史跡

敵機を感知する戦時遺構【花巻市‖花巻防空監視哨聴音壕跡】

 戦争で使われ現在まで残るもの……戦時遺構といわれれば皆さんはどんなものを連想するでしょうか?

 小学校の頃は防災頭巾……よく知るものでは防空壕といったところでしょうか?

 有名どころでは広島にある原爆ドームなどですが……そのどれを見ても戦時中の凄惨さを感じます。

 今回はそんな遺構の中でも珍しい、敵機を察知するための防空壕をご紹介します。

概要

花巻の空を監視していた防空哨

 防空監視哨(ぼうくうかんししょう)とは…太平洋戦争時、敵機の来襲を感知して軍や警察に報告するため全国各地に設置された施設です。

 一般的には高い所から双眼鏡で監視するものですが、中には円筒形の壕の中に人が入って、飛行機の接近する音を聞き分ける聴音壕(ちょうおんごう)を有する監視哨もありました。

 花巻市若葉町にある『花巻防空監視哨聴音壕跡(はなまきぼうくうかんししょうちょうおんごうあと)』はこの聴音壕を有する監視哨の一つ。

 壕は円筒形で直径3.5m、高さ3.17mのレンガ積みで、内部の深さは約2mの空洞になっており、上空から見て軍の施設と分からないように、当時は壕の周りに盛土がされ、かやぶき屋根がかけられていました。

 近くには当時、管理棟もあったとのことですが、現在は撤去されています。

 また、壕の形状がほぼ完全な形で残っているものは全国的にも珍しく、当時の様子を知る資料としてもとても貴重ななものです。

アクセス

『花巻防空監視哨聴音壕跡』は花巻市若葉町2丁目14‐15にあります。

 地図上では名称はありませんが、『花巻信用金庫若葉町支店』の裏手……細い道路を一本隔てた向こうにあります。

 道路を挟んで向かい側には『花巻市立若葉小学校』があるので、そこを目印に進むと良いでしょう。

 跡地は空き地のようになっていますが、近くには説明書きの看板があるので、分かりやすいと思います。

 駐車場は残念ながらありません

 路上駐車をするにしても近くには民家があり、路地のため駐車することはできないので注意しましょう。

 駐車する場合は近くにある『ぎんどろ公園』傍にある『花巻市文化会館』の駐車場を利用しましょう

ぎんどろ公園 入り口
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探勝レポート

 それではさっそく探勝といきましょう!

 今回は『花巻市文化会館』に車を停めたため、いきなり現地からのスタートです。

花巻防空監視哨聴音壕跡

 密集している住宅街の中、ポツンとある空き地の中に円筒の建物……『花巻防空監視哨聴音壕跡』があります。

 レンガ造りの建物に石の土台……頑丈さが見てとれます。

案内板1

 こちらは小学校側にある説明板です。

 概要で述べた部分はこちらから引用させていただきました。

 当時の写真からは盛土というより小山のようになっていますね。

 頑丈な建物を土で覆い隠せば敵の攻撃を受けても確かに破壊されないでしょう。

 それでも、昭和20(1945)年8月10日に花巻は米軍の戦闘機22機による空襲を受けました。

 攻撃の規模は大きくなかったものの瞬く間に広がった火の手により多くの人々が犠牲になりました。

案内板2

 資料によると花巻駅周辺が甚大な被害を受けたようです。

 駅といえば列車……戦争における重要拠点である物資の運搬地点を攻めるのは当時としては定石だったのでしょうが、被害を受ける側にとってはたまったものじゃありません。

 一斉攻撃をいきなり受けてしまったら対処も困難でしょう。

 聴音壕は昭和17(1942)年に作られ、中に隊員が入って飛んでくる飛行機の爆音を聞き取った後、電話で陸軍部隊に報告していたそうですが……この頃、アメリカではレーダーが開発され、電波で既に情報を得ていたそうです。

 同じ時代でも国によって設備に差がある……既にあるものを改良することが得意な日本にとって、技術革新という分野では明治の文明開化の時から差は埋まらなかった、ということなのでしょう。

内部の説明板

 こちらは聴音壕近くにある説明板。

 この壕の保全に関わる方々の名前が記載されています。

 危険なため、登って内部を見ることはできませんが、こちらの写真で確認することができます。

 中は設備などは撤去されており、枯れ葉と梯子のみのようです。

聴音壕土台

 壕の土台には四角い穴が空いていました。

 空気穴なのか、はたまた電線か何かを引っ張ていたのか分かりませんが……穴の先は塞がっていたので、詳細は不明です。

おわりに

 壕の形状がそのまま残っている珍しい遺構でした。

 私自身、今回の探訪で聴音壕なるものの存在を初めて知ることができたので、とても良い勉強になったと思います。

 戦争が終わり、平和な世になった現代では当時のことを知る人達も減っており、このような建物は貴重な資料といえるでしょう。

 戦争の悲惨さを後世に伝え、二度と悲劇を繰り返さないことが後の世に生まれ、生きている我々の責務といえるでしょう。

 皆さんも近代の歴史を振り返りに訪れてみてはいかがでしょうか?

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