四国旅/愛媛(今治城・大山祇神社・南光坊・松山城・道後温泉/①)【シードル旅行記】
前回のあらすじ……
2日目から過酷な石段登りをこなしていった私シードル。
念願の金比羅詣りを果たし、弘法大師の故郷を訪れ、銭形砂絵を見て心の中は感無量……しかし、体は疲労困憊……。
今回行く先はみかん香る愛媛の地……果たして一体どんな出会いが待っているのか?
築城の達人が築いた海城
5/14、朝8時……今治駅近くの宿を出て、近くにあるお城を目指します。
東北地方には天守のある城があまり無いので、せっかく近くにあるのなら少しでも多く見たいんです。
恐らく、四国……というか西日本を旅している間はほとんど神社仏閣とお城巡りが中心になるかもしれません。
それにしても今治の街中の水路には普通に錦鯉が泳いでいるんですね……羨ましい。

そんな鯉泳ぐ水路を眺めながら歩いていると最初の目的地に到着。
規模の有無に関わらず、やはり天守のある城はカッコイイですね!

駐車場に生えているこの木はヤシの木でしょうか?
沖縄のガジュマル、鹿児島のソテツといい、こういった南国特有の植物は素敵ですねぇ~!
岩手に戻ったら育ててみたいけど……気候が真逆だから私じゃ難易度が高いでしょうね……。
こうして見ているだけで十分。

さて、そろそろ目的地を明かしましょう。
私が訪れたこの城は『今治城』
別名『吹揚城(ふきあげじょう)』ともいわれています。
なぜここに訪れたかったのか……それはこの城の堀に海水が使われている珍しい城だからです。

そのため、お堀にはよくいるコイなどではなく、クサフグなどの海の魚が泳いでいます。
海藻があるのも特徴的ですね。
日によってはスズキなどの大物も泳いでいるのだとか……。
また、瀬戸内海の海水を直接引いているため、潮の干満により水量も変わるのだとか……いやぁ、面白い!

お堀だけでも十分に凄いですが、城内も広大かつ石垣も見事です。
津波などの影響を考えると海沿いはやや危ない気もしますが……瀬戸内海は穏やかな海ともいわれてますから、その辺りも考えて築城されたのかもしれません。


海からの物資搬入の港としても使われた国内最大級の海城……見た目も良いだけでなく機能も優れているとか完璧か……。

城のすぐ下に民家が……管理事務所とかじゃなく民家ですよね?
つまり城内に住んでいる?
う、羨ましい……。一体、前世で何をしたらここに住める人生になるんですかね?

さて、こんな優れたお城を築城したのは誰か……それは藤堂高虎公です。
主君を7度変えた戦国時代きっての転職家としても有名ですね。
さらに黒田官兵衛や加藤清正と並び『築城三名人』としても名が知れ渡っています。
関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城……それがこの今治城です。
どうりで素晴らしい城なわけですね。

慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃……寛永12年(1635)には松平(久松)氏の居城となりました。
明治維新後には建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりましたが、昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進んで今の城郭の姿になったとのこと。

そして、そんな今治城には城内には珍しく神社が建立されています。
吹揚神社
こちらももちろんお参りしていきましょう。
神社の名前は『吹揚神社』……今治城の別名が使われています。

城の敷地内で小さな社や祠、護国神社などは今まで目にしてきましたが、これほどの規模は初めてかもしれません。

朝早いせいか、それとも元々人がいないのか……境内には誰もおらず。
静かな空間の中、手を合わせます。

この吹揚神社は廃藩にあたり、古くから今治市内に鎮座していた『神明宮』、『蔵敷八幡宮』、『厳島神社』、『夷宮』の4社を、旧社地であった今治城内に合祀社殿として造営したもの。
明治5年11月19日に遷座、その10年後には愛媛県の県社となり、昭和14年に新築しましたが、昭和20年の空襲で全焼……その後、昭和33年に戦後復興を完了し、昭和47年には吹揚神社御鎮座100年祭を行い、城郭式神門や境内未社の新築改装を行ったのもつかの間……昭和55年9月に放火により再び本殿・拝殿が焼失。その後、直ちに奉賛会が結成され。多数の人々の奉賛と協力のもと、昭和58年3月竣工して現在に至ります。
幾たびの災禍に見舞われながらも復活を果たしてきた神社……主君を変えながらも己を変えなかった藤堂高虎公を彷彿とさせますね。

御祭神は、『天照大神』『八幡大神』『事代主神(えびす様)』『大己貴大神(だいこく様)』『厳島大神』『猿田彦大神』『宇迦之御魂神(お稲荷様)』『菅原道真』…………そして、忘れてならない『藤堂高虎』『久松定房』と数多くの神々と城主を祀っています。

すぐ傍にお城が建っている神社というのもなかなか珍しい光景ですね。

境内は広いながらも各社はすぐ近くに隣接しているのでお参りするのもお手軽です。
また境内から今治城内の方へも行くことができます。

手水舎では鳩が気持ちよさそうに一番風呂を堪能。
さすがに使うことは出来なかったので今治城内のお手洗いで清めてからお参りをしました。

吹揚神社の御朱印は先ほどお城の前を通りがかった際に見かけた民家のような所で頂きました。
朝早くから対応して下さり、ありがとうございます。

今治城内へ
神社への挨拶を済ませたところでちょうど入城可能時間となったため受付へ、見学料520円を払い、登城します。
今治城内は天守までの間が博物館のようになっていて甲冑や刀剣を始めとした歴史的に貴重な品々が数多く展示されています。
私も歴史物は好きなので、まじまじと観覧して回りました。


展示物の中には『飴買い幽霊』の肖像画も……飴買い幽霊とは別名『子育て幽霊』ともいわれる怪談で、大まかなあらすじとしては妊娠中で亡くなった女性の霊が墓の中で生まれた我が子を育てるために毎夜飴を買い求めて育てたというお話し。
日本の幽霊といえばこれ! を表している姿ですね。
ここが発祥か、とも思ったのですが、どうやらこの怪談は日本各地で様々な伝承として伝わっているようです。

各フロアを余すことなく見て回り、いよいよ天守へ到着!
果たしてどのような景色が待っているのか?

今治城天守から今治市を見渡す……澄み切った青い空に清々しい朝の空気が身を包みます。
朝から贅沢なひと時……この快感は物欲では得られませんな。

都会ではビルの中から都市を一望できますが、このお城ならではの全身で空気を浴びながら見る眺めは本当に最高ですね。
山からの眺めともまた一味違う……この良さ、分かりますかね?

遠くの方は少し霞んでいますが瀬戸内海に架かる大きな橋も見えます。
岩手の盛岡……四方を山に囲まれた地で育った者にとって穏やかな港町というのは一種の憧れです。

自然やのどかな風景も好きですが、近代的な街並みを見るのも好きな私。
反対を見れば民家が連なる生活圏を臨むことができます。


お堀の近くには学校があり、何やら大きな声を出して体操のようなことをやっていました。
運動会の練習でしょうか? 運動があまり好きじゃない幼少の頃はなかなか辛い時期でしたね……子供達よ、頑張れ!

天守を下り、城外へ……井戸の傍まで来て振り返ってみると良い感じにお城が見えます。
うむ、良い風景じゃ。
思わず殿様口調になりながら一枚パシャリ。
しかし、よく時代劇とかで「~じゃ」とセリフで使われますが、本当に実際で使われていたのだろうか?


ちなみに今治城では天守だけでなくお堀に沿って作られた櫓や門、その各部を繋ぐ廊下を見学することが可能。
料金は先ほどの見学料に含まれているので、損しないためにも隅々まで見学しましょう。
櫓の中も負けず劣らず立派そのもの……この大きな梁、丸々一本の木で使われているのだろうか?
木材をふんだんに使用していると贅沢に見えてくるのは現代あるあるなんでしょうか?

訪れたのも何かの縁……御朱印に続き御城印も頂きました。
ありがとうございます。

山神様を祀る古社
今治城を後にして、次なる場所は愛媛のお寺……といきたかったのですが、その隣に大きな鳥居の神社があったので、先にそちらを訪ねてみることにしました。

訪れた神社は『別宮大山祇神社』
古社特有の茅葺系の屋根ですね。
今治市中心部の国道317号に面して鎮座しており、本宮である瀬戸内海の大三島に鎮座する日本総鎮守『大山祇神社』の別宮です。

御祭神は『大山積(おおやまつみ)命』 で、相殿として『上津姫』と『下津姫』が祀られています。
木々やお山を司る神様ですね。
和銅5(712)年に伊予国一宮であった大山祇神社の別宮『三島地御前』として勧請され、本来の四国55番札所であった大山祇神社への参拝が不便なため、別宮大山祇神社が前札所とされ、江戸時代には事実上の札所となりました。
現在は明治の神仏分離により、旧別当であり隣接する『南光坊』が札所を引き継いでいます。
境内は意外と広く、末社もいくつか祀られていました。
見るに生活圏に関わる神様もお祀りしているのでしょう。

境内には巨大なクスノキもありました。
立派なものですね……恐らく御神体でしょう。
この神社は近世では藤堂高虎をはじめとして歴代今治藩主の保護を受けたとのこと……境内の木々たちは歴史を知る生き地引ですからこれからも大切にしなければなりませんね。

御朱印は社務所にて……訪れたら書いて頂きました。
書置きタイプのものですが、力強さが伝わってきますね。
お忙しいところ、ありがとうございます。

四国霊場唯一の坊
『別宮大山祇神社』の後は本来の目的地であるお隣の『南光坊』へ。
境内の中にあるわけではなく、道路を隔てているので、正面から入っていきます。

正式名は『別宮山金剛院 南光坊』
ご本尊は『大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)』です。
四国に数ある霊場のうち『坊』がつくのはこの南光坊だけで、今治市の中心街にあります。
市街地なので歴史は新しいのかと思いきやその起源は古く、先ほど行った『別宮大山祇神社』に連なる航海の神、総鎮守・伊予一の宮の『大山祇神社』と深い関わりがあります。
縁起によると推古天皇御代二年甲寅(594)に勅により大三島に造立され……その後、越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じて、大宝三年(703)風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いてこの地に勧請し、『日本総鎮守三島の地御前』と称して奉祭した、とあります。
この部分は別宮大山祇神社と同じになりますね。
気になる弘法大師との関係は四国巡錫の時別館参拝し、坊で御法楽をあげられて四国霊場第五十五番札所と定めた、とあります。
札所としての機能は明治までは別宮大山祇神社が行っていましたが、以降は南光坊が引き継ぐ形で行われています。
年表だけ見ると混乱しそうですが、古より鎮座していたことを考えるとこの地は特別だったのかもしれません。
ちなみに境内はそれほど広くなく、参拝しやすかったです。
お堂があったり、五重塔があったりすると見栄えとしては立派に見えますが、参拝すると巡るのが大変だったりするので、このくらいの範囲が私にはちょうど良いですかね。

参拝後は納経所にて御朱印を頂きました。
毎回「御朱印帳だけど大丈夫かな?」という不安を抱きながら渡しますが、快く記帳していただき助かっています。
対応していただき、ありがとうございます。

難攻不落の山城
松山駅で腹ごしらえ
今治市を離れ、時刻は昼近く……電車に乗って訪れた次なる地は『松山市』
ここでまず行きたい場所は『松山城』ですが、あまり無理して巡っても体を壊すだけなので『松山駅』の構内にて名物を物色しつつ、昼食を摂ることとしました。

まず真っ先に手に入れたものはこちら!
一見するとただのプラコップに入ったジュースですが……こちらは愛媛といえばで有名な『蛇口から出てくるみかんジュース』です。
いやぁ~、私みかんが好きなもので、愛媛に訪れたら絶対にこれは飲みたいと思っていたんですよ。
ということで早速、実飲!
飲んでみるとみかん特有の甘酸っぱい味わいが口いっぱいに広がります。
果汁100%のため、市販のジュースとは違ってもちろん濃厚!
想像通り、やはり美味しい!
けれど、ジュースとしての質が高すぎて何かを食べながら飲む、という気分にはなれませんでした(もちろん良い意味です)。そんなことしたらもったいない。
なので、ジュースを飲み切って再び物色……。

すると、物産コーナーの一角に気になるものを発見。
何やら揚げ物のようです。
じゃこ天……宇和島名物……宇和島は聞いたことがありますが、地理的にどこにあるのか分からず、じゃこ天自体も分からなかったので少し迷った末、購入。

見るとかまぼこのようなものらしく、白いものと黒いものを購入しました。
白い身の方が『身天(みてん)』で黒い方が『じゃこ天』とのこと。
どちらも魚のすり身を天ぷらにして揚げたもの……なんだかさつま揚げに似ていますが、雰囲気的には笹かまに近い感じもあります。
まずは身天の方を実食。
食感はふわふわしていながらも揚げているためか、実に食べ応えがあります。
身天は『エソ』という魚の身を水にさらしてすり身にし、揚げたもの……食べ応えはありますが、かまぼこやさつま揚げに比べると柔らかめで食べやすく美味しいです。
こちらは小腹が空いた時に良いですな。

続いてはお待ちかねの『じゃこ天』……こちらももちろん実食。
食感は粗塩のようなジャリジャリ感はありますが、砂を吐かせていないアサリを食べたような不快感は全くなく、食べていて楽しいですね。
味は身天に比べてちょっと濃いような気がします。色のせいでしょうか?
でも美味しいですね。
じゃこ天は『ホタルジャコ』という魚をベースに色々な魚を配合し、骨と皮ごとミンチにしてすり身にし、揚げたもの……身天と違いますな。
後ほど調べてみると宇和島のかまぼこは初代宇和島藩主・伊達秀宗(伊達政宗の長男)が仙台からかまぼこ職人を連れて来て、それが広がったものとのこと……どうりで笹かまに面影を感じるわけですな。
遠い地で東北の地と縁があるものに出会うとなんだか嬉しくなります。
こちらも単体なら小腹用にぴったり……ただ、私は小腹用を二つ食べたため、お腹はいっぱい。

お腹も満たしたので駅を出て松山城を目指します。

もはや、川なのかお堀なのか分からない広さですね。
そう思いながら眺めていると……

ん? んんっ⁉
あの白い鳥は……まさか、白鳥⁉
なんでここに? というか、なんで四国に?
ただの置物かと思いきや、ちゃんと動いているから間違いなく本物。
岩手でも冬の訪れを伝える鳥なのに、四国の愛媛では梅雨を訪れる鳥だったのか……。
衝撃を覚えながらも、時間が限られているのでじっくり見たいのを我慢し、先へと進みました。
後ほど調べてみるとこの白鳥たちは『城山公園堀之内地区の白鳥』と呼ばれ、ちゃんと飼育されている白鳥とのこと。
種類は『コブ白鳥』で白鳥の中で一番大きく、昭和42年に山口県宇部市より2羽を購入してから1日2回の餌やりで大事に育てられているそうです。
寿命は、お堀で飼育されているもので15年程度……な、長生き……。

松山城
ところで、肝心の『松山城』は一体どこにあるのでしょうか?
Googleマップで調べたところ、駅からほど近いところにあるのは確かなのですが……一向にそれらしき場所が見当たりません。
見えるのは不自然なほどに大きな山……ん? まさか……ね。

ただ、Google先生が示すのは山の方……そして、案内板が示すのも山の方……。
そうして、よく見ると山の頂上あたりにうっすらと見える天守と石垣らしき建物……。
うひゃあ~……マジですか……あの山の上ですか⁉
四国に着いてから山と坂しか上がっていない……観光に来たのに、山登りに来たかのよう……これはなかなかしんどい……。
しかも周囲は一面緑だらけでどこが入り口かも分からない。
いやいや、初めての土地に来ていきなり、森の中から入るパターンは勘弁ですよ……。
そう思っていると、山の中腹辺りに大きな建物が……とりあえず、あそこに行ってみることにしましょう。

立派な建物ですが、本丸ではないでしょう。
けれども、何かしらのヒントがある筈……。
周囲を見渡し、入り口を探します。

ようやく入り口らしき、坂のある場所を発見。
石垣は綺麗に積み上げられてとても綺麗です。
ここに石垣があるということは……この山全体が松山城ということでしょうか?
木々を見る限り、松ばかり生えている山という意味ではなさそうですね。

目にした建物の門へ到着。
いやはや、なんとも立派な門!
これだけで一地方の城跡クラスぐらいはあります。
有名なだけあってスケールがデッカイ!

受付を済ませ、建物の中に入ってしばし休憩。
ここに来るだけでも少し疲れました。
中には何やら荘厳な装飾が施された神輿のようなものが展示されていました。

こちらの神輿は『松山秋祭り』で使用されるもので黒いほうが『四角さん』金色は『八角さん』と呼ばれています。
元禄時代から続くお祭りで双方の神輿を激しくぶつけ合う『けんか神輿』だそう。
喧嘩と花火は祭りの華ですね。

休憩を終え、体力を回復した後は建物の中を散策……こちらの建物は『松山城二之丸史跡庭園』
発掘された御殿跡地をそのまま露出展示しており、大井戸遺構など当時の規模を知ることができます。

庭園内部は、藩の中枢としての役割を果たす表御殿と藩主の家族の住居、奥御殿からなり、北側の四脚御門を正式な門とし、足軽などの詰所である御徒歩番所、さらには応接座敷である御広間、書院、公式儀礼の間とさまざまなものがあります。

広々として開放感たっぷりなうえ、水の流れる心地良い音と美しい草花が咲く見事な庭園です。


ここでの藩主の住まいは東南の日当たりの良い区域に設けられ、御居間と書院との間には黒炬燵之間、柳之御間、棕櫚之御間それに続き鎖之御間、御数奇屋と茶室と色々な設備も備わっています。

先ほどこの庭園に入る際に通った立派な門は『多聞櫓(たもんやぐら)』というもので元々、武器庫のような役割もあり、防衛の拠点にもなっていたようです。
ちなみにここは、2013年10月1日に『恋人の聖地』として、NPO法人地域活性化支援センターに選定されています。
なんでも、和風情緒のある景観に加え、日露戦争時のロシア人捕虜の男性と日本人女性看護師のロマンスを秘めた金貨が出土したことと、結婚式の前撮りの場所として、年間700件ほどの撮影が行われていることなどが評価されたからというのが理由だそう。
この日もちょうど和装の新郎新婦らしき方々が写真撮影を行い、丘の上にある茶室へと寄り添いながら向かっていきました。
完全なるお邪魔虫の私は木々に隠れながら撮影の邪魔をしないよう気を付け、その姿を見送ります。
ぜひともお幸せになってください。

一通り庭園を見て大満足しながらもやはり頂上の天守へ繋がる道は森の中を通るルートしかないことを悟った私は山へと続く小道の前で一呼吸置きます。
さて、城攻めといきますか!

森の中には石造りの階段が続いていますが、これも当時のままなのか……段差の中に段差がある、といった形でなかなか足に負担が掛かります。
昔はこの階段を甲冑を着たまま城攻めしたのでしょうか?
身軽な筈の現代人である私は息も絶え絶え……汗もダラダラ……山城は守りが堅いといいますが、まさかこれほどとは……。

心臓をバクバクさせながら、ようやく森を抜けると立派な石垣が姿を現しました!
喜び……といきたいところですが、さすがに疲れて座り込み……。
しかし、改めて見ると本当に見事……石垣の美しさに思わず見とれてしまいます。

入り口には来ましたが天守はまだまだ見えず、頑張って坂を上がります。

山道では誰とも会いませんでしたが、ここに来ると多くの人の姿が見え始めました。
みんな一体どこから来たのだろうか?

門をくぐり、松山の街を一望。
やはりあんな高さにあるだけあって、眺望は素晴らしいものです。

奥に山が見え、都会の街並みがぎっしりと埋め尽くされている光景は四国随一の都市であることを実感させるには十分です。
そして、城ならではの古風な建物も一緒に目に映すとなんとも不思議な気分になります。
街が見える展望台は岩手にもありますが、このような建物とセットで眺められる場所はあまりありませんからね。

ようやく天守の見える城の敷地内へと辿り着きました。
いやはや、とても疲れた……敷地には桜でしょうか? 多くの木々が植えられ、売店もあってとても賑わっています。
ここは市街を一望できる夜景スポットや、桜の名所としても有名だそうで、私以外にも多くの人々が写真を撮影していました。
こちらの売店では松山に着いて早々に堪能した蛇口から出るみかんジュースも発見。
ただし、こちらは+100円でなんとジョッキで飲むことができるそう。
量も値段もこちらがお得……松山に来た際はみかんジュースは松山城で飲むことをオススメします。

海側の眺望は奥過ぎるうえに靄もかかって、あまりよく分からない状態に……。

こちらは駅側の景色。
海からほど近かったイメージがあったのですが、こうして見るとかなり遠くに見えますね。
城が内陸側にあったのか……いずれにしても防衛という点では四方から丸わかり。
非常に実践的といえますね。


お殿様がいらっしゃったので、私の代わりに撮影させていただきました。
「うむ、くるしゅうない」
ただ、お殿様重視で城が遠目になってしまいました……。
ここのお殿様は豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳で『七本槍』の一人として知られる戦国武将『加藤嘉明(かとうよしあき)』公です。
七本槍の秀吉子飼いの武将で『加藤』というと『加藤清正』公を連想しがちですが、両者は全くの別人で血縁関係も無いそう(私自身縁者かと思っていました…)。
ちなみに清正公で有名な城は『熊本城』です。
こちらも間違えないようにしましょう(私は思いっきり間違えていました)

さて、それではさっそく城の方へ行ってみましょう!
改めまして……松山城は小高い山の頂に本丸、麓に二之丸、三之丸を置く平山城という部類の城。
山頂の本丸は細くくびれているんですが、これは元々2峰に分かれていた谷の部分を埋め立てて造ったためで、本丸の北にある一段高い本壇には連立式の天守が聳え立ち、近世城郭の特徴がはっきりと示されています。

そんな松山城は江戸時代までに建造された天守を持つ城で、現存12天守の一つ。
1602年から築城を開始し、約四半世紀という長い年月をかけて完成しました。
二之丸から本丸にかけては 韓国の倭城の防備手法である『登り石垣』があり、南側はほぼ完璧な状態で残っているため、最初に訪れた堀之内を含む城山公園全体が国の史跡及び重要文化財に指定されています。
平成18年に『日本100名城』、平成19年には同県にある道後温泉とともに『美しい日本の歴史的風土100選』にも選定されました。

日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓などもあり、城マニアの方にとってはまさに垂涎ものの城。

城の中へ入ると至るところに敵襲に備えた仕掛けが見られます。
こちらは火縄銃や投石などで敵を撃退するための窓……近くには実物の火縄銃までありました。

誰でも触ることができるので試しに持ってみたところ、ずっしりと重く意外にも大きいことに驚きました。
よく時代劇なんかで銃を持ちながら駆ける武将がいますが、重い甲冑を身に付けながら、こんな重いものを持って走るとなると相当体力が必要だったんだな、と感じました。

城の中は展示物も豊富にあり嘉明公の甲冑や武具もありました。
城攻め経験豊富な嘉明公は、実践に備えた難攻不落の城として山頂に本丸、南西麓に二之丸、三之丸を配し、水堀や土塁で囲んだうえ、山全体を抱え込む広大な縄張りには幾重にも石垣を連ね、屈曲した進入路に城門や櫓を構え、本丸と二之丸をつなぐ登城道の南北には2本一対の『登り石垣』を築き、強固な守りにしました。
……もう道中で身をもって体験したので、いかに攻めるのが大変な城かはよく分かります。





中を進んで行くとついに天守閣へと到着しました。
やはり天守といえど、結構広く造られています。
それでは、景色を堪能していきましょう!

最上階からの景色はやはり麓と違い、遠くの海まではっきりと見ることができます。

松山市街地があんなに小さく……今更ながらですが、あそこからここまで歩いて来たんですよね。
いやぁ~、我ながらよく頑張った!

街と山と瀬戸内海……この景色は美しいですね!
大都市の中心部にある古の建物……なんとも不思議な風景です。

こちらはピントを屋根瓦にして合わせて撮影したもの……そういえば、ここまで間近に屋根瓦を見たのは初めてかもしれません。



いや、しかし……どこを見渡しても森というか山というか……上がるのは大変そう。
これは足腰が丈夫な若い内にしか行くことができない場所ですな。

後ほど知ったことですが、登城道は実は4本あり、私が通ったルートは江戸時代の正規ルートであった『黒門口登城道』というものらしく、反対の登城道である東山麓の東雲口には『ロープウェイ・リフト』も整備されており、楽に行くことができたそうです。
なんてこった……でも、これもまた良い思い出。

松山城をひとしきり堪能した後はロープウェイを目指して下山します。
石垣が最後までじっくりと見ましたが、崩れそうなところもなく綺麗に整えられていました。
ちなみにロープウェイの写真ですが……あまりの高さに怖くて撮影できませんでした。
上がる時は良いですが、高所恐怖症の方は下りで利用する際は注意が必要ですね。
……だって、めちゃくちゃ揺れるんだもの。

恐怖の空中散歩を終え、出口に行くとカッコイイ嘉明公の銅像がお出迎えしてくれました。
ちなみに慶長8年(1603)以前はこの地を『勝山』と呼んでいたそうですが、以降は『松山』と命名したそうで……それが松山市の由来だそう。

そして、もちろん来たからには御城印も入手。
松山城は昼バージョンと夜バージョンの2種類があり、セットで購入するとお得だったので両方買ってしまいました。
いや……なにこれ……カッコイイ……!
セット購入……オススメですよ!

漱石や皇族が通った日本最古の湯
松山城を下り、流石に疲労困憊となりましたが……予約したホテルをチェックインするにはまだ早かったため、ここまでの疲れを癒すのも兼ねて市内電車に乗り、名湯『道後温泉』へ向かうことにしました。

「おぉ~いお茶」のフレーズがしっかりと入ったミニ蒸気機関車『坊ちゃん列車』が駅の近くに展示されています。
なぜ坊ちゃん列車かというと、道後温泉がモデルとなった夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中で軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」として登場し、四国・松山の中学校に赴任する主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、そう名付けられたようです。
大きさ的には遊園地とかで子供が乗る列車を少し大きくした感じ……線路があるので、子供限定なら実際に動かせそうですね。

道後温泉前の商店街周辺はたくさんの観光客で賑わっています。
奥の山の方に何やら長い石段と鳥居があり、興味はありましたが今回は時間も体力も無いので割愛に……。
ちなみに近くにあったコンビニの中にも蛇口から出るみかんジュースがありましたが、やはり松山城の方がお得でした。

広場には何やら古風な時計塔があります。
これはからくり時計で午前8時から午後10時までの間の1時間ごとに、音楽とともに時計塔がせり上がり、中から坊っちゃんの登場キャラクターが出るそうです。
来た直後は生憎、10分ほど過ぎていたので温泉に入りながら時間を合わせてもう一度訪れることに……。

商店街のアーケードを進み、抜けると目の前にはいかにも高級旅館といった出で立ちの建物が!
ここが坊ちゃんにも描かれている『道後温泉本館』です。
流石は有馬温泉・白浜温泉と並ぶ『日本三古湯』の一つ……古の空気漂い、なんだかこの周辺だけ大正時代にタイムスリップしたかのような雰囲気に包まれています!
とはいえ、実は温泉自体は古代から知られ、その存在は万葉集巻一にも記載がされているそう……秘湯とは比べ物にならないほど歴史ありすぎですね。

旅の疲れを取るにはまたとない場所……実際に入浴できるとのことで2000円の一般席を購入。
実のところ私が選んだコース以外にも皇族の方が過去に入浴した場所の見学や入浴のみといった様々なコースがあるのですが、受付の方に尋ねてオススメされたものを選びました。
こちらのチケットは『神の湯』と『霊の湯』という二箇所の温泉に入れるほか、お茶菓子付きの休憩と皇族の方が入浴した『又新殿(ゆうしんでん)』を自由に見学できるコースです。
こう考えるとお得ですが、制限時間が1時間と決められておりゆっくりと入浴できるかは怪しいところ……あれ、癒しは一体どこに?

案内されるがまま二階へ上がると貸しタオルと浴衣が風情ある籠に入って用意されていました。
滞在中は浴衣を着用し、館内を巡ります。
うーむ、日帰り入浴で浴衣は初めてだなぁ。

私以外に誰もいなかったのでその隙に中を見渡します。
うーむ、実に良い!
タイムリミットが無ければなぁ……しかし、宿泊なしで日帰りの……しかも、短時間の入浴だけでも行列が出来るほどだから、時間制限を設けないと訪れた人が楽しめないのでしょう。
人気があるというのも考えものですね。

さっそく温泉に入ると少し熱めながらも刺激の少ない湯が体を包み込みます。
『霊の湯』は静かで人が少なかった反面、『神の湯』は入浴のみ者も利用できるためか非常に混雑しておりました。
下町の銭湯って、恐らくこういう混雑具合だったんでしょうなぁ……。
道後温泉の縁起は『白鷺伝説』というものから始まり、その伝説によれると、脛に傷を負った一羽の白鷺が岩の間から流れ出る湯を見つけ、それに足を浸たしたところ傷が癒え、元気に飛び去ることができた姿を見た人々が入浴すると疲れが取れ、病人も回復したと伝えられています。
歴史としては約3000年前の縄文中期頃から存在していたと考えられ、書物としても596年に聖徳太子が訪れて入浴したと『伊予国風土記』にも記されています。
館内にはその様子を記した絵や夏目漱石が実際に通ったとされる『坊ちゃんの間』(3階)や歴代皇族の方が入浴し休まれた『又新殿』の『玉座の間』、『御湯殿』を見学することができます。
又新殿や坊ちゃんの間に行くには案内が必要で、従業員の方に頼むと快く場所まで連れて下さり、歴史や説明といったガイドもしてくれます。
「写真を撮っても良いですよ」と言ってくれたのですが、私は撮影NGだと思ってスマホ等を休憩所に置いてきてしまい、撮影することができませんでした……。
これは唯一の悔いです。
訪れた際は浴衣を着ていてもスマホを持参することをオススメします。ただし、一般の温泉施設のように脱衣所には着替えを入れる籠しか無いので入浴後に……。

坊ちゃんの間を撮影出来なかったの外観のみ撮影。
3階にあたるこの部分が夏目漱石が実際に訪れたことのある部屋というわけです。
……本当に撮影できなかったのが悔しい。

温泉に入り、館内を巡り、お茶とお菓子を頂くとあっという間に60分は終わってしまいます。
やはり温泉2か所を60分は無理難題……しかし、そうしないと一般の方は中に入るのすらままならないので仕方がないですね。

本館前には人力車も待機しており、昔の雰囲気をそのまま味わうことができます。
老後に観光がてらまたゆっくりと訪れたいものです。
その時にはもう少し滞在時間が伸びていると嬉しいなぁ……老体になったら急いで回れないですからね。

温泉に入ってもからくり時計が動くまでまだ少し時間があるので、商店街を巡り歩きます。
店の前に佇むこの二人が『坊ちゃん』の主人公、坊ちゃんとヒロインのマドンナ。
こうして見ると付き合ってそうですが、マドンナは作中別の人物の婚約者で、坊ちゃんとは面識がなく、坊ちゃん自身が認識しているという変わった立ち位置。
主人公と関わらないヒロインというと現代の小説では見ないですが、こういう所を躊躇いなく行えるからこその文豪なのでしょうね。

アーケード内は意外と狭く、観光客や修学旅行生でぎっしり。
こりゃ、迷子になっても無理はない……。

こちらは道後温泉本館近くにある共同浴場『椿の湯』
料金は本館より安く、地元の人の多くはここを利用するとのこと……本当はこちらにも入りたかったのですが、からくり時計の時間も近づいてきたので、今回はお見送り。
次回は余裕がある時に来たいものです。

そうこうしている内に刻々と時間は過ぎ、気付けば5分前。
からくり時計のある広場『放生園(ほうじょうえん)』で無料の足湯に浸かりながらその時を待ちます。
大分の別府もそうですが、温泉街って手湯や足湯が豊富にあり、入浴以外にも楽しめるのが良いですよね。

そんな癒しを満喫していると急に音楽が鳴りだし、時計塔が上昇しながらトランスフォームしていきます。
どうやらからくりが始まったようです。
変形後のからくり時計は元の大きさよりかなり大きくなったので、全体は撮影しきることが出来ませんでした。
ざっくり実況すると音楽が鳴ると共に時計の中から坊ちゃんに因んだキャラクター達の人形が出て来て、動き出します。
からくり時計は色々と見てきましたが、これほど大きいなものは初めてですね。
他にも大きいなものはあるかもしれませんが、現時点では道後温泉のものが一番となりました。

演奏もとい音楽は5分ほどのものでしたが、実に見ごたえがあり、とても長く動いていたように感じました。
夕日も温泉街を照らし、哀愁漂う中……再び市内電車に乗り、松山駅前へと戻ります。
松山の街に眠る
駅前にある予約していたホテルでチェックインを済ませ、愛媛のローカルニュースを見ながら休息。
ホテルといっても今回のところはビジネスホテルで畳に布団という格安スタイルのお部屋。
ベッドが多い昨今のホテル業界としては珍しいですが、これはこれで趣があります。
そうして、20時頃には就寝……馴染みが無い土地を旅しているとテレビを見てもよく分からず、やることもないので自然とこんな感じになってしまいます。
早寝早起き、スマホをいじらず、よく動いてよく寝る……規則正しい、本来の丁寧な生活は社会で生活しているとついつい忘れてしまいます。
仕事でのストレスや現実を逃避するため、スマホを遅くまで見て遅寝遅起き、暴飲暴食、浪費に走る……逆に仕事をしていないながらも意外とお金が減らない根無し草の旅。
安定か冒険か……どちらが正しい、合っているかは人それぞれですが、マンネリとした生活というのは心と体にはあまりよく無いかもしれない…………そんなことを布団で考えながら、ウトウトと松山の夜に眠るのでした。





