不思議の宝庫、遠野……皆さんは遠野の名所と聞かれたらどこを思い浮かぶでしょうか?
不思議スポットが数多い遠野ですが、県内外問わずそんな質問をされた場合に真っ先に浮かぶのは『カッパ淵』ではないのでしょうか?
遠野といえば河童……そんな言葉が浸透するほど有名な遠野産の河童。
今回はそんな河童が潜んでいた『カッパ淵』についてご紹介します。
河童を狙う人が訪れる淵
概要
遠野市土淵町の曹洞宗『常堅寺』の裏手に清らかな小川が流れている茂みがあります。
この小川が『カッパ淵』と呼ばれる遠野の名所です。
とはいえ、実のところ遠野には各所に『カッパ淵』と呼ばれる場所が点在しており、かの有名な『遠野物語』でも『小烏瀬川』や『猿ヶ石川』などに多く棲むと記載されております。
そして、意外なことに『遠野物語』には河童の記述はあるものの、土淵の常堅寺に関する河童の記述はないんですね。
ただ、遠野の河童は地域が違えど共通する部分はあるようです。
その共通点としては……
・体が赤い
・力が強い
・いたずら好き
など
また、遠野市にはこの河童を公式に捕まえることができる『カッパ捕獲許可証』なるものがあります。
この許可証は道の駅や観光協会、各観光場所で220円ほどで販売されており、有効期間は購入してから1年間となります。通常版は各場所で即日購入できますが、写真付きの場合は遠野市観光協会でのみ入手が可能となります。
写真付きは更新するたびに車の免許証のようにグレードアップし、5年更新で『ゴールド』となって観光協会で割り引きが受けられる特典があるようです。
もし、許可証を持った状態で河童を捕まえた場合……その河童を連れて遠野テレビに行くことで賞金1000万円が手に入るとのこと……これはもうやるしかないでしょう!
ただし、捕獲の際にはいくつかのルールがあるらしく、それが以下の7つのルール
1、カッパは生捕りにし、傷をつけないで捕まえること
2、頭の皿を傷つけず、皿の中の水をこぼさないで捕まえること
3、捕獲場所はカッパ淵に限ること
4、捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること
5、金具を使った道具でカッパを捕まえないこと
6、餌は新鮮な野菜を使って捕まえること
7、捕まえたときには、観光協会の承認を得ること
これの注意したところは3の項目……『カッパ淵』限定ということ。
つまり、他の場所で捕まえた河童は対象外ですので気を付けましょう。
ちなみに『カッパ淵』は『遠野遺産第22号』に認定されています。
アクセス
『カッパ淵』は『国道340号線』そば、常堅寺の裏手にあります。
道中には案内板や看板などがあるため、迷うことなく行くことができますが、カッパ淵には車を停めることができず、駐車する場合は伝承園側にある『さわやかトイレ駐車場』に停め、そこから徒歩で向かうことになります。
また『カッパ淵』付近にはオシラ様のある『伝承園』のほかにも『遠野八幡宮』といった見どころスポットがたくさんあります。
探勝レポート
それではさっそく探勝といきましょう。
今回は『さわやかトイレ駐車場』に車を停めてスタートです。

こちらが『さわやかトイレ駐車場』……この日は早朝に訪れたこともあってか、停まっている車は少なかったですが、かなり広々としており、綺麗に整備されています。

名前にトイレが付いているだけあって、完備されているトイレの外観はとても立派です。

『カッパ淵』は道路を隔てた駐車場の向こう側にあります。
こちらも立派な木の看板があるので、その矢印に従っていきましょう。

早朝の新鮮な空気を感じながら歩いていきます。
時期になるとこの道の両脇に遠野名産のホップによる緑のカーテンが出来てさらに趣があります。
まぁ、この景色だけでも懐かしき日本の田舎の風景なので、風情がありますね。

お寺まで行く途中には『かっぱの茶屋』という休憩所があります。
様々なお土産のほか、ソフトクリームも食べることができるお店です。
開店は10時からですが、現在は朝の7時……当然開いていないので今回はお預けです。

常堅寺の墓地に差し掛かった際、二つの看板が目に入りました。
一つは自転車の乗り入れ禁止……もう一つは『カッパ淵迂回路』の案内です。
通常『カッパ淵』は常堅寺境内にある本堂を左に抜けることで行くことができるのですが、お寺に入山できるのは9時~16時……それ以外の時間帯は迂回する形で『カッパ淵』へ行くことになります。
今は時間外のため、迂回路から行きましょう。
全国で唯一といわれる『カッパ狛犬』はまたの機会に……。

夏の朝日と風を浴びながら、墓地の横を通っていきます。
迂回路は砂利道となっていますが、比較的歩きやすかったです。

しばらく歩いていると何やら大きな池が……。
お寺に池は付き物ではありますが、近くには説明書きがあったため以下その部分を引用して記載します。
古来、この地は「蓮池(はぜき)」と呼ばれ、寺の名前も「蓮峰山(れんぽざん) 常堅寺(じょうけんじ)」という。
その昔、常堅寺が火事のとき、淵の河童が、火を消してくれたことから、時の住職が河童狛犬を祀って感謝したといわれている。
淵と阿部家の間には池があり、蓮の葉が浮いていたが、流れ入る水量も減り、今は池の形跡も見られなくなった。
この池は、何れの時か、河童が戻ってきて、泳ぎ回ることに思いを寄せて、地元の有志で造成したものです。
引用元:蓮池地区の常堅寺と河童
これによると常堅寺の河童伝説は河童がお寺の火を消してくれたというものみたいですね。
詳しく述べると頭の皿から水を吹き出して消し止めたとのこと……そんな特殊能力があったとは……だとしたら、皿は乾かなくないか? といった無粋なツッコミはさておき……。
ここに記載されている『阿部家』とは一体なんなのでしょうか?
その辺りも淵に行けば解明できそうですかね?

池を通り過ぎて進むと、ここでようやくお寺境内の本堂の左手に合流できます。
目的地はこの橋を渡ってすぐ……早朝ということもあり、周囲は私一人。
少しばかり怖いですが、いざ!

森の中に流れる清らかな小川……朝日も差し込んで良いロケーションです。
道は若干狭いように感じますが、川に落ちることはないでしょう。
河童に引き込まれたら話は別ですが……。

歩いてある程度拓けた場所にて……立看板のある目的地にようやく到着です。
先ほどまでの明るさはどこへやら……日蔭となった途端に鬱蒼とし始めます。
これは河童が出てきてもおかしくないでしょう。

近くには小川を眺められるようにベンチが置いてありました。
『河童淵』と書かれた石碑は風流ですね。
奥にあるのは『稲荷堂』……なかなか大きな社で意外と立派です。
近くにはまた説明書きがあったので引用記載させていただきます。
遠野の河童は顔が赤いといわれ、その伝説は数多く残っている。
「小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこぶち)の辺りに、新屋(しんや)の家(うち)といふ家あり。ある日淵へ馬を冷やしに行き、馬曳(うまひき)の子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引込まんとし、却(かえ)りて馬に引きずられて厩(うまや)の前に来り……」
遠野物語五八話
この淵には河童駒引きの伝説を伝える河童神様を祀っている。洞の中には乳首の縫いぐるみが奉納されており、乳の信仰に転化している興味深い民俗がある。
引用元:かっぱ淵
すなわち、この『カッパ淵』は遠野の河童伝説を集約した場所だったということですね。

少し辺りを見渡すと陶器でできた河童と小さな社がありました。
これは先ほどの乳神とした河童神を祭る祠で、子を持つ女性の乳が出るようにと赤い布で乳の形を作り、この祠に納める願かけすることで叶うといわれています。
言い伝えによると馬を川に引き込むいたずらに失敗したあの河童はその後に おわびをして許され、母と子の守り神になったそうです。
遠野における縁結びとして有名な『卯子酉神社』も願掛けは赤い布……女性関連の願いにおいて遠野では赤い布がセオリーのようですね。
しかし、お供えしてあるスイカとキュウリが実に美味しそう……。

そばでは誰かが置き釣りをしているのでしょう。
キュウリが括られた釣竿が立てかけられています。
夏の小川にこの釣り竿はとても風情がありますね。
しかし、無粋を承知のうえで釣り好きから申しあげるならば、馬をも引き込む力のある河童相手に竹の延べ竿で果たして釣り上げられるのか?
ガチ装備で挑むのなら、マグロを釣り上げるくらい丈夫な竿に切り替え、リールもごついものにした方が釣れるでしょう。

少し淵から外れると何やら気になる場所があります。
近くにある説明書きによるとここが常堅寺の池で少し触れた阿部家の屋敷があった跡みたいです。
詳細はその説明書きから引用させていただきます。
『遠野物語』第六十八話に「安倍氏という家ありて貞任の末なりと云ふ。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣馬具あまたあり」と記されている。昔からこの地は、屯館(とんだて)と呼ばれ、平安時代後期に北上川流域に勢力を誇った安倍氏の一族(貞任の弟・北浦六郎重任(きたうらろくろうしげとう))が屋敷を構えたと伝えられている。現在も堀の跡などの遺構が残り、この地に続く阿部氏は安倍氏の転じたものと伝えられている。屋敷跡の東北にある稲荷社は、約四〇〇年前に安倍氏の養子となった人が甲州(山梨県)より勧請し氏神としたもので、近郷でも古い社の一つといわれている。明治の初め頃まで旧暦二月十五日の祭例日には「ダンビラケー(ダンビラ祭り)」が行われていた。近郷の山伏を一堂に集めて、湯立の儀式を行ない巫女が笹を振りながら巫女舞を舞ったといわれる。近くにカッパ淵がある。
引用元:安倍(阿部)屋敷跡
安倍氏の一族は陸奥六郡に威勢を誇り、この屋敷跡は天喜・康平(1050年)頃のもので当時は豪勢な直屋の母屋に数十の家族が住み、土塁と掘で囲まれたものでした。
また、近くには八幡座館の八幡太郎の軍と小烏瀬川を挟んで矢をうち合ったとされる的場跡もあるそうです。
この屋敷の持ち主である北浦六郎重任の兄、安倍貞任は数々の武勇伝説が残る前九年の役で活躍した平安時代中期の武将です。
もしかしたら、この時代から河童は存在していて合戦で力を貸していたのかもしれませんね。

綺麗な川でしたが、いるのはウグイや小型のハヤばかり……残念ながら私は河童を見つけるこはできませんでした。
とはいえ、このような子供の膝くらいまでの深さの川……本当に住んでいたのか?
もしかしたら、淵のどこかに秘密の水路のようなものがあり、出入りしているのかもしれません。
存在を否定するこじつけはいくらでも探せますが、ロマンもまたいくらでも探せる……私は『存在する』と信じています。
だって、そう思った方が人生楽しくなりますからね。

おまけとして、帰り際に常堅寺の山門前を通ったら開いていました。
思わず入りたくなりましたが、まだ時間外のため入らず……規則はちゃんと守ることに越したことはないです。

常堅寺にも駐車場はありますが、こちらはあくまで参拝者用……このように『さわやかトイレ駐車場』を推奨しているので、そちらを使いましょう。
おわりに
ロマンと欲望溢れる場所『カッパ淵』……河童の捕獲に訪れるも良し、遠野の空気を楽しむのも良し、歴史を知るのも良しと三方良しの場所となっています。
もしも実際に河童に会えたとしたら皆さんはどうしますか?
SNSやメディアに載せるて名声を得るのか、はたまた河童のことを思って見逃してあげるのか……。
もしかしたら、清流のような清らかな心を持っているかどうか……河童というものを使ってこの場所が試しているのかもしれません。
この『カッパ淵』が綺麗であり続けるように私達の心も綺麗に保っていたいものですね。