昨今、日本では親と子供中心の『核家族』世帯が増えてきました。
若い人々は都会に出て家族を作り、残された親は地方でひっそりと暮らし……盆と正月にのみ帰ってくる。
これは形こそ違えど、かつて昔話にもあった『姥捨て山』と似たような状況でしょう。
無論、現代は人権がちゃんと確立されており、例え遠く離れていても数々の文明の利器や福祉政策によって安否確認やセーフティネットがあるのでこれも時代に合った生活なのかもしれません。
とはいえ、子は自分を産んでくれた親に感謝し、敬老の精神を持って高齢者を大切にする……その心はいつの時代も忘れずにいたいものです。
今回はそんな親と子の絆と高齢者を大切にする精神を学べる場所をご紹介します。
現代に残る棄老の地
概要
遠野の土淵町にある山口という地域にはかつての棄老(きろう)の地『デンデラ野』があります。
棄老とは口減らしのために老人を山中に捨てる習俗のことで、遠野に限らず飢饉などが多い日本各地の農村地帯では慣習として行われていたものです。
口減らしの対象は老人だけでなく、生まれてきた子供や兄弟なども対象で……それを考えると食べ物が手に入りやすくなった現代は恵まれており、その行為が行われた昔はとても辛い時代だったと言わざるを得ません。
遠野のデンデラ野はその棄老の地としての姥捨て山で『蓮台野(れんだいの)』が訛ったことによって呼ばれた伝わったとされています。
蓮台野とは元々、墓場や火葬場を表す言葉でいくつかの地域で地名としてその名残が残っています。
もっとも有名な所だと天皇の火葬塚がある京都の『船岡山』が知られていますね。
しかし、遠野の場合は本来の意味とは少し違うようで60歳を過ぎた者は口減らしのために『死んだ者』としてデンデラ野という『墓』に連れていかれ、以降はそこで暮らすことを余儀なくされたという背景があります。
60歳になったら処刑されるわけでもなく、連れていかれてただ野ざらしで死ぬわけでもない……その証拠にデンデラ野では老人達が簡素な家を作り、共に暮らした集落のような場所となっていたようです。
動ける者は日中は里に戻って農作業を手伝い、報酬として僅かな食糧を得て分け合って暮らした……このことから、里の人達は朝にデンデラ野から死人(という建前の老人)が里に来ることを『ハカダチ』……夕方にデンデラ野に戻ることを『ハカアガリ』と呼びました。
ちなみに『ハカ』とは遠野の方言で『仕事』という意味があります。
説としてはハカ=墓とされることもあるようですが、ハカ=仕事ならば『ハカダチ=仕事発ち』、『ハカアガリ=仕事上がり』ということで表現としてはマイルドであると同時にしっくりときます。
というより、寧ろこの意味であってほしいです。
余談ですが、この地域における本来の墓場、火葬場は同集落にある『ダンノハナ』という場所です。
『ダンノハナ』についての記述はこちら▼の記事に記載しています。
悲しいイメージのあるデンデラ野ですが、第二の人生を歩む場所と考えれば少しは考え方や見方が変わるでしょうか?
現代も定年後に第二の人生を歩む方々もたくさんいますし……昔からそういったことはあったのかもしれませんね。
もちろん、昔は今と違って食料の心配や病気、さらには東北地方ならではの極寒という気候の影響は大きくとても大変だと思いますが、生きながらえながらも死んだことになって家族の食い扶持が減ったところを考えると、年貢の取り立ての対象から外れたり、領主の無茶な要望に応えるといった義務も無くなっていたかもしれません。
何事もポジティブさと考えの転換が時代を生き残る唯一の方法ですね。
デンデラ野は有形文化遺産として『遠野遺産第21号』に指定されています。
由緒
では、ここらは具体的にどのようなお話があったのか、遠野物語から抜粋しながら紹介しようと思います。
山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡(ひわたり)、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その傍らにこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追いやる習わいがあり。老人はいたづらに死んでしまうこともなるぬゆえに、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今日も山口土淵周辺にては朝に野に出ることをハカダチといい、夕方野より帰ることをハカアガリという。
引用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語111話
青笹村の字糠前(ぬかまえ)と字善応寺(ぜんのうじ)との境あたりをデンデラ野またはデンデエラ野と呼んでいる。ここの雑木林の中には十王堂があって、昔この堂が野火で焼けた時十王様の像は飛び出して近くの木の枝に避難されたが、それでも火の勢いが強かったために焼けこげている。堂の別当はすぐ近所の佐々木喜平どんの家でやっているが、村じゅうに死ぬ人がある時は、あらかじめこの家にシルマシがあるという。すなわち死ぬのが男ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。女ならば平生歌っていた歌を小声で吟じたり、啜り泣きをしたり、あるいは高声に話をしたりなどしてここを通り過ぎ、やがてその声は戦争場の辺まで行ってやむ。またある女の死んだ時には臼を搗く音をさせたそうである。こうして夜更けにデンデラ野を通った人があると、喜平どんの家では、ああ今度は何某が死ぬぞなどと言っているうちに、間もなくその人が死ぬのだといわれている。
引用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語拾遺266話
昔は老人が六十になると、デンデラ野に棄てられたものだという。青笹村のデンデラ野は、上郷村、青笹村の全体と、土淵村の似田貝、足洗川、石田、土淵等の部落の老人たちが追い放たれた処と伝えられ、方々の村のデンデラ野にも皆それぞれの範囲がきまっていたようである。土淵村字高室にもデンデラ野と呼ばれている処があるが、ここは、栃内、山崎、火石、和野、久手、角城、林崎、柏崎、水内、山口、田尻、大洞、丸古立などの諸部落から老人を棄てたところだと語り伝えている。
用元:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 遠野物語拾遺268話
こうして読んでいくとデンデラ野周辺地域は『死』に関する記述が多いように感じます。
遠野物語拾遺266話では『シルマシ』という言葉が出てきており、これが具体的にどんなものかは明言されていませんが、恐らく死ぬ時の印みたいなのが佐々木喜平どんの家に現れるのでしょう。
しかし、佐々木喜平どんと『遠野物語』の立役者である佐々木喜善氏……なんだか名前が似ている気がします。
このデンデラ野の近くには喜善氏の生家やお墓もありますから、もしかしたら先祖と子孫なのか……。
けれども、この話でどうしても分からないのは『シルマシ』が出てから人が死ぬのか……夜更けにデンデラ野を通ったら死ぬのか……2通りあるのでどちらが先なのかが少し疑問に感じます。
そうして、土淵のデンデラ野はかなり広い地域から老人が集められていたようで……もしかすると結構の数の人達がデンデラ野で暮らしていたのかもしれません。
ちなみに今回の話しを収録した本はこちらになります。
アクセス
遠野のデンデラ野は土淵町山口の『高室橋』のすぐ傍にあります。
近隣には『山口の水車』と『ダンノハナ』があり、道順はこの二箇所と全く同じとなります。
その中の一つ『山口の水車』に関してはこちら▼の記事にも記載しています。
遠野市の中心にある『国道283号線』を釜石方面へと向かい、道中にある『JAいわて花巻 遠野・上郷・宮守支店』のある十字交差点を左に曲がり、その先にある『国選定重要文化的景観 遠野 土淵山口集落』の看板がある交差点を右に曲がり、Y字路があるまで真っ直ぐ進む……一つ違うのはY字路を曲がってから最初に現れる角を右に曲がることです。
そこだけはご注意ください。
デンデラ野には駐車場はなく、農道のような一本道があります。
入り口周辺には下へ行く道が別にあり、少し広くはなっていますが農家の人達も使うので車で行く際は道は狭いですがデンデラ野まで行った方が良いかもしれません。
ただ、デンデラ野には舗装された駐車場はなくほぼ原野なので雨の後などはぬかるみなどにご注意ください。
オススメとしてはタクシーかレンタルサイクルを使用すると駐車を気にしなくて済みます。
探勝レポート
それではさっそく探勝といきましょう!
今回は朝早くに行ったため、入り口前の邪魔にならない場所に車を停めてスタートです。
こちらがデンデラ野の入り口……早朝から来たこともあり、とても静かです。
周囲には人もおらず、熊出没注意の看板が……なんだか色々な意味で怖くなりました。
道を歩くこと約2、3分……デンデラ野の原野へと到着。
天気がとても良いので、先ほどまでの恐怖は忘れてとても清々しい気分になりました!
しかし、熊に対しての警戒心は解いていません。
石のベンチと説明書きのあるデンデラ野に改めて到着。
私の中のイメージとしては夕暮れのだだっ広い野原にススキが寂しげになびく……という空想を抱いていたのですが、実際は夕暮れどころか早朝で小学校の校庭ぐらいの広場に青い草原が茂っている……という何もかも真逆な状態です。
どうしてこうなった……?
ススキらしきものもありましたが、寂しげというよりも元気モリモリといった感じで茂っています。
しかもかなり背が高いし、中から熊が飛び出してきてもおかしくはない……。
かつて行われた棄老の名残に思いを馳せて感傷に浸ろうか、と思っていましたが現実は熊への警戒心で心穏やかにはなれず……。
ほんと……どうしてこうなった?
ようやくデンデラ野らしくかつての住居跡のようなものを発見しました。
藁で作られ、簡素な家……に見えますが、意外と造りはしっかりとしている様子です。
しかし、家の半分ほどの大きさまで伸びているススキの存在感が気になります。
気になる住居の中はというと……地面にある焚き火のような囲炉裏に木の椅子がグルっと囲んでいる形です。
『あがりの家』という名前らしいです。
なんだか漁師の作業小屋のような雰囲気です。
寝床は……土の上で寝るのでしょうか?
今は夏の朝でちょうど涼しいくらいですが、冬の場合は厳しいかもしれません。
なにはともあれ本当に現代は恵まれているし、この時代に生まれてきてよかったです。
おわりに
デンデラ野について現地に行く前は寂しくも悲しいイメージがありましたが、調べたり実際に行って見ることによってその印象が変わりました。
しかし、働けなくなった……動けなくなったからといって、やはり自分自身を産んで育ててくれた親を山に置いていくことはあってはならないことだという思いは変わりません。
自分がその立場ならとてもできないですが、もし家族や子供を守るためとなったらもしかしてやってしまうのでは……とも想像しました。
大切なものを守るために、他の大切なものが犠牲になる……そんな時代があったということを忘れてはなりません。
そして、そんな時代が終わって現代のように様々なことに恵まれた今の世に感謝しなければなりません。
皆さんも自分自身がとても良い時代に生まれて良かった、と実感するために訪れてみてはいかがでしょうか?