史跡

奥州藤原氏の生き残りが築いた堤【花巻市‖三郎堤】

 岩手内陸の一部地域では田畑から河川への距離が遠いため、ため池を意図的に作って農作物の用水として使用しています。

 数多くあるそんなため池ですが、中には遥か昔に作られた歴史あるものまで存在しています。

 普段何気なく見ている景色の中には、よく調べてみると驚くようなこともあるのがしばしば……。

 今回はそんな歴史あるため池についてご紹介します。

美田を潤す古のため池

概要

 花巻市と東和町を結ぶ『県道286号線(東和花巻温泉線)』とJR釜石線のすぐそばに一際大きなため池があります。

 このため池は『三郎堤』と呼ばれており、春には桜……冬には白鳥が訪れる飛来地。

 一見すると少し大きなため池のように見えますが、実は作られた時代は平安時代末期まで遡り、800年以上の歴史があります。

由緒

『三郎堤』についての由来は以下のとおりとなります。

 花巻市矢沢地区は、幸田地区よりの自然流水を用水源として、古志族で開拓された地域である。平安時代の末期文治五年(1189年)に奥州の王者、平泉の藤原泰衡公が源頼朝によって滅ぼされた時、その弟泉三郎忠衡公は平泉を逃れ、幸田に落ちのびた。忠衡公は開拓に志を立て、四人の従臣を「おそ込沢」「牡丹平」「下西沢」「三ツ口」の4か所に配置し、十余年に及ぶ歳月を費やして三つの堤が築造されたのが「三郎堤」であると(古い地形図では三郎堤は三連ため池となっている。)伝えられ又この工事の安全と早期完成を祈願して、ため池近くの小高い森に八雲の大神を祀った聖地がある。

 建久三年(1192年)藤原氏滅亡により鎌倉御家人の配領として、この地は稗貫氏から稗貫郡と称し中山五郎為重が当郡を領した。後に南部領となり、享保二十年(1735年)に南部領内十郡を三十三通りに制定されこの地を安表通りと称し、三郎堤の修復管理に当たったと云う。

 爾来藩政時代・明治・大正と数百に渡り矢沢百二十三町歩に及ぶ美田を潤して来たのであるが昭和に入り、三郎堤の荒廃甚しく、漏水も激しいため昭和四年農村復旧対策事業として、延べ二千余人を要して修復した。その後昭和二十九年北上川総合開発計画の一環として、田瀬ダムが築造されるに及び、三郎堤は、矢沢地区の用水補給源として引き続き利用されることとなった。

 しかし、昭和五十年代に至り、防災的見地から、ため池の全面整備の必要に迫られ猿ヶ石北部土地改良区、花巻市、岩手県の調査により、昭和五十四年岩手県営ため池等整備事業として着工、工事費二億余円を投じ昭和五十八年に完成、三郎堤八百年の歴史に花を添えた。

引用元:三郎堤の変遷より

 かの奥州藤原氏で有名な藤原泰衡……その弟、泉三郎忠衡が花巻の幸田地区に落ちのび、開拓の際に作った三つの堤防が『三郎堤』ということになります。

 名前の三郎も泉三郎忠衡からとったものでしょう。

 その後は南部領となり、その時々に修復整備され……昭和58年に現在の形となったわけですね。

 この中の記述で気になるのが『古志族』というもの……。

 調べてみると『古志族』とは、中国東北から黒龍江流域沿海州に住んでいたツングース族(中国東北部から極東ロシア、シベリアにかけての北東アジア地域に住んでいた民族)で、高句麗が新羅によって滅ぼされた際にこの靺鞨(まっかつ)族の中から日本に亡命する形で渡来してきた者達とのこと。

 『越(こし)の国(現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部地域の大化の改新以前の呼び名)』という一大文化圏を作ったといわれ、痕跡として『古志王神社』として残っているそう。

 つまり平安時代末期頃にはこの地域に大陸から来たとされる人が住んでいたということになりますね。

 また、記述では『八雲の大神』を祀ったとされており、古志族と関係ある古志王神社ではないのか……と思いますが、漢字は違えど読み方が同じ神社が実は近くにあります。

 それは『新花巻駅』からほど近い『宮沢賢治記念館』のある『胡四王山』『胡四王神社』……この神社は「坂上田村麻呂が東夷東征の際、戦勝祈願する為に、自らの兜に納められていた薬師如来像を胡四王山(標高183m)の山頂に一宇を設けて奉納した」とされている神社ですが、上ると北上川流域や周囲の田畑が見渡せる好立地条件の場所でもあります。

 もしかすると、この神社のある山を中心に古志族が勢力を築いていたのかもしれませんね。

 ちなみに同じ奥州藤原氏の関連史跡として、花巻市石鳥谷の隣にある紫波町にも『五郎沼』という場所があります。

 三郎とか五郎とか池とか沼とか……奥州藤原氏に関連する場所はそういったものが多いのかもしれません。

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アクセス

『三郎堤』はJR釜石線『小山田駅』の近くにあります。

『新花巻駅』から『県道286号線(東和花巻温泉線)』を東和町に向かって進むと道路と線路を隔てた先に『三郎堤』を見ることができますが、池への入り口は県道側にはなく、反対側にのみあります。

 入り口への道路に入るルートとしては『小山田駅』『新花巻駅』間の道路沿いにある踏切を渡ることで入ることができます

 踏切自体は道路のすぐ傍にあるので比較的分かりやすいでしょう。

 踏切を越えたらあとは真っ直ぐ進むと『三郎堤』の看板とともに池への入り口が見えてきます。

 駐車場はそこそこ広く、公衆トイレも完備されています。

探勝レポート

 それではさっそく探勝といきましょう!

 今回は池の駐車場に車を停めてスタートです。

駐車場

 こちらが『三郎堤』の駐車場。トイレもあるので、休憩にもぴったりの場所です。

スタート地点

 それでは池をぐるりと一周してみましょう。

 この日は秋晴れということもあって散歩するにはちょうどいい天気です。

桜並木

 季節もあってか、花は咲いていませんが春になれば桜が咲いてさぞ綺麗なことでしょう。

『三郎堤』は意外と訪れる人が少なく、桜の穴場の一つでもあります。

 もし、人が多い場所が苦手な方は訪れてみることをオススメしますよ。

白鳥の群れ

 歩きながら池の方へ視線を向けると……なにやら白い鳥の一団が現れました。

 一瞬、自分の目を疑いサギかと思いましたが……それにしては水面を泳いでいるし、大きい。

 まさか……この時期に、そんなバカな……⁉

 言い聞かせるように近づいてみると……

白鳥

 やはり見間違いではありません。

 アヒルでもサギでもなく、白鳥です!

 この日は秋の中でも気温は高かったのですが……もう来ているとは!

 しばらく呆気に取られて魅入っていました。

 これも地球温暖化による環境変化によるものか……それとも、越冬の前乗りなのか……本当に動物というのは不思議です。

池

 気を取り直し、先を進んで行きます。

 秋晴れと青く輝く水面が美しいですね。

 それにしても……思った以上に池が大きいです。

道路側

 こちらは『県道286号線(東和花巻温泉線)』側の風景です。

 こちらも美しい田園地帯が広がっています。

 この池がこれほどの田畑を潤していたのですね……これだけ広大なら池があれだけ大きいのも頷けます。

 そばにはJR釜石線があり、以前はSLが走るのを間近で見られたのですが……現在は見られず、残念です。

洪水吐

 これは増水した際に水を調節するために出す洪水吐ですかね。

 通常なら、この辺りに鯉とかがたむろしているのですが……魚一匹見当たらず。

 この『三郎堤』は以前、大型のブラックバスやヘラブナの釣れる場所としても知られ、北上川流域にある『十二丁目沼』という場所とともにアングラーや太公望達が入り乱れるスポットでした。

 しかし、大規模な水抜き駆除が行われた結果……ブラックバスはおろかヘラブナもいなくなってしまった悲しい場所でもあります。

 この『三郎堤』周辺にもため池はいくつかありますが、その大部分は池の工事により魚棲まぬ池……あるいは生態系の保護という名目で『釣り禁止』となっています。

 私も釣り人なので強くは言えないのですが……なんとも悲惨な結末ですよね。

 こんな末路を迎えないためにもルールはしっかり守りましょう。

 現在『三郎堤』には、とりあえず『釣り禁止』の看板が無かったので、もしかしたら釣りだけはできるのかもしれません。

池 半分

 ここで一度、今来たところを振りかえってみましょう。

 駐車場からだいぶ歩いてきましたね。

原風景

 岩手における日本の原風景は遠野が有名ですが、農村地帯としては花巻周辺も負けていません。

 錆びたガードレールに電信柱の立つ田園……懐かしい農村風景です。

取水塔

 池の端の方には取水塔があります。

 少し近づいてみましょう。

取水塔からの風景

 うっすらと色づく山を背に空と同じく青に染まった水面と赤い取水塔が鮮やかですね。

 取水塔の上はもちろん立ち入り禁止ですのでご注意ください。

山と池

 山と『三郎堤』の水面のみ……こちらは空と雲が存在感を放っていますね。

 雲が北へと向かっているようです。

池 外周2

 桜並木が印象的だったスタート地点とは裏腹にこちらは木が無く、あっさりしていますね。

 開放感はあります。

振り返り

 ここまでで約20分が経過……だいぶ歩いてきました。

 ジョギングで一周するだけでも良い運動になりそうです。

終了地点

 ここまででとりあえず、遊歩道は終了。

 ここから先は道路に出ることとなります。

 終了地点には立派な石碑があります。

 豊かな水、豊かな穣り、豊かな心……田園地帯には必ずといっていいほど美田豊水の石碑がありますね。

 それだけ人々にとって水や豊穣が大切だったことが伺えます。

入り口の看板

 しばらく道路を歩くと『三郎堤』の看板が見えてきました。

 これで池を一周……ゴールとなり終了です。

 いや~、秋の空気を感じられる良い時間でした。

おわりに

 人にも歴史あり、ため池にも歴史あり……現在は桜や白鳥の憩いの場所となっている何気ない所でも、その背景を知ることで思わぬ事実を知ることができます。

 奥州藤原氏に古志族……ロマンは尽きず、興味を持つことで人生はより楽しくなりますね。

 皆さんも自分の思いのままに探求してみてはいかがでしょうか?

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