような名前なのか………?
はたして、自然に出来たものなのか人工的なものなのか………?
様々な謎が交差しますが、名前の由来などは遠野のバイブルともいえる『遠野物語』に収録されています。
遠野物語では…
『続石』に関する記述は『遠野物語』と『遠野物語拾遺』にそれぞれ収録されています。
遠野の町に山々の事に明るき人あり。もとは南部家男爵家の鷹匠なり。町の人のあだ名して鳥御前といふ。早池峰、六角牛の木や石や、すべての形状と在処とを知れり。年とりて後茸採りにとて一人の連れと共に出でたり。この連れの男といふは水練の名人にて、藁と槌とを持ちて水の中に入り、草鞋を作りて出て来るといふ評判の人なり。さて遠野の町と猿が石川を隔つる向山といふ山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四、五間ばかりなる時刻なり。ふと大いなる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をしてゐるに出逢ひたり。彼らは鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押し戻すやうなる手つきをなし制止したけれども、それにもかまはず行きたるに、女は男の胸にすがるやうにしたり。事のさまより真の人間にてはあるまじと思ひながら、鳥御前はひやうきんな人なれば戯れてやらんとて腰なる切刃を抜き、打ちかかるやうにしたければ、その色赭き男は足を挙げて蹴たるかと思ひしが、たちまちに前後を知らず。連れなる男はこれを探しまはりて谷底に気絶してあるを見付け、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までにさらになきことなり。おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にも言ふなと語り、三日ほどの間病みてみまかりたり。家の者あまりにその死にやうの不思議なればとて、山臥のケンコウ院といふに相談せしに、その答へには、山の神たちの遊べる所を邪魔したるゆゑ、その祟りをうけて死したるなりと言へり。この人は伊能先生なども知合ひなりき。今より十余年前のことなり。
引用元:遠野物語91話
言い回しが難しいので現代風にざっくりと訳すと………
鷹匠である鳥御前と呼ばれる人が仲間とキノコ採りで山の中に入ると『続石』で遊んでいる山神の男女を発見。そこに邪魔をしたために、谷底に落とされ気絶させられてしまった。後の仲間がそれを見つけて介抱するも、鳥御前は病にかかり3日で死んでしまった。それについて山伏が言うには、山の神の祟りをうけて死んだのだ………という話です。
人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて……なんて言いますが、神様の恋路を邪魔すると谷底に落とされるようですね。
それではもう一つの話を見てみましょう。
綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つの並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。
引用元:遠野物語拾遺11話
こちらでは弁慶に関する由来が記述されています。
ドルメンとは支石墓(しせきぼ)ともいい、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種。
基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとり、西ヨーロッパが発祥といわれています。
日本では長崎などの九州地方に見られますが、東北で見られるのはなかなか珍しいですね。
それでも山中に作った理由については謎………一説によると『続石』の場合は土石流などで偶然に重なった産物とされるのが有力のようです。
なお『遠野物語』には他にも面白い話がたくさんあるので、興味がある方は読んでみてください。
アクセス
『続石』は遠野市綾織町の山口地区の山中にあります。
『国道396号線』沿いを走行していると『続石』の看板とともに小さいながらも専用駐車場があるので、山中とはいえそこからアクセスすることができます。
また、近くには南部曲がり家である『千葉家』もあるのでそちらの観光に訪れるのも良いでしょう。
ただし、山中にあるため道中は熊の出没が頻繁にあるので、熊よけの鈴や熊よけスプレー等を持参すると安心です。
探勝レポート
それではさっそく探勝といきましょう!
今回は『続石』の入り口にある駐車場からスタートです。

『続石』へは藪に囲まれた山道を歩くため、駐車場には自然素材で出来た杖が貸し出されています。
とはいえ、そこまで急斜面というわけでもなく距離もそこまでないので、使わなくても行くことができます。

ただし、少し見通しが悪いので森の中で熊さんに出会う確率は非常に高いです。
とはいえ、遠野の名所はこの看板が必ず一つは設置されているほど馴染みが深いので、初見で見た時は不安を覚えてしまいますが、だんだんと慣れてきます。

入り口には他にもミニモアイのようなモニュメントもあります。
説明書きには『遠野物語拾遺』の話の一部が記載されています。

では山道へ入りましょう。
入り口序盤はやや拓け、光が差し込んでいますが……

奥に進むにつれて杉林が並ぶ山の中へと変わります。
どこから熊が現れてもおかしくはないですね……。
こういう時、一人で進むと少しばかり心細くはなりますが……己の選んだことですから仕方ないです。

山中を歩くこと約10分………急に拓けた場所に出ました。
ここが『弁慶の昼寝場』と呼ばれる場所です。
少し見通しは良くなりましたが、足元には木の根や岩が点在し、歩きにくいですね。

ここでは山から流れる清水を汲むことができます。
遠野の名水を味わいながら一休み………。

『続石』の手前の方には聳え立つ巨石があります。
こちらが位の高い石であるがため、他の石の下敷きになることに泣いた『泣石』です。
確かに、立派なので位が高いといわれても頷けます。
しかし、杉の木がまるで石を囲む檻のように生えていますね………まるで封印されているような……。
これなら石がぐらつくようなことがあっても麓まで転がり落ちることはないでしょう。

そして、こちらが『続石』となります。
台座の小さな石の上に巨大な石が見事なバランスで乗っています。
もし、これを弁慶が乗せたのだとしたらとんでもない怪力ですね!
仮に土砂崩れで乗っかったとしても……自然の奇跡が作り出した珍しい産物といえるでしょう。
乗っている石は幅7m、奥行き5m、厚さ2m………落ちてきたらひとたまりもないですね。

岩の下は通り抜けられるほどのスペースがありますが………むむ⁉
岩が片方しか乗っていない⁉ 浮いている!
まさかの二つの石で支えているかと思ったら、一つだけで支えていたのですね。
凄まじいバランス感覚………体幹に御利益がありそうです。
最後は後ろにある山神様の祠にお参り。
邪魔はするつもりはないですし、何も見ていないので祟るのは勘弁してください。
おわりに
この他『続石』の周辺には『不動岩』というものがあったそうなのですが、こちらは確認せずに後ほど存在に気が付きました。
『不動岩』については機会があった際に訪れ、報告したいと思います。
とはいえ、自然のなせる光景はいつ見ても不思議ですね。
このような光景や現象に神性を見出し、人々が崇めるのも納得です。
古の先人が畏怖した巨石達………皆さんも訪れて山神様の存在に触れてみてはいかがでしょうか?